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 そもそも、スティーブンがなぜこれほどまでにクラウスのことを嫌っているのかと言えば、幼少の時分まで原因はさかのぼる。
スターフェイズ家とラインヘルツ家は、昔ながらに親交を携えている仲だった。スティーブンが生誕するよりずっと前、家系図を改めてみたことは無かったが、少なくとも二〇〇年は前だと聞き及んでいる。
BBを倒すための同志として、というのがきっかけであったようだ。古今東西、そういった化け物退治を生業とする家柄は多く、また、化け物や異形と言った形の不明瞭なものを恐れるものは多かった。そこに声を上げたのが両家だったと言う。
仲が深まった切っ掛けと言うのが、互いの戦闘スタイルにあった。近距離戦、かつ唯一BBを滅殺できる血を持っているブレングリード流派、勿論術式が多いため、遠距離戦を得手とする技もあるものの、その多くはかなりの大技であった。そのため、遠距離かつ支援を可能とするエスメラルダ式の技は、とても相性が良かった。――事実、スティーブンもよくクラウスの支援をし、また主体となって攻撃にも参加するという戦闘スタイルを貫いている。かなり不本意だが。――互いの背中を安心して預けられるとなれば、任務時にパートナーとして組むことが多くなり、いつしか両家は、双方に共闘時の相棒として組むことを当たり前としたのだ。それは、スティーブンの時にもあったのである。
幼くして才能があったのだろう。スティーブンは早々にエスメラルダ式の継承を与えられた。齢十四の頃だ。本当は、もっと早くにそうなるべきであったが、ブレングリード流派を継ぐ少年がまだ成熟していない、ということでその歳になったのだ。遊びたい盛りであったスティーブンにとって、それらは正直どうでもいいことであった。
それから、三年ほど経った頃に、スティーブンはクラウスを紹介された。当時八歳だったと思う。翠の目、白磁の牙、リコリスのように赤い髪。『クラウス・V・ラインヘルツです』舌足らずに己の名前を告げた時、スティーブンはにわかに衝撃を受けた。自分とて、家柄や生まれた宿命か、牙狩りとして任地に着き、命のやりとりをするだろうと思っていたし、仕方がないことだとも理解していた。十にも満たないころなど、その事実は重く圧し掛かって、ぐずついたこともある。その姿を御くびにも両親に見せたことは無かったが、それでもきっと気付かれていたことだろう。
それなのに、スティーブンは驚いた。名を、言われただけだ。それだけで、察したのだ。彼が世界のために死ぬ決意をしているということを。
末恐ろしく感じた。ひとまわりほども違う少年が、命をささげる覚悟を持っているという事実に。
 本能的に――これと関わってはいけない――スティーブンは察した。けれど、今まで培われてきたラインヘルツ家とのつながりを、己で終わらせるわけにはいかなかったこともあり、スティーブンは差し伸べられた手を冷やかに握り、よろしく、と笑みを傾けたのだ。
流石に、傍からみれば十代の青さを露見していたに違いない。しかし、その当時既に実地に赴き、異形を相手取っていたスティーブンは、その幼さゆえのクラウスという存在に、間違いなく嫉妬したのだ。その確固たる決意に対し。
 スティーブンは、それからというものクラウスとよく会うこととなった。それは、パートナーという役割でもあったし、またひとまわりとはいえ、比較的年齢が近いということもあったのだ。クラウスの上の兄は二人とも既に成人していた。年老いてからのラインヘルツ公の末息子ということもあり、クラウスは、周りから随分と猫かわいがりされていた。
 それは、一種、スティーブンには異様にも思え、顔をしかめたことが何度かある。こと、クラウスに関しては、スティーブンの実の父すら褒め称えていたのを思い出す。
 けれど、それらは、恐らく、すべて信仰だったのだろう。
 彼の父や兄、またクラウス専属の執事たちは、愛情だっただろうが、その他大勢は、あの幼い彼に神格さを見出していたのだ。
 理由としては、目が、異様だったからだ。
