新城テツがいかにして雀ヶ森アスナに絆されて行ったかと言うお話


 最近、妙な連中に付きまとわれている。紅い髪の双子で、姉と弟。先日、舎弟たちが生意気だと、連れてきた二人なのだが、ひょんなことから付きまとわれるようになり……弟の方は俺にヴァンガードというカードゲームを勧めようとしていて、姉の方は……
 そんな回想を思い浮かべていたテツの背後から走ってくる人のリズムの良い足音と、「テツー!」と自分を呼ぶ、明るい女の声が聴こえてきた。びくりと、何人もの舎弟を抱えるテツの肩が震えた。どうにも、あの女は苦手だった。おそらく、美人の部類に入ると思う。覚めるような、美しい顔立ちにルビーの瞳、白い肌、中学1年生の割には育っている体つき……どこをとっても、申し分ない人間だというのはなんとなくわかるのだが、どうしてもテツはあの猪突猛進とまで言える一直線具合と、双子とは思えない程弟より理知的で、理性的なのにもかかわらず、時折素で飛び出す天然発言と行動にどうにも振り回されてしまって苦手だった。追ってくるな!!と言えば、嫌だ、ときっと何人の男を虜にしてきたであろう美しい笑顔で断ってくる。ちょっと待て、お前足が速すぎるだろう、と全力で逃げながら叫ぶが、愛の力だよ!と途方もない返事が返ってくる。何か惚れられるような事でもしただろうか、いや、してないはずだ。気付けば、背中に衝撃で、地面にダイブして、顎を擦って痛い。思ったよりもずっと重たく感じるのは、彼女から向けられる愛が重く感じられているからだろうか。――実体重だろうか。そんなことを考えながら、顔だけそちらへ向けて、にらみを利かせてみるが彼女――雀ヶ森アスナはけろっとした表情で「つっかまえた」と語尾にハートマークでも付きそうな程の甘く蕩けそうな声で言っていた。

 俺はどうも雀ヶ森アスナが苦手、だ。

 明るく天真爛漫。しかし、双子の弟――雀ヶ森レンがあの様子だからか、お姉さんらしくリーダーシップもあり、よく噂を耳にする。あの二人の顔立ちが揃って良いことからか、弟とセットで噂になることもあれば、男子たちの間で高嶺の花のように噂されることもある。上級生の中にも、ファンがいるとかいないとか。どうでもいい、と聞き流していたが、まじまじと顔を見れば、確かにかわいらしい顔立ちをしていると思う。中身はともかくとして。
「テツにそんなに見つめられると照れちゃうっ」
「心配するな、見つめてないから」
 早く上からどけろ、と言うが、どけたらテツ逃げちゃうでしょと言われる。まあ、その通りなのだが。出来れば、早くこの場から立ち去りたい。出来るだけ早く。迅速に。この女といると急速に体力を奪われていくような、そんな気分だ。いつでもニコニコしていて、何を考えているか、全く読めないタイプ。なんで、俺みたいな奴を好きになったかも微塵も理解できなくて、苦手だった。無理やり持ち上げるようにしてどかして、ぽい、と投げ捨てた。ひどいっ、と嘘泣きするようなしぐさを見せるが、そんなものに騙されるようなテツではなくて、深々とため息をついた。
「弟もお前も、どうして俺なんかが良いんだろうな?」
「それはテツがテツで気づいてない以上に素敵だからじゃない?」
 恥ずかしがる様子もなく、きょとんとした顔で、なんでそんな当たり前の事を聞いてくるのとでも言いたそうな表情を浮かべてアスナははっきりと言い切った。予想以上の掛け値のない言葉に、不覚にもテツの顔に熱が集まってくる。大きな赤い瞳がこちらをじっと見つめてくるのが、妙に居心地が悪く感じて、テツは顔をそらした。どうしたの、どうしたの、としつこく覗き込んでくるアスナの顔を自分の手で覆い隠すようにして、無理やり引きはがした。見れないよ!と叫んでいるが、無視することにした。

