世界は、貴方のために。


「お誕生日、おめでとうございます。殿下」
 朝一番、何時ものようにベッドの中で目を開けてしまうと、柔らかな微笑みと共に聞こえてきた声にぼんやりとベッドサイドに置いている卓上カレンダーへ視線を向けた。――――一月十二日。シュナイゼル・エル・ブリタニアの誕生日である。
「ありがとう、アスナ。……君と一日、ゆっくり出来たらよかったのに」
「それは宰相閣下の悲しいところですね。本日はお祝いに関してのパーティーが目白押しです。国賓もいらっしゃっておりますから、当然殿下が欠席などということは出来ませんね」
 クスクスと笑いながらまだネグリジェ姿のアスナは少し不満そうな顔をするシュナイゼルの頬にキスを落とした。誕生日当日は毎年のように忙しい。結婚して初めての誕生日くらい穏やかに過ごさせてもらえないだろうか、という考えを察したかのようにアスナはシュナイゼルを優しく抱きしめる。
「一日、お傍におりますよ、殿下」
「……それは嬉しいのだけれどね」
 さあ、着替えましょう。とアスナが苦笑するので、シュナイゼルもアスナに朝のキスを落として、ベッドから出た。ブリタニアに雪は余り降らないが朝の早い時間は当然のように寒い。二人分のぬくもりで温まっていたベッドから足を出すとアスナがふるりと震えたのが見えた。
「寒さを理由に休めないかな」
「殿下、そのようなことをおっしゃっている暇なんて、今日はありませんよ」
 そんなことが出来るなら、とっくにしていますとも。とアスナはいいたげで、シュナイゼルは苦笑した。寒さが苦手な彼女はこの時期は今までは冬眠するかのように研究を理由に閉じこもっていたのだから、宰相妃となってそれができなくなった現状を意外と気にしているようだった。

 午前中は宰相府でいつもどおり仕事だった。
 アスナはシュナイゼルの傍にいた。――――本来なら、アスナはアスナで公務がある身なのだが、今日だけは全ての公務は取りやめとなり、シュナイゼルの傍にいる。書類仕事の手伝いなどは文官がいるし、身の回りの世話にはカノンもいるので、アスナは本当にシュナイゼルのデスクの前のソファに腰掛けているだけだ。
「……殿下、私も何か」
「いいの、そのままでいて。それだけで私は満足だから」
「……はぁ」
 にこり、と楽しそうに微笑むシュナイゼルにアスナは口をつぐんだ。紅茶は二人分、お菓子も二人分用意されており、何時でもシュナイゼルが此処で休憩を取れるようにとカノンが準備してくれたのだが、アスナはどことなく落ち着かない。元々せわしなく動いている方が身に合うし、実際十年近くそうやって生きてきたので、こうやって何もすること無くただ座っているだけは落ち着かない。そわ、と体を動かすと、目の前でシュナイゼルがくすりと笑う。
「殿下、からかわないでください」
「いや……本当になにかしていないと落ち着かないんだな、と。侍女たちが心配していたよ、奥様は他の妃殿下たちと違って毎日毎日何かしていないと落ち着かれない、って」
「……私だって、休む時は休んでいますよ?」
 アスナは居心地悪く紅茶のカップを持ち上げる。今日のカップはシュナイゼルのお気に入りの白磁に赤薔薇の意匠のものだ。
「少し足りない、と周りは思っているようだね。精力的なのはいいけれど」
 評判も上々だしね、とシュナイゼルは最後の書類に決済のサインを入れて、カノンへ手渡すと立ち上がった。ゆったりとした足取りでアスナの元へやってくると、その額にキスを落とす。そして、隣へ腰掛けるとアスナがカップへ注いだ紅茶を受け取って香りを楽しんだ。
「殿下の方がお忙しいのに、妻の私が休んでなど」
「……その言葉、ぜひ、他の皇帝妃たちに聞かせたいねぇ」
 シュナイゼルがそういいながらカップをテーブルに戻すと、そのままアスナの方へ倒れ込み、膝の上に頭を乗せた。すでにカノンも退室しており、部屋には二人きりだ。仕事が済み、この後はパーティーに向けての準備が待っているので休憩するならば此れが最後のチャンスだろう。アスナは何も言わずにシュナイゼルの頭を優しく撫でた。柔らかな金糸の髪を梳くと、シュナイゼルは心地よさげに目を細める。
「他の方々はあれが仕事です。私はこのブリタニアの代表する役割もあるんです」
 アスナは夫であるシュナイゼルが甘えてきたときには好きにさせようと決めている。日頃から、完璧な第二皇子であろうとするシュナイゼルがこうやって楽な気持ちになれるのならば、幾らでも甘やかしてあげたくなる。別にこれで周りに被害も出ているわけではないし、アスナ自身シュナイゼルと触れ合えるのはとても嬉しいのだ。
「まあ、それが君の良いところかな。私としては結婚してからもう少し君と一緒にいられるかと思えば、そうでもなくて寂しいのだけれど」
「……以前に比べれば格段に増えたのでは?」
 ――――以前、というのは騎士時代だ。
 アスナはあの頃世界中を飛び回って、軍事だ、一時統制だ、と本国にいないことのほうが多かった。ひと月に何日、このブリタニア皇宮にいただろうか。もしかしたら片手で数えたほうが早かったのではないだろうか、と思うほどだ。確かにあの頃に比べれば、アスナはこの皇宮から公務へでかけて、夜には戻ってくる。泊りがけの公務はひと月に片手に数える程度まで少なくなり、朝食も夕食も、うまく噛み合えば昼食だってシュナイゼルとともに出来るようになった。
「そうだね……あの頃に比べれば、君はずっと私の傍にいてくれる」
 シュナイゼルが満足げに微笑んでいる。あの頃は見えなかったものが、今のアスナには見えるようになった。まだ、時折視界が霞むことはあれど、ずっと見える。するり、と指でシュナイゼルの頬を撫でると、シュナイゼルが嬉しそうに笑って、同じようにアスナの頬に触れてくれる。
「もっと、もっとと望むのはあまりにも強欲かな?」
 そんなことを不安そうに口にするので、アスナは困ったように笑いながらシュナイゼルの額にキスを落とした。
「殿下、今日は貴方の誕生日ですよ。好きなだけ、望む分だけ、私は殿下のお傍におりますよ」
 その言葉に少しだけ安心したのか、シュナイゼルはそうか、と呟いた。
「誕生日だけ?」
「勿論、誕生日以外でも。私は、殿下の望みを叶えることが一番ですもの」
 アスナの声が、するりと染み入るようで、シュナイゼルは目を閉じた。アスナの髪がシュナイゼルの顔を隠すカーテンのように覆いかぶさる。ゆっくりと触れ合った唇のぬくもりが心地良い。数度、触れ合うキスを繰り返して、アスナが離れていく。薄っすらと、目元と耳を赤くしているアスナは未だにキスに慣れないようで、可愛らしい。
「パーティーが終わったら、二人きりでいられるかな」
「明日は公務はお昼からですから、殿下のお好きなように」
「楽しみだね」
 シュナイゼルがくすくすと笑う。それは恐らく自分の顔が赤いからだ、とアスナは気付いて、もう、と揶揄われたことに少しだけ諌める声を上げるが、シュナイゼルにはあまり届いていないらしい。彼は起き上がって、頭を軽く振ると髪を落ち着かせた。
「さぁ、この後は夜会だ。――――私の傍で、咲いていてくれるね?」
 差し出された手。
 アスナは照れた顔を、柔らかな微笑みに変えて、その手にそっと自分の手を重ねた。

「勿論です。貴方が、いる限り」

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