実父も、クラウスに対し、羨望めいた眼差しをしていたように思う。今は、どうだかわからないが、少なくともHLにクラウスと二人で赴くまで、路地裏の物乞いたちと変わらない表情をしていた。
 それをスティーブンはひどく忌み嫌っていた。
 人の信仰をどうこう言うつもりは、勿論毛頭ない。しかし、それを幼いまだ十にもならない子供に向ける周囲と、許容する本人に吐き気がしたのだ。
 人類の至高だと、周りは崇める。
 人類の命運を救うと、本人は説く。
 これほど、新興宗教も真っ青なやりくちがあるだろうか。そして、嘘でも欺瞞でもなく、クラウスは口だけではなく実行するのだ。それが、余計に拍車をかけた。
 嫉妬でも妬みでも、ましてや羨望でも無かった。
 ――スティーブンは率直に、気持ち悪いと思った。
 無垢であり、一途であることは美徳であるかもしれない。しかし、天邪鬼であり、まして腹に逸物を二つ三つと抱えたスティーブンには、それらがひどく吐き気のするものだった。
 ――世界と人類のために。
 クラウスの口癖である。牙狩りに初就任して、スティーブンが付き添った時に、何度も言われた。幸福な物言いが出来る男だ、と嘲笑した。牙狩りの何人かも、初めての時はスティーブンと同じように思っていたはずなのだ。どこからともなく失笑がこぼれ、甘い坊ちゃんだ、そう噂になるのも遅くは無かった。
 しかし、クラウスは、ある日の任務でやってのけた。
 圧倒的な暴力で以て。まだ成熟しきっていない体とはいえ、その腕力、その拳、破壊力。そして、残忍さ。
 今まで、辛酸を嘗めさせられたBB相手に対し、クラウスは、それが何であったか分からないほど、ペーストにした。クラウスという人型の化け物が、化け物を退治した。
 それから、だ。
 牙狩り内において、クラウスの説法に納得し、信仰し付き従う者、その力に対し恐れ、付き従う者。二分化したが、結果としてはクラウスに皆付いたのだ。
 もちろん反発ある者もいたが、その少数の声が教祖たるクラウスに届くことは無い。
 その異常なまでの状態に、スティーブンは間違いなく、クラウスの横を歩くことをやめたいと思った。自分の直感は当たっていたのだ、そう確信を持って。
 それから、必要以上の接触を、スティーブンからはやめていた。しかし、クラウスの方は違っていたらしい。ずいぶんと気に入られていたようで、避けても避けても、クラウスはスティーブンの横にあったのだ。
 紐育がHLになるあの日も、スティーブンは付いていくのをためらった。この男の傍にいて、果たして己は生きられるだろうか。すべてを巻き込み、いつかクラウスに殺されるのでは無いだろうか、そんな恐怖すらあった。
 なにせ、クラウスと言えば、理想を口には出すが、それがどのようなリスクを伴うか、考えたうえで無茶をする馬鹿だった。スティーブンがいなければ、恐らくクラウスは死んでいる。そして今は、クラウスの無茶をなんとか軌道修正している己こそが、いつか死んでしまいそうだと思えた。
 HLになって、ワーカーホリックに追われ、ラインヘルツの面子をつぶさないように、それだけのためにスティーブンは動いていた。パートナーとして付くにあたって、間違いなく一番厄介だったのはクラウスの後ろ盾である。
 末弟を溺愛する兄二人には、スティーブンは常日頃いびられている。クラウスは当然、そんな事実を知らない。――末弟に怪我はさせていないか、ご飯は、睡眠は、果ては恋人の有無まで、日夜メールで飛んでくる。仕事の合間に、通常運転です、と死んだ目で返すのがスティーブンの日課となっていた。
 クラウスはなにも知らない。
 そう、なにも知らないのだ。それが余計に、スティーブンの腹の底をキリキリと痛め、加えて苛々とさせた。その能天気さに、スティーブンのクラウス嫌いを助長させた。
 それが、今はプライベートにまで及んでいる。
 スティーブンが倒れない方が、おかしい話だったのだ。



◆◇◆



 ――ついに、限界はやってきた。
 スティーブンは、書類がいくつものタワーを形成し、堕落王が茶番を始めるテレビを眺めて、現場に急行。人間爆弾、と宣う頭の悪い異形を相手し、苛立ちのまま攻撃、解決。クラウスがスティーブンを気遣う言葉に「大丈夫。心配ないよ、ダーリン」なんて台詞を吐いて、頭痛がした。
