その墓標に名前はない


 アスナ・シュヘン・ガル・クラウンは騎士である。名実ともにブリタニアが誇る最強の騎士。戦うことを誉れとし、帝国臣民全ての剣の象徴。あらゆる戦場で戦果を飾り、その見目の麗しさからは「紅薔薇の騎士」と呼ばれ、黒い葬列の服は着飾られたそれと称される。彼女は戦うことに価値を見出していたし、戦わない自分に価値は見いだせなかった。――そう。守るためには戦う必要がある。だから、剣をとり、KMFを駆り、政治を巡らせ、時として謀略すら考える。戦い、勝ち、守り通すこと。そのためにアスナは生きていると言っても過言ではなかった。
 ――気付いたら、病院の消毒液の臭いがたまらなく鼻につく無菌室の機械的なベッドに寝かされていた。僅かにぼんやりとした意識でここが病院だと認識した頃、医者たちがせわしなく動いているのがわかった。意識が覚醒してくると情報があらゆるところから入ってくる。無菌室のベッドはたまらなく消毒臭かったし、医者たちはしきりに奇跡だ、とか、まさか目覚めるなんてと口々に言ってそれぞれの仕事につく。一人の医師がアスナに向かってお目覚めですか、という。年の老いた――しかし、しっかりとした立ち姿の医者だった。たっぷりと蓄えられている髭は威厳を表しているのだろう。同じ髭を生やしている第一皇子オデュッセウスはいつまで経っても威厳とは無縁の人だな、などと脈絡のない考えに頭を張り巡らせた。老年の医者は続いて気分は、などと聴くからアスナはとりあえずマスクを外してくれ、といいたかったが無菌室の中でマスクをしていないのは厳禁だろうし、何よりもこれは酸素マスクだ。簡単には外せないのだろう。しかし、それでもアスナはしっかりと医師を見上げて言った。
「最悪だ」
 それをしかと聞き届けた老年の医者は呵々と笑い、それは上々。と言った。何が上々か、とアスナは内心悪態をつく。体は重たいし、頭はガンガンとする。おそらくは体を休めるために麻酔やら何やら使われたことだろう。しばし体を動かしていなかったせいで完全に鈍っていることだけは容易に想像がつく。
「それだけ悪態がつければ治りも早まりそうですな。シュナイゼル殿下もご安心なされるでしょう」
 ――シュナイゼル殿下。
 その名前を聞いて、さあ、と血の気が引く思いがした。そもそも、なんで自分はこんなところに寝かせられていたのか全く思い出せないのだ。今は何月何日で――今は何時なんだ。シュナイゼル第二皇子殿下と聞いて瞬間的に表情が変わり、心拍数が変わったのだろう看護師が慌てて話し出すのが耳を突くが、言葉としては認識できない。単なる甲高い――戦場で戦地を蹂躙する時に聞こえる女の悲鳴と同じようなものに聞こえた。鎖骨静脈に太い二本の針が入っているのが見えた。栄養点滴とおそらくは輸血の針だった。これに生かされているのは十分にアスナにも理解できることだったがそれどころではなかったのだ。急いで行かなくては、その御前に戻らなければ、と焦る気持ちばかりが先行する。ベッドに寝かされていた体はギシギシとまるでオイルも何も刺していない金具のような音を立てて悲鳴を上げるがそんなこと構っていられるものか。
 そうだ、そこまで体を動かして漸く理解した。KMFに乗り、戦場に出て――そして、戦には勝った。その後だ。荒らすだけ荒らした戦地でその状況を見回っていた時に襲われたのだ。あれは子供だったか。ナイフで確か腹を刺された後――と思い出したところでぐと、体から力が抜けた。そうだ、腹を刺され、その後に子供はまだ動いているアスナに恐れをなして、もう一回、別のところを刺したのだ。そこからの記憶が曖昧であることを考えると、意識を失ったか。さすがに出血多量だったことだろう。――では眠っていたのは二日かそこらか。
「思い出しましたかね。まあ、その腹を刺された後、貴方は崩れてくる瓦礫からその子供をかばって瓦礫の下敷きになったのですよ」
 なるほど。道理で足が痛いはずだ。というか、下半身が潰れたのか――いや、足はある。動く感覚もする。手も、胴体も。すべての感覚がしっかりとしている。瓦礫の下敷きになった割には体は元気そうだが。そういう思考が老年の医者にバレたのか、彼は呵々ともう一度笑った。そして、心痛な面持ちで続けた。
「お持ちになられていた剣に感謝なさいませ。救助隊が来るその時まで折れず、瓦礫を支えぬいたのですよ。お強い剣でしたな」
 宝剣――ダモクレス。陛下より代々クラウン家、ひいてはクラウン大公爵家に下賜された剣であり。家督の象徴。家督を継ぎ、大公爵を名乗り、悪魔の数字、円卓の十三番目の椅子に腰掛ける際に渡される剣だ。これは全ての者のダモクレス。皇族の首すら跳ねる裏切りと権威の象徴。そうか、守られたか。アスナは自分が未だ死ねぬ身であることを剣に知らされたような気がした。
 老年の医師はほほう、と関心した。年若い騎士ではあるが決して血気に逸るたちではないようだ。恐ろしく冷静で、恐ろしく冷徹。自分の状況をいち早く理解して、そして落ち着きを取り戻したのは流石というべきか。まだ三十にも満たない医師からすれば小娘もいいところの騎士は次のことを考えていた。そう。いつ、この病院を出るか、だ。これだけ体が鈍っているし、傷だって治りきっていない。まして瓦礫の下敷きになって、いくら剣の支えがあったとはいえ完璧ではなかったはず。――ああ、どのくらいかかるか、と考えれば気が遠くなるような思いがした。気長に参りなさい、と老年の医師は再度、特徴的に呵々と笑う。アスナはしばらくはその笑いに付き合わされるのだろうな、と思うと憂鬱でならなかった。



