「壁ドンとは一体どういうものなんだ」


ある日突然東堂くんは私に真剣な眼差しで聞いてきた。ずいずいっと距離感などまるで御構い無しに近づいてくるので、思わずその額に手をあて、押し戻す。何をする!と彼はぷんすか怒っていたが、自称美形というだけあって、彼の顔面はそれなりに整っているのだ。どぎまぎしてしまうからあまり近づけないでほしい。だがこの思いは決して口には出すまい。調子に乗るから。


「え。壁ドン?どうして急に…」
「いやクラスの女子が騒いでいたものだから気になってな。で、どういうものなんだ?」


彼の特徴的な死んだ瞳がキラッと輝いたのを見て、逃げらんねえとさとった。特徴的なのはカチューシャだ、と喚き立てる声は無視。ー壁ドンか。目の前の東堂くんを見つめ、深く考えてみる。


「な、なんだ。この俺がいくら美形だとはいえ、そんなに意味もなく見つめられるとさすがに顔に穴が空くぞ…」
「うざっ…」
「うざくはないな!」


おおっと思わず本音が出てしまったぞ。
さすがに3年間も同じクラスに所属し、更に部活動も同じとなれば、彼の扱いもぞんざいになるものだ。若干半泣きな東堂くんは放置して、壁ドンかーともう一度唸るように考え込むと、きょとんと東堂くんは首をかしげた。


「壁ドンとはそんなに難しいものなのか?」
「いや、非常に単純にただ壁にドンッとすることです」
「なら何故そんなに考え込むと必要がある?」
「んーと、実際見たことがないから、こうだよ、って自信を持って言えないんだよね」
「そうか」
「でも女子はときめくらしいよ。壁ドンされると」


漫画とかでよくそういうシーンあるし。女子としては確かに憧れるものだ。そう独りごちると目ざとい東堂くんが聴き漏らすはずなく、ワッハッハと大きな声でわらった。非常にめんどくさいことが起こりそうな気がしてきた。かえりたい。それかみんな早くかえってきて。


「ならば実践してみるか!」


さらりと肩にかかる髪を振り払って、彼はまるで舞台俳優のように高らかに言い放った。瞬間を見計らって拒否の声をかける。なぜだ!と分かりやすいくらいのオーバーリアクションに、若干めんどくささが先立つ。どう答えてもめんどくさそうな方向に転がりそうだぞ、と何も答えないでいると、彼は何を思ったのかハハン?と口角を上げる。絶対碌な考えに至っていない、こいつ。


「そうか、そうか。この東堂尽八にしてもらうのがはずかし」
「や。そういうんじゃなくて、てか普通に東堂くんにやられてもときめかないの分かりきってるし」
「なっ…」
「ははっ完膚なきまでに論破されたな、尽八」


唐突にその場に響き渡る無駄にいい声の持ち主は手の甲を口に当て、愉快そうに笑っていた。


「新開くん…いつからいたの」
「さっきからずっといたぜ」


バキュン、と指で鉄砲の形をとってこちらに向けられる。必ず仕留めるの合図らしいが、彼はよくこうして無駄打ちをしていた。もったいない話である。


「尽八がだめなら俺ならどうだ?」
「新開くん?なにが?」
「さっきの話のやつ」


ああ、壁ドン。失礼を承知で品定めをするように新開くんを見つめた。東堂くんとは違って、あーイケメンだなーと思わせる風貌、がっしりとした体格、ぽってりとした厚い唇。相成って穏やかな人柄のため、ほう、と暑い息を漏らしながら彼に恋をする女子は後を絶たない。じろじろと見ていると、なんだか照れるな、彼は笑ってパワーバーをひとかじりした。


「あー、うーん。いけ」
「ならん、ならんよ!隼人はならん!」
「なぜかぶせる東堂尽八」
「なんでだめなんだ、尽八」
「うっ…そ、それはだな…、あ、ああ!そうだ!荒北、荒北はどうだ!?」


ふい、と目をそらされ、そして確実に話もそらされた。まあいいけどさ。新開くんにやられた日にゃお天道さんおがめなくなると思うし。


「荒北くんんん?」


そう、ふられた名前で考えてみる。ー全くもって想像がつかない。だめだ、どう頑張ってもカツアゲの現場になる。


「ひょろいしなぁ…。どっちかっていえば股ドンのが似合いそう」
「またどん?壁ドンみたいなものか?」
「うん、そう。――あ、ユキ、ちょうどいいところに」


ガチャ、と部室のドアが開いて、ユキと塔一郎と芦木場くんの2年トリオが話しながらやってきた。話して聞かせるより見せたほうがはやいだろう。この中で一番気心知れているのは幼なじみのユキだ。ターゲットはやつに絞られた。ちょいちょいと手招きすれば、不審そうに眉を寄せながらもこちらに近づいてくるので立ち上がって両手を合わせ軽く頭をさげる。


