@




「これは、秘密だ。僕たちだけの」
 町はずれの空き箱の上に乗せられたクラウスは、ぽっと真っ赤に頬を染め上げて小さく膝小僧をすり合わせ、そぉっと唇の先を舐めたのだった。

 クラウスはドイツの片田舎の貴族であるラインヘルツ家の三男坊として生まれた。今年で二十幾許かになり、気質は滅法真面目で、人類総出を愛しているといいかねないような博愛さを持っている、無類の紳士であった。その行動たるや、ノブレス・オブリージュにけして恥じることのないものであり、そして彼は、そのように教育を施されてきたのである。
 体格は二メートルを優に超える大男で、顔は恐ろしく怖い。幼い子供に泣かれたことは数えきれないほどであったが、彼が本当に恐ろしい顔をして怒ったことは片手の指で済むほどであった。怒るという行為は彼の中で余程の事情ではない限り、総てを許し甘受した。騙されていたとしても、それに対する罰を彼はけして持ち合わせてはいなかったので、周囲は彼をお人よしだと囁いたが、けしてそれが悪いことでは無く、またか、というような苦い笑いの中にこぼれていた。そもそも、彼を悪くいう人間は余りに少数派であるうえに、朴念仁だという揶揄もまた彼は笑って受け止めるような人間であったのだ。
 彼の見た目は余りに厳格で、初めての人間はよく身構えるものだ。己自身は、昔よりよく彼のことを知っていたのでそうでもなかったが、並べ立てたような人間であるせいか人心掌握は余り得意ではないことも相まって、最初のうちは誰しもがクラウスの横に立つ己の存在意義を理解できず、どうしてトップに出ないのかと、よく言われたものであった。
 しかし、ひとたび彼に激励を、または困難に直面した際に手を貸された人間は、その奇跡を感動を目の当たりにし、彼の足元に蹲るしかないのである。クラウス・フォン・ラインヘルツというのは遍く人々の指標となり、動き、群雄割拠の如く信奉したくなるような魅力を携えていた。
 彼の言葉は、現実だ。
 彼の行動は、神気だ。
 カリスマ性は常に隣にあり、彼を知る人間は彼の真面目さを莫迦にすることは無かった。「お前がいなければ」「人類の希望だ」と人々は口にし、そして彼の博愛の一部へとひっそり潜り込む努力をするのであった。
 さて、そんなクラウスには秘密がある。
 彼の隣に立ち、共に行動する俺しか知らない秘密である。勿論、彼の一番の従者である執事の男だって知らない。彼の赤ん坊の頃より世話をし、すべてを手伝っていたであろうメイド婦長とて知り得ることは無いことだ。
 しかし、その前に、俺が誰かを話さなければならない。
 俺は、ラインヘルツ家とは微塵も関係の無い人間であり、勿論だが血縁関係でも無かった。ただひとつ、俺はまちがいなくクラウスのために生まれ、クラウスのために死ぬのだと理解していた。それが己の人生なのだと、何一つ疑っては生きていなかったのである。そもそも、クラウスという男に関して、俺は出会った瞬間より、なにものにも得難い快楽を手にし、法悦を得たのである。それはまるで、俺という存在そのものが万能を手にしたかのようなドラッグにも似た依存性のもとで、クラウスという男の隣に立ったのであった。此処に至るまでの経緯を語るには筆舌尽くし難いものがあり、俺といえばすっかり今の俺になるまでクラウスという人間紛いのものの信頼を得る努力をけして怠らなかった。
 博愛の一部になりたいなどと言う考えは、愚昧だ。そも、クラウスに認識されたいのであれば彼を特別視など以ての外だった。俺は幸いにも、それを隠すことに非常に長けていた。神聖視する眼差しに嘘を少し混ぜて彼に接することで彼と同等であると偽りをしたのである。それには何をするか。簡単なことだ。
 悪さをひとつ教えてやればよかった。
 美味しいスープに少量の毒を混ぜてやるように、こっそりと溶かし込んで煮てそうして出来上がったのがクラウスだ。俺は毒になって、脅かしてやればそれでいい。皆が知らない間にクラウスはそっくりそのまま作り変えられていることなど知る由もなく、今更蒙昧な秘密に没頭した姿を彼は上手に隠すすべを得てしまったので、もう誰も彼も疑うことを覚えもしない。