 事務所に着いたのは夕方だったか。書類を眺めて、胃痛と頭痛、吟味し、ペンを走らせ、半を押す、増えゆく仕事についには、スティーブンはぶっ倒れた。
 そこからはたと記憶が無い。
「スティーブンさん!」
「うぉおおお、まじかよ!」
 ツェッドの焦ったような声と、レオナルドの焦燥に滲んだ叫びを耳にしたのを最後だったように思う。いささか五月蠅いなア、なんて思っていたような気もするが、どうだっただろうか。
 霧の濃い世界。その日の窓から差し込む陽は、やけに明るかったことは覚えている。霧に乱反射しているせいか、目に痛いものだった。それが寝不足の視界に直撃していることなど、微塵も考えはしなかった。
 目を覚ました時、スティーブンには何も見えなかった。眼球をごろごろと右往左往させて、隙間に光が差し込んでいることに気付いた。ふらふらと手を動かすと柔らかく弾力のある何かに触れ、頭の下の何かが跳ねた。
「す、スティーブン」
 寝起きの頭にはずいぶん残念な声がした。ひどくどんよりとして、目の前の何かを払いのける――前に、それは取り除かれた。
「お目覚めかね、スティーブン」
 どうやら己の目許を覆っていたのはクラウスの手だったようだ。スティーブンは、まだ寝惚けた頭で、クラウスが柔らかに笑って見下ろしているのを見た。それこそ、なんでクラウスが上にいるんだろう、と思うくらいには頭はぼんやりしていた。
「……ハイ、クラウス」
「ごきげんよう、スティーブン」
 クラウスの手が、頬や目許を撫でる。うっすらと目を細めると、クラウスは余計に慈愛に満ちた顔をしていた。おそらく、彼のこれを信仰者が見れば、昇天するにちがいないと思った。
 指先が、子供をあやすようなそんな手つきだったせいかも知れない。スティーブンはもう一度眠りに落ちてしまいそうだった。
 うつらうつらとする視界に、クラウスが噴き出す。きっと、赤子のように見えたのかも知れない。腹立たしいな。とはいえ、スティーブンはただ、身を任せていた。
「根を詰めすぎではないかな、君は」
「……今日中にやらないといけないのが、あったはずなんだけど」
「私が片付けた。レオもツェッドも手伝ってくれたので、あっという間だったよ。君ももう少し頼ってくれたまえ。あとの書類は、もう少し時間を要しても大丈夫なものだった」
 クラウスの言葉に、それが出来れば苦労しない、と胸中でひとりごちた。
「……そうだっけ」
「ああ」
 クラウスが、胸を穏やかにたたく。一定のリズムのそれは、どう考えても眠らせようと目論むものだ。
「クラウス」
 それをやめさせようと、強く名を呼んだ。クラウスは目じりを下げ、困った顔をする。前髪で眉は見えない彼だが、その表情は驚くほど分かりやすいものだった。
「私は、君に、休んでもらいたいのだ」
「じゅーぶん。結構寝てたんじゃないか、僕。なんせ、体がずいぶん楽だ。アア、でも、今日はもう自宅に帰るよ。君がそんな顔をするくらいならね」
 条件反射のように口に出た気遣いは、褒められるものだろう。クラウスは、ほっとした顔をしたのも束の間、一転そわそわとしだす。何度か言葉にしようとして口を開いては閉じるを繰り返した。
 そして、胸の上にあるスティーブンのシャツをぎゅうっと握る。流石に破くのはやめてほしい。
「スティーブン、その」
 家に行きたい、そう言ったクラウスに飛び起きた。なんだって? もう一度言ってくれないか。珍しく、クラウスと話をしていて頭痛が無いと思っていたのに、また頭痛が始まった。
しかし、スティーブンには今や断る理由はほぼ無い。いや、色々と難癖つけて断ることは勿論出来たが、それは今の問題を引き延ばすことに他ならないのも事実だ。
そして、スティーブンはようやく回り始めた頭で自分がどこで寝ていたのか、ということに気付く。――クラウスの太ももの上だった。
所詮、ひざまくらと呼ばれるやつで、アイマスクの代わりにクラウスが目を覆っていてくれたのだろう。頭の下の暖かな感覚はクラウスの体温だったのだ。
「……ク、クラウス。この状態は、いつから?」
「? そうだな、書類を片した後だろうか」
「レオや、ツェッドは……」
「まだ、いたが?」
ジーザス!
