この平凡な日常を愛した


 アスナ・シュヘン・ガル・クラウンは神聖ブリタニア帝国における不動の騎士である。ナイトオブワン、ビスマルク・ヴァルトシュタインと並び立ち、唯一皇帝シャルル・ジ・ブリタニアを守護し奉るラウンズの中でも双頭の鷹と称されるほどの勇名はすでに他国にも知れ渡っている。
 殆どが他国への侵略戦争に出兵という、おおよそ十代の女性とは思えない生活を送っているアスナであったが時として本国へ呼び寄せられることもあるのだ。大抵は、シュナイゼルの用件、または皇帝からとある力の使用について命令されるが――この要件はアスナにとって、ブリタニアにとって、そして世界情勢を定める上でもとても重大なものだと言えた。

 ウィンハーゼン公爵家は、ブリタニアにおける珍しい混血の貴族である。たいてい、ブリタニアの皇族や貴族というのは外交のために外の血縁を求めるということは少ない。現に第九十八代皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアの妃たちは百八人もいたが、外国の血筋となると片手で数えられるというほどだ。ブリタニア、EU、中華連邦、日本という現在世界情勢を大きく傾けさせかねない重大な国の、中枢足り得る血筋を持つウィンハーゼン公爵家の取り扱いこそ、目下、シャルルを悩ませていることであった。
 この家を無碍に扱うことは決して、シャルルであってもできない。外交上、もっとも有益であり、下手な扱いをすればいずれは戦争を起こすつもりがあるとは言っても現状大きくことを荒立てたくない大国とのパワーバランスを大きく崩してしまう可能性があるからだ。
 故に、アスナが呼ばれたのは致し方のないことだった。
 皇帝の前に膝をつくのとほぼ同等の最上級の礼を示した。――本来、大公爵であるアスナは公爵に対して礼を執る必要性はなく、むしろふんぞり返っても文句を言われることはない。そもそも、アスナは皇帝の姪であり、直系ではないとはいえ、高位の皇位継承者である。
 皇帝の騎士であり、それほど重大なアスナがウィンハーゼン家のうら若い当主にそのように礼を示すことは皇帝シャルルが彼らを手厚く遇するという意味合いを潜ませていた。その腹づもりは如何であったとしても、ウィンハーゼン家の守護を、ナイトオブラウンズにその一席を持つ近縁家であるシュヘンベルグ家に任されたということはそういうことだ。
(政治というのは、本当に嫌になる)
 アスナはウィンハーゼン家の当主の歓迎の言葉にそっと頭を上げた。実は、ウィンハーゼン家の当主とはこれがはじめての対面ではない。彼は、アスナの母のいとこにあたる。メーディアン家そのものはシャルル以前の皇帝によってその皇位そのものを取り上げられており、皇宮内でその名前を口にだすことすら禁忌であるかのような腫れ物の扱いであったが、ウィンハーゼン家の当主も、その奥方も年離れた従姉の子供であるアスナとはシュヘンベルグ家に引き取られてから真正面を向いて会うのは初めてであったからか、大いに成長を喜んでくれた。
 アスナはふと、奥方のドレスに捕まってこちらをじっと見つめてくる少女の気配を感じた。目が見えなくなって久しいがそれくらいのことはわかる、と膝をついて――アスナの本題はウィンハーゼン家の当主でも、奥方でもなくこちらの少女であった――静かに挨拶した。
「はじめまして、リディア姫。本日より、貴方の護衛を仕ることとなりましたアスナ・シュヘン・ガル・クラウンと申します」
 リディア・ウィンハーゼン。
 彼女こそアスナが守るようにと命じられた少女である。

 アスナにとってはとこに当たるその人物は天真爛漫で、しかし己の役割を理解しているある意味で聡明な少女だった。皇族とつながりの深いウィンハーゼン家の次期の当主として立派に役割を果たしながら、しかして同じ年頃のルルーシュ皇子やユーフェミア、ナナリー皇女の前では年相応の少女らしい雰囲気で笑った。
 今日も公務を終えて、アリエスの離宮へリディアとともにやってくるとルルーシュとナナリー、ユーフェミアが明るく彼女を出迎え、あっという間に遊びへと連れて行ってしまう。一瞬、アスナへと振り返ったリディアにアスナは優しく微笑みかけて頷くと、リディアも嬉しそうに笑って彼らの元へ駆け寄っていく。
 花畑からは柔らかな花の香が漂い、子どもたちの明るい声が響き、数年前このアリエスの離宮が血なまぐさい反乱事件の戦場だっただなんて誰が想像したのだろう。四阿から子どもたちを暖かく見守っている――ように見える――マリアンヌ皇帝妃がその両手に剣を持って戦っていたなど、誰も想像しないだろう。少なからず、ほんの数年前まではアスナも彼らの遊び相手をしてあげていた頃は、そんなこと想像すらしなかった。この平穏が偽物ではないと、信じていた。
 それらを見守りながら、アスナは四人が遊ぶ花畑のすぐ近くに立っているとリディアがとことこと近づいてきた。アスナはそれに気づくとリディアの前にかがんだ。
「どうした? リディア」
 本来ならリディアに対しては敬意を払わなくてはならないのだが、アスナはあえてリディアを子供として扱った。ウィンハーゼン家の次期の後継者としてすでに大人顔負けの公務をこなすリディアを子供として扱う者は少ない。いや、厳密には――正しく子供扱いしない。普段は大人と同じくらいの責任感を押し付けるくせに、都合が悪くなれば子供のくせにと揶揄する大人たちばかり。眼の前にいるのはまだ十歳にも満たない子供だというのに。
 そんなアスナの悲嘆も、きっとリディアにはまだわからないだろう。
 リディアはいつもと同じ、天真爛漫な笑顔だ。
「アスナお姉様、頭を下げてくださいな!」
「うん? いいとも」
 膝をついて頭を垂れるのはまるで騎士が姫に忠誠を誓う時のそれに少し似ていたからか、ユーフェミアから感嘆の声が上がっていたが、アスナは頭にぽふり、と乗せられた花の冠に驚いていた。見えなくとも、匂いと感触でわかる。スターチスの花かんむりだ。
「お姉様にもあげる!」
「……ありがとう」
 上手にできているのだろう、と思う。アスナは花の冠を外さず、ゆっくりとリディアに微笑みかけた。また、ルルーシュたちに呼ばれていってきます、という彼女に手を振って見送ると後ろからクスクスと笑う声が聞こえてきて、アスナは苦笑しながら振り返った。
「似合っているじゃない、アスナ?」
 マリアンヌ妃はそういう。どこまでが本心だろうか、とアスナは考えることはせずありがとうございますと社交辞令として礼を述べた。
 子供の笑い声が聞こえるのは尊い。
 戦場の中で、銃弾と悲鳴の音ばかり聞いてきたアスナにはあまりにも明るい場所のようにも感じた。
 リディアも、ルルーシュも、このまま平穏には生きられないのかもしれない。そう思うと、どっと肩が重たくなるような気がしたがアスナは静かに首を横に振った。
(今は、この平穏を愛して生きてくれればいい)

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