ただ、そばに居てほしくて


「おっし」
 紫雲は随分と上機嫌なハービンジャーの声を聞いて、首を傾げながら女官を下げた。ご苦労様でした、と一礼して彼女たちを送り出すと、紫雲はゆったりとした足取りでハービンジャーが 沐浴している浴場へ立ち入った。
「上機嫌ね、ハービンジャー」
 背中流すわ、というとハービンジャーはおう、と少し体を持ち上げた。まあなと楽しげに話す彼は紫雲には見えていないものの上機嫌で、なにか悪巧みでも思いついたような子供の顔をしている。そもそも沐浴は女官や傍付きの侍従の仕事であるはずなのだが、教皇になったとはいえその経歴が経歴でハービンジャーは女官や侍従たちとうまく距離感を取れず、こういった場に連れてくるのになれていないらしい。その代わり、と言ってはあれだが紫雲が女官の代わりを務めているのだ。平素はイナリスとしての仕事もなく、アストラも思念体として世界を回っているので、こういうことも自由にしていいと任されているのだ。
 慣れない仕事に慣れない環境に突然押し込まれたハービンジャーを憐れまないわけでもないので、謹んで協力しているのだが……今日はやけに上機嫌だ。いつもなら、自分でするとか、子供じゃねえとかさんざん騒ぐくせに、と紫雲は首を傾げながら、ハービンジャーの肩から湯をかける。
「まあ、今、招集かけても集まるのは明後日くらい、か」
「? 招集?」
 なんだろう。大きな行事でもあっただろうか、それとも――闘いが、と思って紫雲は首を横に振った。そんなことは近々起きていないし、星の流れもそういうことはなかったはずなのだ。と、紫雲が考えていると、ハービンジャーの唇が紫雲の唇に触れる。
「楽しみにしてろよ〜」
 あっという間に通り過ぎていなくなったハービンジャーに紫雲はぽかん、と口を開いたまま、固まった。



* * *




「ねぇ、ライガ」
「ん?」
「聖闘士たちは何のために集められたと思う?」
「さあ? 新しい教皇猊下のお考えはわからんからなー」
 紫雲とライガは黄金聖闘士たちの並びに立ちながら、聖闘士たちを眺める。アテナの招集というわけでもないのに、これだけ人が集まっているのはそれなりに新しい教皇ハービンジャーに人徳があるということにしておこう、と紫雲は思った。小宇宙をたどれば、エデンや光牙の気配も感じるのだから、それなりに人は集まっているようだ。
 すると、紫雲の隣にインテグラがやってきた。インテグラは意味深な視線を紫雲に向けて、肩をぽんと叩いた。どういうことだ、と紫雲が困惑していると教皇の服装に身を包んだハービンジャーがやってきた。冠はつけてこないつもりなのか、あまり好まないのだろう、今日もそれはつけておらず、堂々と歩き、そのまま台に立つのかと思えば、紫雲の前までやってきた。
「……? 教皇、みなはもう、揃ってますが?」
「ああ、知ってる」
 がっ、と紫雲をつかむとそのまま抱き上げた。一体何事だ、と何も事情を知らないのは自分だけか、と紫雲が気づいたのはライガがニヤニヤと笑いながらいってらっしゃーい、と言ってきたときだ。台の上に立つとハービンジャーはにやりと笑った。


「お前らが証人だ! こいつは俺のもんだ、いいな!!」




* * *





「おーい、紫雲」
 教皇の間に戻ってきた後から紫雲はまったくハービンジャーと口を利いていなかった。照れているのか耳まで赤く、ハービンジャーから一定の距離を保って、近づこうとすると影の蜂たちで威嚇してくるのだ。大した威力はない攻撃だが、ネチネチ幻覚攻撃を受けるのは好まないハービンジャーは近づけないまま紫雲に声をかけるばかりだ。
「あれくらいでいいだろうが。これで、お前に余計な手出しするやつもいなくなるし、俺は俺で余計なのがついてこないだろうし、万々歳だろ」
 ハービンジャーはお手上げだ、と言わんばかりに両手を上げて紫雲に訴えた。じろり、と紫雲がハービンジャーの方へ顔を向ける。両頬を完全に膨らませていて、つついてやりたくなったがそれをしたら確実に拳か足が急所に入りかねないので控える。なんだかんだで大人しい女ではないことはハービンジャーが一番良く知っている。
「……俺のもの、ね」
 紫雲が漸く声を発した。
「ああ、俺のもんだ」
 ハービンジャーは紫雲の怒りが完全になくなったわけではないがとりあえず影の蜂の姿が見えなくなったので一段落ついたか、と紫雲を抱き寄せた。膝の上に乗せて後ろから抱きしめる。
「……もっと、他に使う言葉、あるんじゃないのか?」
 怒ってるのはそっちかよ、とハービンジャーは笑うと、紫雲の顎を持ち上げてキスを落とした。

「二人きりの夜にたぁっぷり囁いてやるよ」

 そういうと紫雲は今まで見たこともないくらい顔を真赤にしたのでこれはこれでありだな、と思った。

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