薔薇色の日々。




 格なる上は。
 スティーブン・A・スターフェイズは、左手のセルフォンを握り締め目の前の頑固一徹な男を見据えた。ぷくうと河豚のように膨れた顔を晒しているのは、可愛らしい少年でも我儘でキュートな女でも無い。東の果ての国ににいる鬼みたいな怖い顔をしていて、目も三白眼で、口からは恐ろしい牙が覗いている。そんな男が頬を膨らませて、明後日を向いているのだからスティーブンはぐう、と呻いた。かれこれ半日ほどこうして、睨み合っている。
 そもそも目の前の男が怒っている理由は、スティーブンが約束を放ったらかしたからだ。いや、常ならば聞き分けの良い彼は、用事があったならば仕方が無いと許してくれるのだが、今回すっぽかしたのは女性関係のせいだった。当然だが、クラウスの機嫌は急降下だ。いつもの寛大さなど微塵も吹き飛んだ彼は、ソファーに深く座り怒り心頭の様子で、朝からスティーブンは這う這うの体で駆けずり回りながら彼の機嫌をなんとか取り持つことに努力していた。謝罪の数は何度も繰り返し、彼の好きなドーナツにケーキ、老舗メーカーのバウムクーヘン、各方面から掻き集めて差し出しても、一向に彼はへそを曲げた状態から返ってきてくれない。だからスティーブンは、床に正座して頭を項垂れさせる他なかった。
「悪かった、本当にごめんよ、クラウス」
 心底申し訳ないと思っている。彼を一番に優先させるべきだということは、以前からの決まりごとであったし、それを誤るなんてどうかしていた。けれども、と思う。スティーブンは元より流れ者のような質で、スーツを脱ぎ払い言葉遣いを捨て去れば、ライブラ一度し難いクズと何ら変わりない。クラウス・V・ラインヘルツと付き合うのは、非常に面倒でそれでいて肩が凝るものだった。ならば付き合わなければ良いと思うだろうが、それた惚れた欲目と、それから時折彼から貰える少量の甘い蜜を期待して離れることも叶わないのである。端的に言えば、スティーブンはクラウスという男にとても惚れ込んでいた。心底愛していたのだ。それこそ、とても、骨の髄まで。だから、彼の機嫌が治るのであれば全財産叩いて、彼に献上したとて何も困らない。盲信的なこの想いをクラウスはきっと分かってくれる。
 差し出されたケーキを一瞥し、クラウスはふん、と鼻を鳴らした。高飛車な女のような姿でもあって、傲慢な暴君にも見えた。いつか彼の口から、パンが無ければ菓子を、なんて台詞が飛び出してもおかしくない。クラウスは、それからゆるゆると座り項垂れるスティーブンの前に顔を向けた。
「スティーブン」
 耳障りのいい彼の声が、スティーブンの名を紡ぐ瞬間が好きだった。鬱蒼と細められたオールドブルーが、スティーブンを射抜き見つめるだけでどんな秘匿さえも話さなければいけない心地に陥る。「クラウス」名を呼べば、しぃ、っと唇に人差し指が差し出された。柔い唇を抑えられ、彼の体温がスティーブンに映る。技を使うとき以外は、思いの外体温が低いのが彼だった。スティーブンの吐息に暖められるように指先がじんわりと熱を持ち、そして、ゆるく開いた口内に、指先がするりと入り込む。下の歯列をなぞり、奥まった肉厚の舌をざらざらと撫でた。それは、背骨をじくじくと虫がそぞろ歩き、腰元で蟠る。快楽中枢のシナプスが、脳内信号を呈していた。
「約束を守れない者はどうなるか知っているか?」クラウスがそろりと笑う。
「舌を抜かれてしまうのだよ、スティーブン」
 引っ張り出された舌先に力を込められ、爪先はスティーブンの股間を柔く踏んでいた。その下は無様にも勃起している。
 ――僕は彼の乱暴さを思い描いて射精した。

「ふふ、そんなに良かったかね?」
 クラウスの声にスティーブンは、じわじわとまるで粗相のように染まる股間に顔を赤くした。「恥ずかしがる君は、好きだ」慌てふためく姿を見るのは嫌いではない、と彼が言った。
「埋め合わせに、ケーキもドーナツも、お菓子もあるのに、私の好物が無いのだ。私の好きなものを君は知っているだろう? 下の口で食べるのが、とても好きでたまらない。太くて長くて、白いクリームをくれる君の、」
 下品な商売女みたいな口振りで、スティーブンは喉を鳴らし、勿論だと頷いてみせたのだった。


END