* * *




 アスナは存外あっさりと無菌の集中治療室から一般病棟へと戻された。まあ、一般病棟とは言っても準皇族の、ナイトオブラウンズに数える騎士であるアスナの病室は一般病棟の中でも少しだけ世界観が違うようなそんな個室だった。軍病院も傷病者のランクに合わせて部屋を用意しているようだ。しかし、まあ、今のアスナには正直な話個室は暇で暇でならなかった――ということにならなかったのだから、自分の人望も捨てたものではないな、とアスナは思った。

 一番初めに病室に駆け込んできたのは意外や意外。――ギネヴィア第一皇女殿下であらせられた。気位の高い、しかしながら為政者としての姿勢がしっかりとしている彼女が自分のエリアを置いてわざわざ本国の、軍病院の、大公爵で従妹であるとはいえ、自分の元にやってくるとは想像もしていなかったアスナはやりかけの仕事の入ったタブレットを開いたまま固まってしまった。彼女はアスナが仕事をしているとわかるとたちまちその端正な顔立ちを怒りを通り越した呆れ顔にしてアスナを叱責した。――そんなことだから、相手に不覚を取るのです。ああ、しまった、これは長いぞ、と思ったがすでに遅い。恐れ多くも第一皇女殿下に意見できるあの老年の医師が回診でやってくるまでお説教が続いた。以後、留意いたします、という言葉を何度使っただろうか。

 次にたくさんのお花と共にやってきてくださったのは第一皇子オデュッセウス殿下だった。病院の訪問も兼ねているらしい彼はテレビクルーに退室を願って、アスナにたくさんの花を届けてくださった。君が好きな花がわからなかったんだ、と困ったように笑う殿下にアスナは気遣わせてしまったなと反省しつつ、どのお花も好きですよ、ありがとうございます、殿下、と応えた。たくさんのお花はクラウン家の執事が完璧なフラワーアレンジメントにして窓際に鎮座している。花を見ると心が和らぐ。

 次に届いたのは大量の――それはもう、大量の薔薇だった。誰だ、これはと宛名を確認してみれば……第三皇子クロヴィスからである。見舞いなのか、これは、とアスナは通信を繋いでクロヴィスを呼びつける。恐れ多くも第三皇子を呼びつけて、なんだこれは、この薔薇たちはと非難できる騎士などアスナしかいないだろう。クロヴィスはおや、と首を傾げた後に、姉上の絵のほうがよろしかったですか、と平然と述べた。いや、この子なりの優しさなのだとわかっているからアスナは強くは出なかったが……薔薇はありがとう、と述べ、不慣れながらもエリア11の総督を務めている彼をねぎらった。今度、傷が治れば、エリア11へいらっしゃってくださいと笑うクロヴィスにアスナは笑顔で是と応えた。薔薇は三分の二ほどはポプリや他のものへ加工してもらうことにした。

