ハニーメイプルの甘さ酔いしれて


「最近はこんなのもあるんだなぁ」

 オッサン臭いこと言ってるな、と桐生は困ったように眉を下げながら、少し居心地悪げに落ち着いた雰囲気のカフェのナイロン地でできたソファのような椅子に浅く腰掛けていた。恐らく、桐生一人ではこんな店には一生縁がなかっただろうな、と桐生は辺りを見回しながら考える。焦げ茶を基調とした木の柔らかな内装に、少しオレンジかかった照明がより柔らかく店内を照らしている。禁煙、とのことで煙草は桐生のグレースーツのジャケットの内ポケットの中にしまわれている。
 桐生の目の前に座っているのは、いつものホワイトスーツではなく、落ち着いたカジュアルなパンツスタイルの紅葉だった。明るいオレンジのような茶髪はいつものように三つ編みにされているが、後ろに流すのではなく少し太めにまとめて、肩から前に垂れ流している。
「桐生さん、オジサンみたいなこと言ってますよ」
「そうかぁ…?といっても、まあ、俺はすでにオッサンだろ」
 先ほどの注文も全て紅葉に任せっきりにしてしまった。10年間刑務所に入ってたことも大きいだろうか、それとも10歳紅葉のほうが若いからか、こういったことに敏い紅葉にはどうも頼りきりだ。店内もどことなく若いカップルばかりで、桐生はさらに眉を落とした。
「悪いな、武骨なオッサンと一緒で」
「いやいや。大吾と来ても、こんな感じですよ」
 紅葉はすでに成人している立派な大人だが、外見はまだ高校生でも通じそうなものだ。今でも度々本気で勘違いされて、警官にすら呼び止められる紅葉と、すでに40近い桐生では外見的なギャップが大きすぎて、浮いている。そのせいか、先ほどから色々と視線を集めてしまっているのを桐生は感じ取っていた。

(……まぁ、紅葉は見た目もいいからな)

 オレンジの髪に丸々とした緑色の瞳。白い肌に……そこまで考えて、桐生は視線をそらした。何考えてるんだ、まったく。
「お待たせいたしました」
 品のいいシャツの店員が紅葉の前にパンケーキと紅茶を、桐生の前にブラックコーヒーを置いて去っていく。紅葉はそこはかとなくその仏頂面を嬉しそうにしていて、見えるものなら、お花が舞っているような程だ。桐生はそんな可愛らしい表情をしている紅葉を見て、ふっと頬を緩めた。
「よかったな、食べたかったんだろ?」
「はいっ」
 紅葉がフォークとナイフをその手に持って、ウキウキとしているのが可愛らしくて可愛らしくて、桐生はついその姿を眺めてしまう。紅葉はふわふわのパンケーキを口に運んで幸せそうな笑顔をしていた。たまにはこういうのも悪くないのかもしれない。ブラックコーヒーを飲みながら桐生は煙草に手を伸ばしかけて、やめた。
「桐生さん、桐生さんも一口どうですか?」
「あ?俺は……」
 切り分けたパンケーキの刺さっているフォークをこちらに向けて紅葉が笑っていた。はい、どうぞ、といっているが、一瞬ためらった。逡巡して、そして、口を開いて近づくと、フォークに刺さったパンケーキが口の中に入ってきた。
「おいしいですよね、ねっ」
「ああ……」
 うん、気づいてないんだな、と桐生はパンケーキを飲み込みながら、刺さる様な視線を感じて余計に居心地が悪くなった。少し眼もとに感じる熱さに、お冷を飲んで冷まそうかとも思ったが、なんだか楽しそうな紅葉を見ているとそれでいい気分になってきてしまった。
 紅葉は自分の分を一口大に切り分けて、そして、はたと気づいて、顔を一気に赤くした。
「ご、ごごごめんなさいっ、すみませんでしたっ」
「いや、謝るな。……うまかったよ」
 今にも立ち上がってお辞儀しそうな紅葉を何とか抑えつつ、桐生は紅葉の頭の上に手を置くと、その頭を優しく撫でた。子ども扱いだったか、と思いつつも紅葉を窺ってみれば、目元どころか、耳まで顔を赤くした紅葉がそこにいるではないか。
(変わらねえな、お嬢は)
 初めて会ったのは、いつだったか。あれから確かに成長しているはずなのに、周りは明らかに変わっていくのに対してあまり変化の少ない紅葉に少しばかり自分が安堵していることに気づいて、桐生は紅葉から手を離した。
(……甘ぇな、口の中)
 ハチミツの甘さが妙に口の中に残っているのに、どこか居心地がよかった。

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