スティーブンは思わず頭を掻きむしりたくなった。ついでに言えば舌も噛み千切りたかった。
きっと、二人ともかなり微妙な顔をしていたにちがいない。「クラウスさん、それは無いッス」とかそんなことを吐いているレオナルドの様子も簡単に想像できた。ツェッドはわけのわからなさに後頭部に冷や汗をかいていたことだろう。
頼む、レオナルド。そういう時はもっと突っ込んでクラウスを止めてくれ。過ぎ去ったことを考えても仕方がないが、これはあまりに残念だ。誤解してくれ、と言っているようなものだ。クラウスは分かっていないだろうが。
固まってしまったクラウスにとっての恋人、スティーブンを煽り見てくる双方に、今すぐ指を突っ込んで目つぶしでもしてやりたくなった。
お前の常識や羞恥はどこにあるんだ、と。
「……そ、そのスティーブン、それで」
話が戻ってきた。
そこまでして、家に来たいのかクラウス・V・ラインヘルツ。
もう、ここまできたら同伴してもおなじことか。スティーブンは、K・Kに銃殺されるのでは、というくらい胡散臭い笑みで了承したのだった。……





……クラウスを伴ってスティーブンが自宅に帰り、ヴェデットが用意してくれた夕飯を適当に温めると、二人で晩酌とした。クラウスは、彼女特製のポテトグラタンが大層気に入ったようで、今度メニューを教えてもらいたいらしい。もう二度と部屋に入れる気は無かったが、それくらいならばいいだろう。
実に家政婦の料理は美味いものだったからだ。それは間違いない。認めることであるし、スティーブンとて自然と鼻が高くなる。
上等の赤ワインを一本空けてやるくらいには、少しだけ機嫌が浮上した。仕事の話、パエリアの話、BBの話、スモークハムのソースの話。
口下手なクラウスは、めずらしくよく舌を回した。酒が入っているせいかも知れない。スティーブンは向かいの席で、グラスを傾けちらりと見遣る。
別段、クラウスという個体が気持ち悪いわけではない。この程度の話ならばスティーブンも快くした。ただ、彼の感情に含まれる世界救済への理想論を語り始めたら、もうだめだ。その話をする様も、行動に移さんとする様も嫌いで嫌いで仕方がない。
幼い時に覚えた妬みに似た恐怖を、スティーブンは未だ持っていた。
「スティーブン」
「ん、なに」
「私は、君とこうあれてうれしい。君が承諾してくれて、こうして二人で食事をすることがひどく幸せだと知ることが出来た。ありがとう、スティーブン」
――クラウスは、根本的にはいいやつだと思う。
スティーブンは、そうやって素直に礼を述べることが出来るクラウスのそういった性格は美徳であると思っている。同時に、苛々とさせる原因のひとつでもあった。
「……そっか」
スティーブンは、それだけしか返事が出来なかった。クラウスはやけに幸せそうで、フォークとスプーンで行儀よく、食事を食べ進め、スティーブンはただ眺めていた。
果たして、クラウスは何を思って告白したのだろうか。世界を思う男が。
「なあ、クラウス。――俺のどこが好きなの」
 純粋な疑問だった。
 クラウスにとって何がそんなにスティーブンへ執着する原因となるのか。スティーブンは己でも自覚していたが、ザップに負けじとクズである。K・Kの言葉通り、腹黒で最低の男だ。そんなところを、微塵も知らないのかも知れないが。
