小さく、を伸ばしてみる


「おお、クバード、良いところに」
 クバードはくるり、と背を返して歩きだそうとしたのでサームはまあ、待てと彼を引き止めた。にこやかな笑みを浮かべているサームの姿にすぐに帰りたくなったのは仕方のないことだ。そう言えば、リーヴが今日は料理に挑戦すると言っていた。妓館に行っている場合ではないな、早めに帰って作った料理を食べて褒めてやらなくては、などと考えていた。
「お主、また遠方へ出かけるのだろう」
「ああ、アンドラゴラス王は俺が首都にいるのはお嫌いと見える」
「其れは日頃のお主の行動のせいもあるだろう。して、リーヴはどうするのだ?」
 連れて行くつもりがないのを分かっていて聞いているな、とクバードは思った。ため息を付きつつ、連れて行くつもりはないと言えばやはり、そうか、とサームは表情を明るめた。
「なら、リーヴは私が預かろう!」
「……は?」



 自分の後ろで完全に縮こまってしまっているリーヴを見て、クバードはまあ仕方ない、と思った。この後、すぐに出発であるためクバードは外套をつけており、サームの隣りにいる少女に警戒を示すまでではないものの、完全に人見知りを発揮して外套の中から、クバードの腕の合間を縫って少女と言葉にならないにらみ合いをしている。
(……だから言ったのだ。慣れんと出てこないぞ、と)
 サームを見ながら、クバードは嘆息した。この引き取ったリーヴという少女は徹底した人見知りだ。サームの隣に立っているのはサームの娘であるヴィリアルトである。クバードも何度か顔を合わせたことがあり、快活で好ましい少女であるが――リーヴがすぐに人馴れすることが無いので、どうしようもないが、これから一週間はリーヴは彼女の元で、サームの邸宅で暮らすことになる。
「リーヴ、私の娘のヴィリアルトだよ。仲良くしてあげておくれ」
 サームに言われ、リーヴはそろそろとクバードの外套から出てきた。まだ僅かに不安そうな色を灯すものの、クバードやサームに迷惑をかけたくない思いもあるのかもしれない。名残惜しげに外套を掴んでいた手が、するりと離れたのでクバードはリーヴの頭を撫でてやった。
「ヴィリアルトと仲良くな」
 こくり、と、小さく頷いたリーヴをみてクバードは少しだけ笑った。


 ――とは、言ったものの。
 リーヴは此れまで誰かと友だちになるとか、そういう経験がまったくなかった。つい最近、イスファーンという友達ができたが、あれは成り行き上であった。彼に助けてもらったと言うか、逃避行をした結果仲良くなった。鍛錬に付き合ってもらったり、市場へ遊びに行ったりする良き友人だ。同年代の女性、とはなかなか関わる機会もなかったので(これまでリーヴがいた場所も、いた場所であったし、義兄含め、男ばかりだった)ヴィリアルトにどう話しかけてよいかわからなかったのだ。
「……」
 リーヴはこっそり、とドアの影からヴィリアルトを伺ってみた。どうやらサームから習い事をしているようで、彼女は本とにらめっこしながら、父である彼の言葉を聞いていた。リーヴもぜひ、お勉強に加わりたい思いがあるのだが、どうにも二の足を踏んでしまう。すると、顔を上げたヴィリアルトとばちり、と目があってしまった。慌てて、ドアの向こうに隠れようとしたが、先に声をかけられてしまう。
「あれ、リーヴ?」
 リーヴは逃げようとした足を止めて、またそろそろとドアからヴィリアルトを伺った。
「一緒にお話聞く?」
「……うん」
 ドアの向こう側からリーヴはぱたぱたとヴィリアルトとの隣にやってきたのを見てサームは少しだけ目を見開いた。城でも、クバードがいなければあれほど不安そうな顔をするリーヴだが、ちょっとずつちょっとずつ前に進もうとしているらしい。サームなりに、娘であるヴィリアルトにも、リーヴにも同年代の女友達ができたら、ぐらいの思いだったが良かったのかもしれない。
「あ、あの、ヴィリアルト、さん」
「うん?」
「わ、わたし……リーヴ、です」
 まだ、自己紹介してなかった。リーヴは少し顔をうつむかせながら、頬を赤くして精一杯声を出した。少し震えていたのは緊張からだ、仕方ない。
「私はヴィリアルトよ、よろしくね」
 ヴィリアルトが笑顔でそういうので、リーヴは目を輝かせて、大きく頷いた。

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