 俺とクラウスが出会ったのは、幼少期のことである。スティーブン・A・スターフェイズと名乗りなさいとその時の育ての親である己の師匠に言われた間もない頃だ。スターフェイズというのは師匠のファーストネームであったが、元より彼の名を継ぐというのはいわゆるラインヘルツ家の呪いに縛られるということと同義であったが、俺は当然そんなことなど露知らず、名を与えられたことにより師匠に認められたのだと思っていた。ラインヘルツに着くとすぐに紹介されたのが、俺より少し下のクラウスであった。上には成人した兄とハイスクールを出たばかりの兄が二人いて、また家にはいなかったがセカンダリースクールのあとすぐに貴族の子たちが集う寄宿舎へと入ったらしく、クラウスもその時は年に数度しか会うことはなかったと聞く。だからクラウスにとって、俺という存在は身近な友人であり兄であり、また血の繋がった人々よりもずっと気さくなものに違いなかったのだろう。
 彼は気に入りの友人であるテディベアのヘンリーを抱き締めて「はじめまして、スティーブン」と声変わりの始まる前の声をこぼしたのであった。まさに天啓だ。十数年しか生きていない俺にとってそれは正しく青天の霹靂であった。幼い彼の紅葉のような小さい手を握り、その日の夜は興奮で眠ることすらままならなかったのである。
 次の日起きると、俺の目の前には小さな神様がいた。「寝坊なのだ、スティーブン」と矢張り相変わらずヘンリーを連れてクラウスは笑って俺を起こしにきたのだ。俺はどうせならヘンリーの代わりをしたいと思った。その腕に抱かれるのは俺がいいと思った。幼心による醜悪な嫉妬心を、俺はこのときよりずっと溜め込んでいたし、ラインヘルツの家に来てからはいつか破裂してしまうのではないかしらというような奇妙な心持ちを常に抱え込んでいたのである。少年の小さな体の中に溜め込むには非情なほどの悪意であった。俺は一年ばかし、この気持ちの変動が何かという恐ろしさに震えながら、いつかクラウスをどうかしてしまうのでは無いかというそんな夢想ばかりが脳裏に渦巻き、俺は一体どうしたらいいのかと頭を悩ませたのだった。
 が、しかし、俺のこのような幼い懊悩はスプーン一杯分の無自覚の悪意を流し込まれ、瞬く間にはじけ飛び途端に制御を持つことなど許さないというような絶好の機会を運んできたのである。
 あれは、忘れもしない一年と半年も経ったころであろうか、俺とクラウスはすっかり打ち解け、共に寝食を楽しむ仲へとなっていた。そも、己で言うのも些かどうかとは思うが、俺は優秀で聡明さを持った子供であった。それは謂わば、子供らしく無い子供であった。人の顔色を伺い、人の心を学ぶために人の真似をしていたのである。笑う時は笑え、悲しいときは涙を零せ、そう言った風にいくつも学び、人の心に寄り添う努力をしてきたのであった。
 なぜこんな努力が必要であるかと言えば、俺は師匠と出会ってから言われたのであるが感情が余りにも抜け落ちているということを教えられたからであった。よく分からないが生まれつきそういう病気であるということだけが分かった。俺はそれ以来、人を観察し人の感情をよく真似をした。そうすることで処世術というものを身につけたのである。何せ、師匠もそんな俺を見てからは、病気のことなどまるで無かったかのように人との関係が足りていなかっただけなのだと、思い込んでしまったほどであった。しかし、俺にはいくつもの感情の引き出しを脳に作り上げ、例えばそう、嬉しい時にする返事の仕方や返答の数を幾通りにもこしらえているだけに過ぎないのであった。
 そうして俺は、齢十四にして人を見るということの楽しさを覚えた、喜びも怒りも哀しみも楽しみも人の感情のパターンと機微というのは俺にとってただの悦楽のような脳内麻薬にも似た刺激であった。そして、クラウスに出会った瞬間に弾け飛んだのだ。その瞬間を、その刻を、俺には何ものにも代え難いひとつの岐路に立たされた場面でもあったのだ。
 そうして一年ばかし、俺とクラウスは確かに一緒にいたのだが、俺はあるときラインヘルツ家の異質さを感じ取ってしまったのである。あれは、そう春先になり雪解けもすっかり終わりきったころだっただろうか。