形を持たない化け物


 それは狂人よりも狂人らしい人間だった。
 初めて会ったのは大聖杯が奪われ、獅子劫界離とユグドレミア側が共闘という話になったときだった。彼女は左目を奪われ、その全身に夥しいまでの量の創傷があり、失血死寸前の状態で気絶していた。治療に難航を示したのは私達が敵側だったことが大きいだろうが、この状態で死なせることが本当にいいことか、と獅子劫界離に問いかければ、彼は逡巡することもなく"妻"である獅子劫紅葉の命を取った。
 渡された彼女の体は酷い有様ではあったが、その魔術の働きには感嘆する他よりない。"生き延びて戦い続ける"ための魔術が魔術刻印には刻まれ、彼女は魔力が続く限り、魔術回路が生きている限り戦い続けられるようになっていた。故に失血による気絶もほぼ一瞬のものに近かった。ある程度傷をこちらで塞ぎ、輸血と静脈カテーテルの指示をホムクルスに出しておく。おそらく、これだけ手を施せば"今"は彼女は死なないだろうと判断したからだ。

 しかし、それ以上にその体は酷使されすぎていた。

「なぜ、彼女があんなになるまで放っておいたのですか」
 獅子劫界離にその言葉を突きつければ、彼はぐ、と押し黙った。言い訳しないあたりに彼に好感を感じるが、それとこれとは話が違う。
「……そこまでひどいのか」
「今は、問題ないでしょう。魔術回路が正常に起動し、魔術刻印に魔力が通っている以上は彼女は死なずにいられる。だが――それは、執拗にこんな戦いを続ければ、いつか、その頼みの魔術回路が先に悲鳴を上げるでしょう」
「…………そうか」
「そして、その魔術回路の一端を担っていたであろう、魔眼。それも片目失っています。――もう一度聞きます。なぜ、彼女がここまでなるまで放っておいたのですか」
 質問の意図は最初とは違う。だが、同じ言葉を重ねた。獅子劫界離はすぐに質問の意図を察したのか、何も言わずただ私を見ていた。サングラスの奥、その瞳は一体どんな色をともしているのか、それは私に介入する必要ないことであったが、あれは許してはならない愚行だ。
 すると、廊下がひどく騒がしくなった。

「止まってください」
 抑揚のないホムンクルスの声。
「貴方は重傷だとアーチャー様から言付かっております」
「だから、もう、大丈夫だってば」
「駄目です」
「止まってください」
「あ〜〜〜〜、もうこいつらしつこい!!!」
 聞こえてきた声にため息を付きたくなった。――眼の前の獅子劫界離は盛大にため息を付いていたが。そして、ドアが開かれ、明るい声が来た。先程の重傷さなど感じさせない、太陽のような明るい声だった。――皮肉にもそれが真実であることがわかる。
「界離、めっけ!」
「……お前、大丈夫なのか」
「ん? 全然平気」
 にこりと笑った獅子劫紅葉の左目はない。包帯が巻かれており、些か大丈夫と言うには心もとない姿をしているが声は、その表情は陰りもなくなんともいい難い明るさが篭っていた。私はつい、眉間にしわが寄ってしまったのがわかった。
「獅子劫紅葉、貴方は死にかけた自覚はありますか」
「いや、死なないし。魔力切れてなかったから、大丈夫だと思ってた」
 その言葉で気づいた。――彼女は既に壊れている。魔力さえ切れていなければ戦い続けられる、なんて考えそのものが頭がおかしいし、倫理観が破綻している。というか、そもそも人間という存在の、生存本能が壊れているのではないかと思わされてしまう。狂人だ。まさしく、狂人だ。
「……そうですか。――後ほど、貴方の体のことでお話があります」
「そ」
 それだけだ。
 自分の体の状況など興味がまるでない、そう言わんばかりの彼女は刀を探した。戦うための術を。獅子劫界離が隠したであろう刀を探して、彼女は獅子劫界離に詰め寄った。その光景はひどく冷たく、彼女のそのものが刃のようにすら思える。――その生き方をしている人間の姿が、子供のような外見だというのがひどく、寒々しく感じる。


「――会話が成り立たない貴方と話をするのは苦痛なのですが」
「意外とすっぱりというなー……」
 紅葉は静かにため息を付いた。差し出されたのは紅茶だ。毒は入っていませんよ、というケイローンの言葉を信じることにして、紅葉は紅茶のカップを手に持った。暖かな、いい香りのする紅茶だ。
「貴方は自身の寿命に自覚はありますか」
 間髪置かないケイローンの言葉に紅葉はニコリと笑った。
「聖杯大戦でこれ以上酷使すれば、大戦終了まで保たない、かな」
 紅葉の体は、後天的ホムンクルスといってもおかしくないほどにいじられている。幼いころは日々調整され、そのせいで紅葉の外見的成長は止まってしまい、その寿命も、きっと普通に生きていたとしても残り数年だと言ったところだっただろう。魔術刻印が後どれほど紅葉に命を与えるのかわからないが、紅葉は自身の命の終わりの自覚はある。
 もしも、聖杯大戦が終わって、獅子劫界離が願いを叶えたとしても、その先に自分は居ない。
「わかっていて、なお」
「戦うの」
 暖かな紅茶が揺れた。
 その翡翠の瞳はケイローンを見つめて、じと揺らがない。
「私は、私の命は、界離の願いのために」
 その覚悟はケイローンすら黙らせた。強い人だ、と率直に感想は抱ける。しかし、その過程というか、やり方がまさしく狂人なのが惜しい。女性としての強かさ、美しさは持っていると思う。
 紅茶、ごちそうさま、と笑いかけた紅葉の足はわずかに引きずられている。いくら体が治ったとは言え完璧ではないはずだ。これからもう少し時間をかけて治したいのだろうが、その時間も彼女には無いのだろう、とケイローンはわかっていた。
「……死ぬつもりですか」
「サーヴァントを持たずに聖杯戦争に来るって言うことはそういうことでしょ」


 ミレニア城の外に出れば獅子劫界離とモードレッドが待っていた。
 おう、と獅子劫界離が手を上げて、紅葉を迎え入れた。
「おまたせ」
「もう終わったのか」
「うん! 薬飲まされた……」
「何だよ、それ、大丈夫なのか?」
 歩き出しながらモードレッドは紅葉を覗き込む。大丈夫だよ、と笑いかける。
 獅子劫がサングラスの奥から自分を見ているのがわかっていたが紅葉は何も言わない。静かに、その手を握ろうとして手が重ならなかった。片目がなかったせいで、距離がわからない。すると、獅子劫から手を握ってくれた。魔力を酷使して体を直しているせいで、ひどく冷たい手をしているはずだ。じんわりと、伝わってくる獅子劫の手の暖かさに紅葉はたまらなく嬉しそうに変わった。

(貴方の願いの先に私は居ないけど)

(貴方が貴方の望むように生きてくれたらそれでいい)

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