 困り顔のギルフォードとダールトンを引き連れてやってきたのは半泣きでドアを開けた瞬間に抱きついてきたユーフェミアとさめざめと泣くユーフェミアを見て更に怒り狂う戦場の華、コーネリアである。こちらはこちらでとても長いお説教だった。ギネヴィアとコーネリアで違うのは戦場に立っているか否か。視点がそもそも違い、アスナの敵地での行動や護衛を付けていなかったなどの点をつらつらと上げられ、更にはお前のことだから兄上のことでも考えていてろくに頭も働いていなかったのだろうと決めつけられた。間違ってはいないが間違っている。確かにシュナイゼル殿下のことは考えたが――と思ったところで気づいた。


(……もう三週間もシュナイゼル殿下にお会いしていない)


 任務前と入院してから二週間。
 第二皇子シュナイゼルとそのおつきのカノン・マルディーニ伯爵に会っていなかった。いや、当然だ。シュナイゼルはこのブリタニアの宰相で忙しくて当然の人だ。病院にわざわざ足を運んで見舞いなどできるはずもなく。かと言って品物が贈られて来るわけでもなかったので、まさか入院していることを知らないわけではあるまい、とアスナは思案してしまった。リハビリも順調すぎるほど順調だったが、ナイトオブワン、ビスマルク・ヴァルトシュタインが陛下からだと持ってきた書簡には完全完治するまでは原隊復帰を禁止とする、と書かれた公印及び陛下のサイン入りの公文書である。ああ、なんてこと、とめまいがしたのは言うまでもない。
 他のラウンズのメンバーはこれこそ好機と言わんばかりにアスナを茶化し、からかい、そして挙句にはこれで手柄をいただけるなどと言う始末。決して手柄を奪っているつもりはなかったが確かに最近戦場に出ずっぱりだったか、と思い返す。まあ、若いラウンズたちに出番を譲るのも吝かではない。
「休め、と陛下が仰られているのならそうしろ。これは稀有なことだ」
「……叔父上には温情ありがたく、とお伝えしてくれ」
 本当は今すぐにでも原隊復帰したい気分だった。シュナイゼルと会っていないことも原因だったが病院はひどく退屈だ。代わる代わるやってくる来客の応対をしていれば時間も簡単に過ぎるような気もするが見たくもない貴族の来客など、相手にするのも億劫だ。だからといって逃げ出そうと病室から抜け出せば白衣の天使たちが血相を変えて怒る。重傷者なんですよ、わかっているんですか、と見目も麗しい女性たちに咎められてはアスナもさすがに外出の意欲を失った。(元々、外に出て何かしたいタイプではないのだ)
 叔父からその後通信が直接入り、まさか直接お言葉をいただけるとは、その場で敬礼しようとして怪我人はおとなしくしていろ愚か者めぇ!とはっきりと言われてしまった。温情ありがたく受け取り、長らくの休暇をもらうことを告げると叔父は満足げに通信を切った。嵐のような五分だったが、その五分にどれほどのスケジュールを動かしたのだろうか、などと考えたくもなかった。

 ある程度動いていいことになると、アスナは病室の外に出回って、小児科の患者や他の軍属の者たちが集まるラウンジへと赴いた。スタスタと歩けるようになる速度に作業療法士や理学療法士たちは驚いていたが原隊復帰を早めたいから頑張っておられるのだろう、と微笑ましく見守ってくれた。小児科の患者――乃ちは子どもたちにチェスを教えたり、絵本を読んでやったり、とりあえず暇が潰せればよかったので彼らの思う遊びに付き合った。
 彼らは一様に何らかの病気やケガを抱えていて、アスナが騎士であることを知ると、KMFってどんなの、とか軍って厳しいのとか留めなく質問が飛び出した。これはいい暇つぶしだな、と思いながら軍事機密に関わらない限りで教えてやった。そういえば、双子の弟が「アスナは騎士じゃなかったら教師になってたかもな」と度々に口にしたが、そうか、たしかに教えてやることは嫌いではない。勉強であれ、何であれ。誰かが育つのを見るのは嫌いではない、――だから、あの子供も助けたのだ。瓦礫から。