「ごめんね急に」
「いや、別に。何の用だ――…っすか」


二人きりのときや、その場に塔一郎しかいないときなどは決して使わない敬語も年上扱いも、他の先輩がいる前だとしてくるからむず痒い。


「実践してみようとおもって。とりあえず壁に背中あずけて」
「は?何言って、」
「はい、そこでうごかない」


話についていけていないであろうユキを引っ張り壁に張り付かせ、私はその前のたちはだかる。ふははは逃げられまい。多分、ユキはもちろん、急な出来事についていけてないのは他の2年コンビも同じであろう。たぶんきょとん顏をしていることから東堂くんもわかっていない。なんでだよ、今の話の流れできづくだろ。なんとなく察しがついているのは新開くんだけであろうな。


「苗、さん、なにす――」


カッと、私は目を見開いた。


「これが、そう!」


若干空いているユキの足と足の間に、自分の右足をつきたてる。どん、というよりは、がん、という感じだった。おまけに荒北くんぽさをだすためにポケットに手まで突っ込んでやった。目の前のユキがドン引いているのが分かったけど私は止められなかった。


「これが股どんらしいよ。―ね?元ヤンの荒北くんにぴったりっしょ?」
「確かに靖友に似合うなぁ、それ」
「荒北くんさひょろいし、人相悪いし、こんなことされた日には私は泣くけどね!」
「そうだネ」


ん?


「面白そうな話してンじゃナァイ?苗チャァン」
「ああああああ荒北サッぶっ」
「この頭かち割ってやりてェな」
「痛い痛い痛い!既にかち割れそうな件について!!」


ミシミシいってる!頭ミシミシ言ってる!
いつもはハンドルを握るその握力が私の頭を圧迫していた。つよい。こいつひょろいくせに握力ばか強い。思わず口をついて出た言葉に荒北くんの鋭い三白眼がつりあがり、歯をむき出しにして追い討ちをかける。


「テメェ懲りねェヤローだな!」
「ギブギブ!」
「はは、靖友にひょろいは禁句だぜ、苗」
「ッセ!だまってろ新開ィ!」
「あっ荒北さま、手加減を!平にご容赦を!!」


STFをかけられ意識が遠ざかりながら、あれ私はどうしてこんなことになっているのか本気で考えてはじめた。―元凶は東堂くんだ。あいつが壁ドンうんぬんから急に荒北くんの話をふるから。ぎぎっと顔を自称美形のクライマーに向ければ、――彼はなんだか神妙そうな顔をしていた。あごに指をかけ、なんだかしょんぼりとこちらを見ているではないか。


「――荒北とは、仲がいいのだな」


ぽつりとそうつぶやかれる。
あーはん?ちょっと理解できませんね。これをどう見たら仲良く思える。ただプロレス技の餌食になっているだけだぞ。


「どうした、何をさわいでいる」
「福チャン」
「福富くん」
「誰が原因だ?」


首を傾げながら私を見ないでくれ。もう分かりきってるとこちらを見ないでくれ。


「ち、違うんだよ!元はと言えば東堂くんが壁ドンについて知りたいっていうから!なんでか曲がりまがって股ドンに話しが逸れて荒北くんにはこれが似合う!って証明していただけで!」
「そうか。また榛名か」
「エッ福富くん!?」
「騒いだ罰だ、部室を掃除して帰れ」


理不尽だ!誰がよ福富くんのこと天使とか揶揄したの!私だよ!
「ドンマイ」新開くんは私の肩をたたいてイケメンスマイルをお見舞いしてくれた。にくい。パワーバーでむせればいい。「自業自得だな」「そんな言葉知ってたんだね」「ブッコロ」またみしみしっと頭を掴んでいた荒北くんはそのまま福富くんのあとにくっついて出て行った。それに続きぞろぞろと部室から人はいなくなり、結局私一人で――「榛名」ん?


「エッ東堂くんいたの」
「………」
「………?」
「…………」
「ど、どうしたの?トーク切れる東堂くんはどうしたの?黙りこんじゃうなんてそんなの東堂くんが自分でアイデンティティを否定して――」
「榛名」
「ン?」


何やら先ほどから思案顔だった東堂くんは、ふ、と静かな動作で立ち上がる。音がない。さすが眠れる森の美形もとい森の忍者。いつになく真剣な眼差しでこちらによって来る。ン?


「…わっ!?」


じりじりと近寄ってきた彼に、思わず私はじりじりと後退する。トン、と背中に壁の感覚。え?なに?なんなの?なにがしたいの、この人?え?え?
目の前には東堂くん。顔の横は彼の両手がついていて、逃げ場はなくて。あれ?これ、これってもしかして―――。


「ふ、」
「…っ」


ぶわ、と顔が赤くなるのが分かった。東堂くんにはときめかないってさっき自分でだって言ったのに。思わぬ至近距離に、何もできずただ顔を赤くすることしかできなかった。
ちらりと見た彼の顔はなんとも満足そうで、すごくくやしかった。

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