を誓った言葉はなくとも


 ハービンジャーはじっと紫雲を見つめた。紫色の髪がさらさら、と紫雲が手に持つ櫛によって丁寧に梳かれていく。紫雲の師匠の形見だと聞いたのはいつだったか。よい櫛は長く持つのだよ、と話してくれたときだったような気がするからもう随分と前の話だ。香油を少しだけ櫛になじませるとゆっくりと櫛を通す。何の香りだろう――とハービンジャーが鼻を凝らしたところで、紫雲がくすくすと笑った。
「ツバキよ」
「あ?」
「日本の花。ツバキ油は髪にとてもいいのよ」
「あんたの師匠も使ってたわけか?」
 紫雲はびくりと肩を震わせた。どうやら当たっていたようだ。ハービンジャーは寝転がっていた体を起き上がらせると紫雲をその腕に抱き込んで髪に鼻を埋めた。良い香りだ。少し居心地悪気に表情を歪めた紫雲はハービンジャーの腕の中で少しばかりもがくと、ハービンジャーの頬にそっと手を当てた。
「お前は嫌いか?」
「いや――悪くねぇ」
 そうか、と少しばかり安堵した表情を見せる紫雲はハービンジャーの胸にそっと体を預けた。ハービンジャーがじゃれるようにして紫雲の首元に顔をうずめると、紫雲はもう、と困ったように言いながらも決してハービンジャーを拒絶することなく、その頭をなでて額に、頬に、鼻にキスを落とす。ゆっくりとそのまま紫雲を押し倒しながら、ハービンジャーも紫雲にキスを返す。ちゅ、とハービンジャーの少しカサついた唇が肌をかすめるのがひどく心地よくて紫雲はふふ、と微笑んだ。ハービンジャーに上を取られると紫雲はまったく動けないのだが、以前に比べるとあまり怖いとは感じなくなった。彼なりにじゃれついているのだと、紫雲は知っている。
 ハービンジャーの手が紫雲の頬を撫でると、紫雲は動きを止めた。何度も、何度も彼の大きく、無骨な手からは想像もつかない位優しい手つきで撫でられると心がムズムズとする。たまらなく愛おしくて、たまらなく心地よいのだ。それを数度繰り返して、ハービンジャーはようやく紫雲の唇に自分の唇を重ねた。ちゅう、と強く吸い付き、むにむにと唇を押し付け合う。十分それだけでも心地良い、と紫雲がうっとりとしているのがわかる。ハービンジャーはそんな紫雲をしっかりと見つめながら、ゆっくりと唇に舌を押し当てる。
「ん……っ、は…ぁ」
 紫雲も慣れてきたのか、ハービンジャーに舌を押し付けられればゆっくりと、唇を開くようになった。薄く開いた唇の間に舌を入れてたっぷりと絡めあわせて、何度も角度を変えてキスを繰り返す。徐々に酸欠になってくるとぼんやりとしてきて、舌が擦れ合う感覚ですらぞくぞくとする。たまらず、ハービンジャーの腕をつかめばベッドにつよく押し付けられるようにした深く口付けられた。

 漸く離されたときには紫雲はぐったりとベッドに肢体を投げ出していた。ハービンジャーはにぃ、と口角を持ち上げると、紫雲の服に手をかけてその首筋にキスしようとして――紫雲の膝蹴りが鳩尾に決まった。
「……っ、てめっ」
 さすがは人体の急所。そして、それを女性とは言え聖闘士――巨魁を一蹴りで壊す女の膝蹴りが入ったのだ。いくら体格で勝るハービンジャーとは言えど、シーツに沈んだ。ただ、これが男の急所でなくて本当に良かったと思うばかりだ。流石に不能になるのはゴメンだった。
「明日も早いのでしょう」
「……」
「貴鬼から聞いてるからね」
「…………ちっ」
 ハービンジャーがふてくされたようにベッドへ沈んだ。紫雲はそんなハービンジャーに困ったように笑いながら、ふて寝してしまったハービンジャーの背中にそっと寄り添った。ぴたり、と寄り添っているとハービンジャーが体を動かして紫雲の方へ向き直り、腕を紫雲の頭の下へいれる。足と腕で紫雲の細い体を絡め取って自分の懐の中へしまい込む。おやすみ――という言葉とともに自分の頬に触れた柔らかな唇にハービンジャーはそっと目を閉じた。

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