 リハビリも予定より早く終えることとなり、アスナの入院生活は驚くことに一ヶ月で終了した。老年の医師は呵々と笑い、もう少し老人に付き合ってくれればよろしかろうにと言うが、アスナは自分の離宮のベッドでゆるりと療養したいと言えば訳知り顔で老人は笑った。
 ――はよう、殿下にお会い出来るとよろしいですな。
 びく、とアスナは肩を揺らして、そして、しばし考え込んで、ああ、と応えた。



* * *




 クラウン大公爵家の離宮――リブル離宮の使用人たちは主の帰りに涙を浮かべるものもいれば、明るくおかえりなさいと口にするものまで様々だったが一様にアスナが無事――とは言えないが帰ってきたことを喜んでいた。心配をかけたな、と声をかけ、留守の間家を守ってくれていた彼らに謝辞を述べ、アスナは離宮の使用人たちに二週間ほどの暇を出した。彼らは戻ってきたばかりのアスナを気遣い、残ると口々に言ってくれたがアスナは暫くの間は一人で療養したいのだと告げた。自分のいない間に戦ってくれていた家族に休暇を出すのなど当然のことだ、と家督としてアスナは当たり前だと胸を張ると彼らはそれ以上強くは言わず、何かあれば飛んでまいりますとそれぞれの休暇に入った。
 さて、一人だ、と張り切ったところで出鼻はくじかれる。一番付き合いの長い、それこそ生まれたときから共にいてくれた執事長のガリオンと双子のメイド長はこの暇は貴方の面倒を見ることに使いますといったのだ。なんて奴らだ、と思ったがありがたかった。まだ傷は痛むところはあるし、万全ではない。戦闘面でも信用できる彼らが残ってくれるのならそれはそれで助かった。食事の面も心配はいらなさそうだ。

 ――やっぱり、シュナイゼル殿下に会うことはなかった。

 離宮に帰ってきてから一週間ほど経つとアスナの体もほぼ万全に戻った。KMFのシミュレーターの感覚も戻ってきて以前とほぼ変わらない成績を叩き出す。ロイドに頼んでランスロットのシミュレーターでも借りるか、などと考えていて、シュナイゼルに通信やメールを入れてみようと試みるが、どうしても手が動かない。帰ってきてから一度も彼に連絡を入れられず、また、シュナイゼルからの連絡もないことに完全に心が怯えていることに気付いた。
(見放されてしまっただろうか)
 敵地の子供をかばって重傷など洒落にならない。公にはされなかったが、きっと宰相であるシュナイゼルの耳には正しい情報が行ったことだろう。もしかしたら――と考えて、アスナは急に部屋の温度が下がったような気がした。誰もいない部屋はなんだかとても寒い気がして暖炉に火でも入れようか、と立ち上がったところでころんだ。絨毯に足がもつれたからだが、なんだか急に体が重たくなって、立ち上がれないような気がした。なんだ、どうしたんだ、体はもはや万全に近いと言うのに。後一週間もすれば原隊復帰して――と考えれば考えるほど体は重たくなって、そして、ジワリ、じわりと涙が浮かんできた。
「……あれ…………?」
 何故、自分が泣いているのかわからなかった。すごく、心がぎゅうと締め付けられるように苦しくて、悲しくって。シュナイゼルのことばかり。もうひと月半も会っていない最愛の幼馴染に見捨てられてしまったのかと考えれば考えるほど苦しくなって、呼吸すら辛くなってきた。心配した盲導犬のマーリンがくるくると自分の周りを歩きだすがそれに取り合っている暇などなく、ただただ寂しかった。ああ、そうだ、これは寂しいんだ、と気づいたところでアスナは絨毯にぺたりと座り込んで、自分の体を抱きしめた。
「……っ」
 ただいま、って言ってない。
 おかえり、と言ってもらっていない。抱きしめてもらっていない。
 今までは体を治そうという意識が先行していてすっかりと忘れていた。シュナイゼルがこんなに会いにこないなんて、と考えてついに見捨てられたのだと思い至ってしまった。いや、それが当然なのだ。シュナイゼルはいつか自分を捨てるべきだと散々口にしておいて、――こんな。寂しくて、動けなくなるなんて、兎よりも質が悪い。ボロボロとこぼれ落ちる涙をそのままにしていると、マーリンがアスナの周りからドアの前へ鼻を揺らしながら歩み寄った。そして、二、三度わん、と吠えるとドアが開いた。