 一瞬、言いよどむように、クラウスは視線を彷徨わせた。恥じらいでもするのかと思ったが、そうではなくその眼差しはどこか、覚悟を決め、命を下すリーダーの時と同じ顔をしていた。
「……少しばかり、長くともいいだろうか」
「どうぞ」
 ムール貝をつまみ上げてスティーブンは促した。白も持ってくるべきであったな、と後悔をひとつする。
「君の、好きなところを上げるとキリが無いのだが、私は、君の戦っているすべてが好きだ。特に何をしても安心して任せられる、その安心感にいつも甘えている。そして、甘やかされているのだと思っている。氷上をすべるように戦う君をうつくしいとも思うのだ。ああ、これでは見た目だけだと思われるだろうか……。こうするまで、あまりプライベートで話をしたことが無かったので、仕事上の君ばかりで申し訳ないのだが、――君は私を叱ってくれるだろう。他人は、いささか私を違う生き物のように扱う節がある……事実こんな力があるからそうなのだろうが。しかし、家族以外で他者が叱ってくれるのは君くらいだ。だから、私はいつでも君と同じ立ち位置なのだと思えるのだ。それが何より嬉しく、私を生きた気にさせるのだ。そうしてまた、世界を救えるのだと力を得ることが出来る。君が隣にいてくれることが、好きでいる最大の理由かも知れない。スティーブン、君の言動で私は救われている」
「そ、う」
 スティーブンは、幼い時分の恐怖が戻ってくるような心地がした。胃がひっくり返っていますぐ床に吐しゃ物をまき散らしたい。
 ワイングラスを掴んでいた指が震え、テーブルになんとか置いた。
 クラウスの告白は、あまりに執着だ。依存だ。これほど気持ちの悪いことがあるだろうか。いますぐ、殴って蹴って家から追い出してやりたかった。お前の頭はどうかしてるんじゃないか、大声で叫んで今すぐBBの巣穴にクラウスを投げ込んでやりたい。
「……クラウス、きみ、先にシャワー行ってきなよ。片付けは僕が、しておくから」
 かなり不自然だったが、今目の前にクラウスがいることが耐えられそうになかった。
「いや、私もてつだ……」
「客人に! ……そんな手を煩わせる必要は無い。タオルは好きに使って。出てきたら、極上のドルチェを用意しておくよ」
 かなり訝しまれたが、最終的にクラウスは大人しくバスルームに消えた。その後ろ姿が見えなくなったころ、スティーブンは床に蹲り、吐いた。
 最低だ。
 クラウスのあれは恋じゃない。もっとひどい。スティーブンが忌み嫌う信仰心だ。皆は、クラウスに神格をみる。そしてクラウスは――。
 なんて話だ。
 絶望がひとしおに襲い、スティーブンは力任せにワインボトルを床に叩きつけた。赤がじわじわと床へ沁み渡る。あの愉快な頭のクラウスもいっそこんな形にしてやりたかった。お前の脳はずいぶん、調子のいい解釈をするんだな、と。
 スティーブンは暫く、フローリングの隙間を縫うように流れる赤を見つめたが、徐ろに片付けはじめた。
 ――最高の幕引きをしてやる。
 スティーブンはもう一度、決意をしたのだった。
 風呂から上がってきたクラウスに、チョコレート味のドルチェと少し甘めのシャンパンを渡してやった。子供のように喜び、受け取って能天気に口に放り込むさまを冷やかに見守る。
「クラウス」
「ん、なんだね」
「口元、付いているよ」
 にっこりとほほ笑み、スティーブンはクラウスの口元のチョコを拭ってやる。それを迷わず舌先で舐めとれば、これでもか、と目の前の男は顔を赤くして恥ずかしげにした。
