さあ、お


 軽やかな音楽が流れ落ち、華やかなシャンデリアがきらめいた。
 アスナは昔からパーティーは好きではなかった。多くの人たちが華やかに着飾り、賑やかな輪を作っている。たくさんの料理や、音楽、人の気配に溢れかえっていて目があまりよく見えないアスナにとっては苦行なのだ。視覚があれば、どれだけの人がいるのかある程度認識でき、その上で数多の気配を飲み込むことができるが、視覚の情報が限りなく少ない状態では嗅覚や聴覚の情報にあふれかえるほど情報が入ってきて――正直疲れる。
 目のサポートをしてくれる盲導犬――マーリンの同伴も基本的にパーティー内では好まれない。認められないのではなくて好まれないなので、アスナ個人が連れてこないというだけのことなのだが……いい顔をされないものをどうして連れてくることができようか。

 アスナは騎士服のままパーティーに出席していた。ラウンズの正装でもない、大公爵の服でもない。騎士服だ。多種多様の公務用の服を持っているアスナが騎士服を着ている時はシュナイゼルの護衛をしているときと決まっている。黒い騎士服に紅いマント。赤い髪は彼女が動く度に焔のように揺れた。シュナイゼルの白い服と対をなすその姿は威風堂々としており、数多の戦場をかけてきた者の独特の空気がまとわりついていた。何かを語らうこともなく、ただシュナイゼルの傍で立っているだけ。しかし、護衛としてコレ以上の護衛はないだろう。

「殿下、よろしければお食事を持ってまいりますか?」

 ある程度、シュナイゼルへ声をかけてきた貴族たちが捌けたところでアスナは漸く口を開いた。それはシュナイゼルを慮った穏やかなものであり、これまでまとわりついてきた女性たちの高い声とは異なって低く落ち着いていたが故にシュナイゼルは少しばかり息をついた。
「いや……構わないよ。今は気分じゃないからね」
 手で制して答えるとアスナは静かに頷いてワイングラスだけ差し出した。それを受け取るとシュナイゼルはパーティーに来て随分と経っていたが漸く飲み物を口にすることができた。芳醇なワインの香りに目を細めて、アスナの手元にグラスが持たれていないことに気付いた。
「アスナはいいのかい?」
「……仕事中ですので」
 困ったように笑うアスナにシュナイゼルはそうか、と答える。パーティーはいつの間にかダンスホールができており、中央ではペアを組み、オーケストラに合わせて踊る男女の姿が見受け始めていた。アスナはそれにかすかにのみ目をやると静かに視線をシュナイゼルに、そして、周りへと向けた。先程から女性たちがそわついているのはそういうことだ。――麗しき第二皇子シュナイゼル殿下と踊りたい貴族の女性たちはアスナが邪魔なのだろう。視線を感じるが、そんなものは慣れている。――気にもならない。
「華やかだねぇ」
「殿下も一曲踊っては如何です。護衛として見守っております故」
 ほら、とアスナに促されてシュナイゼルもこちらに視線を向けないようにしているがそわそわとしている女性たちをみやってシュナイゼルは心の中で嘆息した。正直、声をかけたらその次、その次とくるのだろう。終着点が見つからなくなりそうだ、とシュナイゼルは頭を振った。
 そんな様子を見てアスナはくすりと笑う。普段は仮面をつけていてわかりづらい表情だがこういうふとした瞬間にわかりやすい表情を見せる。面倒くさい、とまではいかないがどう考えても自分から積極的に声をかけようとはしていない。まあ、女性から誘うなんてマナー違反だから声さえかけず、遠巻きから見守られている分にはかまわないか、と判断したのか。自分から言っておいてあれだが――幼い子どものような、可愛らしい人だな。
「でも、一曲ぐらい踊らないと色々言われそうだね」
「……ええ、まあ。とは言っても、お相手を一人選べば、もう一人もう一人と言われるかと」
「言われない人間がいるだろう?」
「……?」
 アスナはまるで思いつかない、と首を傾げた。かしげた拍子に髪の毛が揺れる。その髪をシュナイゼルは手袋を外してすくい上げた。赤い髪は炎のような色をしているのに、まるで氷のような冷たさを感じる滑らかさだった。指からさらさらと落ちていく髪にキスをするとアスナは一気に頬を赤くして、そして、口をパクパクとさせた。髪から下に落ちている手へと指を滑りこませると黒い手袋に包まれた手をすくい上げて、ゆっくりと自身の唇へ近づけて微笑んだ。

