レイトショー


「Honey」

 既に夕食も入浴も済んで、風呂場からリビングへ戻ってくると照明は最小限に抑えられていて、ソファーからプレゼント・マイク――山田ひざしが手招きをしていた。彼も既にオフの姿、髪型は頭頂よりも少し下で団子状にまとめられており、特徴的なサングラスもスピーカーもない。ヒーローの姿が深く印象づいているせいかなんとも見慣れない感がすごいが、アスナは手招きされるままソファに近づいた。
「Sit down please」
「……? 映画?」
 That's right! と楽しげに笑ったプレゼント・マイクの隣に腰掛けてアスナはまだしっとりとしている髪にかけていたタオルを首元へずらした。すると、プレゼント・マイクがタオルを取ってアスナの頭を優しく拭いた。ちゃんと乾かさなきゃ駄目だろ、と言いながらもドライヤーをかけてくれるまでがワンセットだ。今日も同じように全てやってもらってから再び、ソファの前のローテーブルに並べられた映画のパッケージをアスナは手にとって眺めた。
「見るの?」
「ほら、Honeyが映画館嫌いだって言っただろ」
「……まあ、言ったね」
 映画は見たいけど、映画館は嫌いだ、と確かに一度行った。デートに映画でもどうだと誘われたときだったか。アスナはぼんやりとそんなことを考えながら、プレゼント・マイクがかけてくれるブランケットの中に二人でもそもそと入り込んで体を密着させた。既にDVDはセットされているようで、プレゼント・マイクがボタンを押すとテレビに映画の冒頭が映る。あ、飲み物用意すればよかったね、と言えば、今持ってくるからHoneyは座ってろ、と頭を撫でられた。確かに冒頭部分はどうでもいいか、ただの配信会社とかそんな感じの宣伝に近い部分だし、と考えながらアスナはパッケージの裏側を見る。――ラブロマンスだ。
(こういうの、好きなのかな)
 好きそうではある。
 ソファの上に体育座りになって眺めていると、Hey、と後ろから声がかかり、飲み物が差し出された。冷たいミルクティーだ。
「わざわざ淹れてきたの?」
「いや、時間掛かるから今日のはティーパックのヤツ」
「ふむ。……む、はちみつ入り」
「好きだろ?」
「……そうね」
 大分、好みを分かられてきている。それもそうか、もうこの生活も六年も続いているのだから。そんなことを考えながら、隣に戻ってくるプレゼント・マイクを眺める。彼の手にはストレートの紅茶だった。おそらく砂糖ぐらいは入れてるだろうけれど。

 映画はベタベタなラブロマンスだ。
 主人公とヒロインの愛の物語。
 いろいろな困難を二人で乗り越えながら、愛を囁く名場面はきっと普通なら泣けるのだろう。
(普通なら、ね)
 こういう映画はいまいちアスナにはピンとこない。元々愛情の捉え方が、普通の人間とひどく異なっているからだろう。アスナにとっての愛情表現は「壊す」それに尽きる。愛しているから、好きだから――壊してみたい。と思ってしまうし、その嗜好は残念ながらこの六年で一度も矯正されなかった。まあ、幸いにして個性は使用を禁止されているのでそう思っても壊したことはなかったし、そもそも壊してみたい、と思うほど執着するものにこれまであまり出会ったことがなかった。
 ふと、プレゼント・マイクをみた。
 彼は至って変わらない。穏やかで緩やかな笑みを浮かべて映画を見て、アスナの肩を抱いているだけ。何も言わなかった。――そういえば、彼はどうなんだろう。ふと、アスナの中で疑問が湧いた。六年もこの生活を、円満な夫婦生活の見せかけを続けてきたが、彼という存在を自分の中であまり考えてみたことがなかった気がする。
「Honey、映画見てるか?」
 Hotな視線に照れちゃうぜ、と冗談めかして笑うプレゼント・マイクにアスナは目を見開いた。そんなにじっと見ていたつもりはなかったのだが。彼はつまらない? とアスナに顔を寄せて頬を密着させた。プレゼント・マイクは何かにつけてアスナとスキンシップを図る。大げさだったり、こうやってささやかなものだったり。緩やかで心地の良い接触はアスナにとっては初めてのものばかりだった。
「ラブロマンスはあまり好きではないかも」
「Ah……やっぱりな」
「……わからないもの、こういう愛は」
 アガペーとか、そういう愛情はわからない……つもりなのかもしれないが。
 密着した体でそっと手を握られた。少し顔が離れたかと思えば、触れるだけのキス。ほんの一瞬だけ、でも、すぐに二回目のキスが来た。何度も触れるだけのキスを繰り返して、深く、深く唇が重なった。ん、と小さく溢れる吐息がなんだかひどくもどかしかった。
「……何? その顔」
「……へへへ……なんでもないぜ、Honey」
 たまらなく幸福そうな彼の顔。
 自分を抱きしめてくるその腕は相変わらず優しい手つきだった。
 一つのブランケットの中、恐らくは画面の中のラブロマンスよりも甘い切ない感情がここにはあった。ミルクティーと紅茶の中に入っていた氷がからん、と音を立てる。

「愛してる、アスナ」

 眼鏡の奥の翡翠の瞳がたまらなく蕩けそうな優しさでアスナを見つめて囁いた。
 その声を聞く度、ずくずくと、心の奥が針で刺されたように甘く、痛い。

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