「マーリン、どうしたんだい?」

 たまらなく聞きたかった声にアスナは振り返った。いつも皇族の服ではないどこかラフな格好をしているシュナイゼルは手土産だろう化粧箱と薔薇の花束を持ってそこにいた。ぱちぱち、とまばたきすると涙がこぼれ落ちて、シュナイゼルはいつもの柔和な笑顔はどこへやら、ぎょっとした表情をしてアスナへ駆け寄った。
「どこか、痛むのかい? ああ、それとも何か辛いことが――」
 シュナイゼルの言葉が終わるよりも前にアスナは自分から抱きついていた。シュナイゼルの厚い胸板に耳と頬を寄せると嗅ぎ慣れた彼の香水の匂いが鼻腔に入り込んできてたまらなく安心して、たまらなく心が落ち着いた。不安でドキドキしていた心臓はあっという間に落ち着きを取り戻し、今度はシュナイゼルがそばにいることのドキドキで塗り替えられる。ほんとうに不思議な人だ。シュナイゼルはアスナがそうやって自分を堪能していることに気付くと、驚いた顔からゆっくりと柔らかな微笑みへと変わり化粧箱と花束をそっと床においてまるで壊れ物でも扱うかのようにアスナを抱きしめた。
「おかえり、私のアスナ」
 ああ、ずっとコレが聞きたかったんだ。
 アスナはシュナイゼルの背中にそっと手を回して、たまらなく嬉しそうな顔で頷く。
「本当はもっと早く君に会いに行こうと思ったんだが……ケガをした君を見たらきっと離れたくなくなると思ってね。ある程度仕事を終わらせようとしたら、次々問題が起きてね」
 君が起きてからずっと会えないままになってしまったよ、と困ったように笑った。そして、アスナを抱き上げて自分の膝の上に上げると涙の後の残る目尻にそっとキスをする。
「ああ、君が意識不明の重体だと聞かされた時、本当に心臓が潰れるかと思った。病院で君が目覚めるのを待っていたかったのに、決議は待ってくれなくてね。本当に君の傍を離れて申し訳なかった」
「……いたんですか?」
「私が離れた途端、君が目覚めたと車の中でメールを見たんだよ。とても悲しかった」
 強く自分の腕の中に閉じ込めるようにシュナイゼルは腕に力を込めた。アスナは何も抵抗はせず、シュナイゼルの腕の中で少しだけまどろんだ。混じり合う香水の匂いが心地よいものに変わっていく。ラフな格好だったのはそういうことか、仕事を終わらせてきたということは繰り上げた仕事もあったはずで――スケジュールを調整して二、三日休みをもぎ取ってきたのだろう。
「じゃあ、これから傍にいてくれるの?」
「……君が望むのなら」
 シュナイゼルの指がアスナの唇に触れる。ああ、なんてずるい人。私が貴方がそばに居てくれることを望まないわけがないのに。
「殿下、あの、」
「ん?」
 アスナは首にそっと腕を回して、体を少しだけ持ち上げた。目をつむるとシュナイゼルは得心がいったとばかりにアスナに顔を近づけてキスをする。実に一ヶ月半ぶりのキスである。アスナは触れるだけのつもりですぐに離れていこうとするがシュナイゼルはそうではなかったらしい、アスナの唇に吸い付いた後、角度を変えてもう一度。何度かついばむようなキスを繰り返した後に、アスナの唇の中に舌で割り入り深く口付けた。濃厚で、蕩けそうなやさしいキスにアスナはうっとりと目を細めて開けて、シュナイゼルを確認した。閉じられている瞼、柔らかな金糸の髪、自分をかき抱くたくましい男の手。体の奥が、うずくように熱い。
「ん……っ、は……ぁ」
「ん、コレ以上はやめておこう。君はもう少し療養が必要だ」
 シュナイゼルの手が優しくアスナの頭をなでて、額にキスをする。
「……ずるい」
「この続きはもう少し、君がよくなったら、ね?」
 今日は甘やかしてあげるから、このままここにいなさい、とシュナイゼルはアスナを抱きしめなおして背中をなでた。

「ああ、そういえばアスナ」
 飽きることなくアスナの背中をなで、他愛のない話を繰り返していた頃、シュナイゼルがふと思い出したようにアスナに言う。
「君から、言ってもらってないよ」
 ああ、とアスナは思い出す。
「ただいま戻りました、私のシュナイゼル殿下」
「おかえり」

ALICE+