 「君は、意地が悪いな」唇を尖らして言う子供っぽさを嘲りながら、スティーブンは頬を撫でた。
「クラウス。泊まる気でいたんだろう。だったらさ、したいことあるんじゃないか?」
 意地が悪い、そう言われたばかりなのにそうやって聞いてやる。余計に縮こまり、首の後ろまで赤く染めたクラウスに、『お泊り』の意味は分かってやっていたのか、とそこまで世間知らずではないのだな、とどこか安心した。
 が、ちがった。
「……そ、そのスティーブン」
「うん?」
「できればその、私と共に」
 ――セックスのひとつも簡単に言えやしないのか、こいつは。
 スティーブンは、笑顔の下で散々に罵倒した。とはいえ、そう言ってきたら当然だが断ろうと思っている。聞いておいて酷だが、それでいいのだ。クラウスと性行為など冗談じゃない。抱くにしても、抱かれるにしても、お断りだ。
 しかし、続いた言葉はスティーブンの予想外のものであった。
「そ、その、スティーブン。私は、恋人というものが出来たら、ぜひともしたいことがあったのだ。その、私と手を繋いで寝てはくれないだろうか……?」
「は?」
 思わず、本気で呆れた。垂れ目を限界まで開き、目が点だ。
「は、はしたないことは分かっているのだが、……だめ、だろうか?」
 はしたない。
 手を繋いで眠ることが。
 馬鹿か。コイツ。
 今時ティーンエイジャーとて、ホテルに乗り込み猿のように腰を振っているような、ただれた時代だというのに。君は一体いくつなんだ。まさか同衾を求められるとは到底思ってもいなかった。
 スティーブンは胸の裡でありとあらゆる罵倒をした。馬鹿から始まり、筋金入りの世間知らずめ、とサブウェイを注文するようにするするとあらゆる悪口を述べた。
 気色の悪い提案だったが、仕方ない。
 ため息をつき、クラウスの手を取った。
「もちろん。君が望むなら。それじゃあ寝室に行こう」
「君は、シャワーは」
「朝にするよ。君の横で眠れるという提案の方が魅力的だしね」
 ハイライトで映してくれるなら、是非このシーンだ。きっと皆、スタンディングオベーションで、讃えられるはずだ。今年の優秀賞は総なめしただろう。
 武骨な手を引き、寝室に招き入れる。クラウスを寝かせてもそれなりに余ってはいたが、規格外は否めない。隙間なく近付くしか眠れそうにないだろう。
「さあ、手を、クラウス」
 互いに横になり、指を絡め会う。恥ずかしげに、それでもわくわくと、彼は嬉しそうに指をきつく絡めた。
「ひどく……安心する。スティーブン」
「そう、それはよかったよ」
 額を撫でてやる。クラウスは鬱蒼と目を細め、すりよる猫のような仕草で頭を寄せた。
「……君に、キスをしても」
「それは、また今度」
 昼間、されたようにクラウスの瞼を覆ってやる。「おやすみ」その言葉通り、クラウスはすぐ寝息をたてはじめた。手を外せば、あどけない顔に、これも年下だったな、とひとまわりほど違う男の顔をみつめた。
 深く寝入りこんだのを見守ってから、絡めていた指も外す。こんなことしてやる気も無い、馬鹿らしい。
「クラウス、せいぜい楽しめよ」
 壮絶にスティーブンは笑み、クラウスに背を向け瞼を閉じる。
 ――眠りは、やってきそうになかった。



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