 やっぱり、雀ヶ森アスナは苦手だった。

 どうにもいつの間にか、舎弟たちの間に好かれ始めているレンとアスナ。今日は舎弟たちにヴァンガードのルールを教えて、実際に勝負していた。ヴァンガードバカは弟だけかと思ったら、アスナも出来るらしい。強いのかどうか、と聞かれるとやったことがないので分からないが、楽しそうな笑顔が妙にまぶしく見えて……と思って、首を思いっきり振った。何考えてるんだ、と思ってアスナから目をそらす。テツが来たことにようやく気付いたのか、アスナが顔を上げた。
「テツ!」
 まるで飼い主を見つけた犬のように、おそらく尻尾があったのなら大きく振られていたのではないかと思ってしまうくらいだった。猪突猛進に自分の所へと追突してきて、腹と背中に大きな衝撃。背中に至っては鈍痛がするが、もう慣れてきた。えへへ、と抱きついて来てうれしそうに笑うアスナと、少し恨めしそうにこちらを見ている弟と、なぜか微笑ましげに見つめてくる舎弟たちにいたたまれなくなってきた。しかし、どうにも拒絶できなくて、困る。

 雀ヶ森アスナの意外な特技を見た。

「じゃじゃーん!!」
 いつも通り、学食で天丼を食おうかと思っていたのに、無理やり引き摺られて屋上に連れられてきたかと思えば、弟のレンが屋上に敷物を敷いて座っていた。その中央には弁当箱があって、アスナと弁当箱へ視線を行ったり来たりさせた。誰が作ったんだ、というこの疑問に答えたのは、アスナ本人だった。
「俺が作ったの!食べてみて!」
 料理が出来るとは正直思わなかった。世間知らず、と言うわけではないが、どことなく世間一般とずれているように見える彼女から料理と言う言葉を関連させるのは正直言って難しいだろう。無理やり敷物の上に座らされて、弁当を渡される。お茶も渡されて、食べるしかないのか、とある意味の覚悟を決めて、弁当のふたを開けてみれば、きれいな弁当だった。彩りもよくて、栄養のバランスもよさそうだ。ついつい、二度見して、アスナを見た。すごいでしょーと、笑っているアスナを見て、レンを見ると、すでに弟の方は食べ始めていて、「姉さんのお弁当は何時食べてもおいしいです」と言っている。恐る恐る箸を手に取って、卵焼きを摘んだ。口に入れてみれば、少し甘めだったが、美味しい。
「うまい……」
 と感想を漏らすと、満面の笑みを浮かべてありがと、というアスナが妙に綺麗に見えて、顔をそらして弁当を食べることに集中した。

 ちょっと元気がないと、何だか落ち着かなくなる。

 校舎裏でいつものようにさぼろうと決めて、教室から出てきてみれば、先客がいたようだった。紅い髪、ああ、雀ヶ森双子のどちらか、とテツはすぐに踵を返そうとしたが、膝を抱えて座っているのがアスナだと、分かると妙に気になった。いつもだったら、声をかけなくても気配で分かるのか、半径5m以内だったら、どんなに隠れていても見つけ出されるというのに、今日は直線状にいても気づかないどころか、顔すらあげず、ただ膝を抱えて、そこに座っていた。気になって近づいてみれば、ようやく顔を上げた。
「あ、テツ。今日もサボり?」
「お前は、珍しいな。……何かあったのか?」
 隣りに腰かければ、抱きついてくるかとも思ったが、そんなこともなく、先程と同じように膝を抱えて、地面ばかり眺めていた。ううん、と首を振ったが、何かあったことは明白だった。いつもなら、もうとっくに抱きついて来て、背中なりどこかなり痛くなっている頃のはずだからだ。何だか、いつもと違うと調子が狂う。何とも言えないいたたまれなさを感じて、アスナの頭の上に手を置いて、わしゃわしゃとかき乱す。わっわわっ、と驚いた声が聴こえるが、あまり気にせず続けて、暫くするとやめた。
「……まぁ、元気出せ」
 ぱちぱち、と目を瞬かせて、呆然とした顔でこちらを見つめてくるアスナに、テツは顔をそらした。妙に頬が熱く感じるが、断じてこれは、そういう感情じゃないと、言い聞かせる。絶対に違う。うん、と笑った顔が、いつもの笑顔とは違って、少しその目尻に涙が溜まっているように見えたのだが、直にテツは優しいね!と普段通りに抱きついてきたもんだから、意識が逸れて、そのことなんて忘れてしまっていた。

