「荒北くんどこまで進んだ?」
「ゼーンゼン。苗チャンはァ?」
「ぜーんぜん」
さっきからシャーペンを動かす手はお互い止まったままで、荒北くんなんてもはややる気はゼロと言わんばかりに頬杖をついて、ペン回しをはじめる始末だった。
「どうして私と荒北くんだけをこの部屋に押し込めたんだろうね…。一人くらいわかる人入れてもらわないと終わる気しないよ」
「つっても新開は役に立たねェし東堂はうるせェし福チャンはなんかズレてるし誰もいねーダロ」
「アー…あー、うん」
ポンポンと脳内に浮かぶ仲間たちは、みな一様に親指を立てて空に浮かんでいた。思わず遠い目をしてしまった。
「アー!もうやってらんねェ!」
「ちょっ机がんってしないで!一緒の机なんだからこっちまで揺れる!」
「もうやめにしようぜ…」
机に突っ伏してちらりとこちらを見る。
やめにできるならもちろんしたいさ、私だって!…でもしかたない。これ終わるまで部活禁止令布かれてるわけだし、そうなると困るのは荒北くんだけじゃなくて部活全員なわけなんだし。ユキにきつく言い聞かせられてるからサボったらあとが怖い。――そういえば。
「ああ…そういえばユキに、荒北くんと二人っきりになるのダメって言われてたんだ」
「…フゥン?」
突っ伏した状態のまま、またこちらをちらっと見る。それから体を起こして、椅子を傾けて、にやりとわらった。ギシっと音が鳴る。あ、そんなことしたら東堂くんに行儀が悪いって叱られるよ。と検討違いなことを考えて筆を進める。うっ…なんだよこの問題…。いみわかんねーよ…。もうやる気なくなったよ。ハーと息を吐いて先ほど荒北くんがやっていたように私も突っ伏す。
「まぁ、自分の領域奪われたくねェだけだろうなァ、アイツの場合は」
「テリトリー?」
顔をふっとあげれば、やけに至近距離にいた荒北くんにビックリして身を後ろに引く。
「苗チャン」
「へ?」
「バァカ。顔真っ赤だヨ」
はっ。こんなに近い距離で男の子の顔を見ることなんてないので、不覚にも顔が赤くなってしまったらしい。にやにやと笑う荒北くんに、なんだか負けた気分だった。
「も、もういいからさ、ぱぱっと終わらせてぱぱっと提出しちゃおうよ」
「ったりィな。おまえで遊んでた方がよっぽど楽しいのによォ」
「ちょ!本音出てるぞ!!」
「わりィわりィ」
よ、と座りなおして、荒北くんの視線がプリントに向かう。とたんに顔をしかめたので、わかんない問題に突き当たったのだろう。はたしてわかる問題がこのプリントにあるのかは不明だが。
よし、私も終わらせてしまうか!もちろんわかる問題なんて一つもないけど!――とその時、私の携帯はメールの着信を告げた。んん?プリントとにらめっこしている荒北くんの目を盗んで携帯を開く。荒北さんと一緒って本当?と一文が。差出人はユキで、すぐさまイエスのメールを返信する。とたんに返ってくるメールには。
「“何かされたらすぐに叫べよ”って、ハッ、あの真面目チャン、それで牽制のつもりかよ」
「へ!な、ちょ、覗かないでよ荒北くん!」
「勉強してる最中に携帯使うの禁止ィ」
「ちょっとー!取り上げないでって!」
身長差によって私の手が彼の手の中にある携帯に届くことはなかった。それでも必死に手を伸ばして取ろうとすれば、もちろんバランスは崩れるわけで。
「わあ!?」
「ア!?」
どたん、と音を立てて私はその場に倒れこんでしまった。―何かを巻き添えにして。
「いてててて…」
「こンのボケナス!ッぶねェだろ!!」
「ご、ごめん!!」
あれ?痛くない。むしろ女子のような柔らかさがあるわけではないが、温かくて、細いけどがっしりしてて。…え?えええええ?
「わ、わー!!?ご、ごごごごごめんなさい!!?」
「ッだー!!耳元で騒ぐな、うっせェから!!」
「ヒイ!?」
テンプレ通り、私は荒北くんを下敷きにしてしまったらしい。慌てて退こうとするものの、彼の手がしっかり私を掴んでおり、離れることができない。薄い薄いと日頃嘆かせていただいている胸に飛び込んだ状態でして、非常にきまずい。
「あ、荒北くーん…?」
「…ネェ、苗チャン」
「な、なに」
「顔、真っ赤じゃナァイ?」
「…!!」
にや、と笑った荒北くんの胸の中で、一向におさまることの知らない鼓動を、私はただ感じていた。
「…う、薄すぎだよ、胸板」
「ア?…へェ、お仕置き、必要みたいだネ」
「う、うそうそ!!うそだから!!卍固めは反則!!!」
そのあといつものようにプロレス技をかけられ、いかんせん遅すぎる私たちを心配というよりかは叱咤しにきた東堂くんによって、白紙のままのプリントが見つかり、そのまま小一時間ほど正座をさせられたのは言うまでもない。