ったく……と零した桐生の様子に、紅葉は振り返った。今日何度目かわからないヤクザの襲撃にうんざりしたくなる気持ちは紅葉も一緒だった。すでに血塗れになりつつある木刀を白い布で綺麗に磨き上げると、白から赤へ変わった布を放り棄てた。それが合図であるかのように、襲ってきた屈強な男たちへ綺麗にしたばかりの木刀を顔面にねじ込む様に振り上げると、鈍い衝撃音と、男のうめき声が紅葉の耳についた。血があたりに飛び散って、それが白いスーツにつかないようにと数歩後退り、木刀を構え直す。
「今日は随分と絡まれますね、お酒のせいじゃないですか?」
 紅葉はとん、と背中に当たる大きな背中の気配に向かって軽口をたたいた。笑えねえよ、と呆れたような低い声が聞こえてきて、紅葉はついつい肩を震わせて笑ってしまった。今、紅葉の当たっている背中には龍がいるのだな、と思うと恐れ多い気持ちと、力が湧いてくる気持ちの両方が込み上げてくる。この人の背中に、背中を向けていられるなんてなんて素晴らしいのだろうか。紅葉は身に余る光栄を受け取り、体中が歓喜で震える。木刀を持つ手がわずかばかり震えるのはきっとこの人と肩を並べられるという武者震いだ。
「紅葉」
 声が聴こえてきた。はい、と振り返らず返事をすれば、頭にその大きな手が乗せられる。
「背中は任せたぜ」
 どれだけ、光栄な言葉だったことか。身震いをして、紅葉は強く木刀を握りしめた。まさか、背中を任されるなんて。置いて行かれるばかりではない様子だ、と紅葉は気分が浮上していく感覚をしっかりとかみしめて、表情を引き締めて、前を見つめた。
「はい、任せてください、桐生さん!」
 二人で力を合わせれば、これくらいの襲撃など大した問題にもなりはしない。強く握りしめた木刀を男たちに振るう。その後ろで、桐生が相手を殴り倒しているのを視界の端でとらえながら、紅葉は何時にもまして、自分の体が縦横無尽に動く、そんな気がしてならなかった。


* * *



 全て終えた時、そこに立っていたのは、紅葉と桐生のみだった。ふぅ、と一息つく桐生の隣で、少し乱れた呼吸を整えて木刀をしまった。少し、紅葉が桐生の方を見やれば、視線がかち合った。
「さすがだな、紅葉。おかげで楽に戦えた」
「いえ。桐生さんのお邪魔になっていなかったのなら、何よりです」
 紅葉はうれしくて舞い上がりそうになる気持ちを、必死で抑えつけながら、出発しようとする桐生の後ろをついていく。コンパスが違うから、彼の歩くスピードには決して合わせられず、少し小走りになって、追いかけていくその背。
ああ。
 何て、たくましくて、なんて愛おしい背中なのだろう。

(それを預けられるなんて、なんて、なんて幸福な)

 待ってください、桐生さん。
 そう呼ぶ、紅葉の声は、神室町の喧騒にまぎれず、桐生の耳へ届いた。

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