「クラウン卿、よろしければ私と一曲踊っていただけないだろうか」
「……はい?」

 この人は何を言っているのだろう。
 正直にそう思ってしまったのだが、アスナは騎士服だ。黒い、黒い騎士服はまるで喪服のようでこんな華やかなパーティーの場にはふさわしくないと陰口を叩かれていることなど承知の上だ。アスナは熱で融けてしまいそうな頬をなんとか隠そうとするが隠しようもない。顔が近い、と反論することもできず、言葉はのどが渇いて張り付いてきて出てこない。
「あ、え、っと……」
 アスナが答えを言い淀んでいると、シュナイゼルの手が優しくアスナの顎をすくい上げた。
 そも、いいも悪いもない。皇族の誘いを公の場で騎士であるアスナが断る権限などそもそも持ち合わせていないし、アスナはシュナイゼルの言葉にNOという返事は持ち合わせていない。(いや、必要に応じていいえという度胸も持ってはいるし、常識的に考えて駄目なものは駄目だといえる)わかっていてやっていることだけは明白だった。
「……しかし、殿下、私は、――その、今日は、騎士服なのです……」
 ダンスを踊るには無粋な、黒い、喪服のような騎士服。それだけいうとアスナはきゅ、と形の良い唇を一直線に固く結んでしまう。対してシュナイゼルは一瞬目を見開いて、そして、笑みを浮かべた。
「構わないよ」
「え?」
「君の騎士服の長いインナーガウンは後ろからみるとイブニングドレスにも引けをとらないよ」
「し、しかし……私は」
 騎士としての役割を放置してダンスを踊るなど――という言葉は紡がれることもなく腕を引かれてダンスホールへと連れていかれた。長いトレークのついたインナーガウンはシルクテイスト・オーガンジーの特注品だとシュナイゼルは知っている。本人は喪服のようだ、と揶揄するがシュナイゼルはそう思ったことはない。人々の注目を嫌というほど浴びながら、ダンスホールの中央へ。
「ほら、手を組んで」
「は、はい」
 言われるがままに手を組んで向き合う。まるで図ったかのように――新しい曲がかかり、それに合わせてアスナとシュナイゼルはステップを踏む。ワルツの音楽で自然と男女が密着するダンス――社交ダンスなら一番ベターな選択と言えるし、定番のダンスだ。
「アスナ、ちゃんと私の顔を見てくれないと」
 逸れているアスナに向かってシュナイゼルに穏やかな声に、アスナはゆっくりと顔を持ち上げた。普段は青白いのではないかと思うくらい白い肌には今は朱が刺していて、わずかに赤みを帯びている。その瞳は恥ずかしさか、それとも別の理由か――うっすらと潤みを帯びてシュナイゼルを見上げていた。それが背筋を通る背徳感にシュナイゼルは目を細めた。
「いい子だね」
 心臓がバクバクと跳ねてうるさい。いい加減慣れてもいいと思うのだが、いつまでもこの心はシュナイゼルへの接触に慣れてくれない。ワルツは密着するダンス。近づく度香りが混ざるような感覚がして、くらくらする。
 オーケストラが奏でる音楽があまり耳に入っていない。なんとか曲について行っているような、そんな感覚だったがなんとか様になって踊れているようだ。正直、気持ちが落ち着かないのでダンスにはまるで集中できそうにないがまさかシュナイゼルと踊っていて無様なダンスを踊るなんて事はできないので集中するしかない。

(……さあ、よくみるといい)

 シュナイゼルは自分たちに注目が集まっていることなど十分分かっている。
 ――美しいだろう?
 赤い髪はまるで炎のよう。
 その表情は冷徹のようでありながら、シュナイゼルの前ではまるで恋を知ったばかりの乙女のように朱に染まり恥じらって見せる。騎士という鋼の仮面を脱ぎ捨てた彼女のなんと愛らしいこと。誰にも渡すつもりもないが、と笑ってみせる。なんて煩わしいことか。騎士服を身にまとったアスナの美しさもわかる。戦うアスナを死神だと言ったものもいた。
「今度はドレスにしよう、アスナ」
 シュナイゼルは誰にも聞こえないようににこりと微笑んだ。
 アスナは顔を赤くして、――そして、小さく。
「お戯れは、ほどほどにしてくださいませ……」

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