 泣いている瞬間を見てしまって、どうしていいか分からなかった。

 本当に偶然だった。また、校舎裏で蹲って座っているアスナを見かけた。あれからしばらく見てなかったなと、思ったのに。テツはどうにもああいったアスナにはなれずにいた。いや、普段のアスナですらどう取り扱っていいか分からないというのに、こんな風に見慣れないアスナなど、見ているだけでも落ち着かず、できればいつもの振り回すくらいのアスナに早目に戻ってほしいと思うくらいだ。最近、どうにも自分がおかしい気がするのは、弟のレンに絆されて、ヴァンガードを始めるようになったからか、どうか。アスナに近づいて行って、また頭でも撫でてやろう。そうしたら、きっといつものように喜んで、と思って、頭に手を乗せると、びくり、とその肩が震えて、向けられた瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「あ…っ、テツ」
 脅えた目だった。アスナと知り合ってから、初めて見る目だった。ぼろぼろ、と零れ落ちていく涙は、テツへの脅えなのか、どうなのか分からない。ともかく呆然としてしまったが、襟ぐりから見えてしまった青痣に何故、アスナが脅えたか合点がいった。
「誰にやられたんだ」
 即座に、そう聞けば、アスナは慌てて首を振った。違う、誰でもない。転んだの。と言い訳するように早口に、脅えながら。震えながら。もし、ここらの不良なら、俺が助けてやれるかもしれない、なんて思ってしまった。膝を抱えて、自分を守るようにこらえるように泣いていた。
「レンは知ってるのか?」
 小さく首を横に振った。何故知らせない、とも思ったが、弟の事を大事に思っているアスナの事だ、こんなことに巻き込みたくないと思ったのだろうか。ぽんぽん、と頭を撫でて、そのまま自分の胸にぐいと、引き寄せる。テツ?と不安げな声が聞こえてきて、もう片方の手で背中をポンポンと優しく叩いた。すると、恐る恐る手が背中に回ってきた。いつものお前だったら、全力で抱きついて来てるだろう、と思いながら、優しく背中を撫でてやると、少しずつ嗚咽が聞こえて来た。次第に大きくなっていく泣き声にただ、抱きしめてやることしかできずにいた。この時はまだ、いつも明るくふるまっているレンやアスナが、父親から虐待を受けていたなどと言う事実をテツは知らないし、この傷がレンを父親からかばったものなどと分かりもしなかったが、ただこらえるようにして泣くアスナを見ているのがつらかった。泣きながら、終始、レンには言わないで、つたえないで、と言い続けるアスナにああ、と短く答えて、泣き疲れて眠り、再び起きるまで、傍にいた。――守ってやりたい、なんて思ってしまっている自分に気づいてしまった。

 もやもや、と燻る気持ちが何なのか、思いのほか早く決着がついた。

 笑顔を見ていると安心する。元気がない姿を見ると落ち着かない。泣いている顔を見ていると辛い。この感情が何なのか、気付かない程テツは自身の事に鈍いわけではなくて、気付いてしまった時には舎弟たちの前で柄にもなく長い長いため息とともに頭を抱えた。そのせいで舎弟たちから数日ほど体調の心配をされてしまったが、まあ、身体は何ともなかった。まあ、なんというか、こういう気持ちは自覚してしまうと、妙に意識してしまって我ながら女々しいな、とテツは思ってしまった。通学路で、いつものように笑ってテツ!おはよう!!と声を掛けてくるアスナを見て、安心するのだから、よほどだな、と思っておはよう、と返すとアスナが目を見開いた。そして、嬉しそうに笑う。もっと笑顔で居てほしい、と思った自分が居て、ついつい顔をそらした。レンと目があった。彼からは想像もつかないような冷たいまなざしで見つめられ、テツは背中にひやり、と汗が伝ったような気分になった。どうやら、この想いは、弟に阻まれるのやもしれない。
「テツ、あのね」
 いつものようにいろいろ話しかけてくるアスナの話など、あまり頭には入って行かず、聞き流しのようになっていたあの頃とは違って、どんなくだらない話でも頭に入れようとしているのだから、人の動機は単純すぎて困る。
「なあ、アスナ」
「なあに?」

 ――好きだ、って言ったらお前はどういう顔をしてくれるんだ?


 新城テツがいかにして雀ヶ森アスナに絆されていったか、というお話。

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