笑顔になる魔法を
廊下の向こう側からこちらへ来る人影。女のひと。あれは…間違いない、あかりさんだ。一年の教室に、なんの用かな。誰かに用事があるのかな。…ついででもいいから、俺にも声掛けてくれないかな。自分から呼ぶ勇気はないので、あかりさんが気付いて声を掛けてくれることに期待するしかない。我ながらなんて臆病者なんだ。こんな自分が嫌になる。ああ、鬱だ。
「高峯くん!」
なんとあかりさんは真っ直ぐに俺に向かって来てくれた。ついでどころか、一直線に俺の方へ来てくれた。もしかして、もしかしなくても。俺への用事で来たのだろうか。どうしよう、こんな嬉しいことはない。にやけそうになるのを堪えて、なるべく平常を装う努力をする。
「あかりさん。なんスか?」
「はい!あげる!」
俺の努力を粉々に打ち砕くような満面の笑顔で、俺に小さな縦長の袋を差し出してきた。こんな顔向けられたら、気を抜くとつい顔が緩みそう。だめだ、耐えろ。そんな情けない顔は見せたくない。
「…これは?」
「ポッキー!お裾分け」
「……どうも…」
…あかりさんはたまに、こうやって突拍子のないことをする。なんでポッキー?と思ったが断る理由もないので素直に受け取る。いただいた手前、その場でポッキーを食べる。チョコレートの甘さとプレッツェルの香ばしい風味が口に広がる。うん、ポッキーだ。普通にうまい。
「にしても、なんでまた急に…?」
「今日はポッキーの日だから」
「…ふーん」
大して興味なかったからスルーしてたけど、確かに巷ではそんなこと言ってたような。…そういえばあかりさん、この間のハロウィンも満喫していたな。シーツかぶって「おばけ」なんて安直な、もはや仮装と呼べない仮装をして、いろんな人にお菓子を貰いに歩き回っていた。お菓子のイベントごとになるといつもより元気になるらしい。
ハロウィン当日は勿論俺も例外なく尋ねられ、たまたま持っていたチロルチョコをあげたら物凄く喜ばれた。たかがチロルチョコ一個で。それでも純粋に嬉しそうに笑ってくれたあのときのあかりさん、めちゃくちゃ可愛かった。そして今、あのときと同じ笑顔を俺に向けてくれている。それは嬉しいけど、お菓子がそうさせているのかと思うと複雑なような気もしないでもない。
「ポッキー、好きなんですか」
「うん。お菓子のなかではいちばん好き」
「…そっスか」
ちくしょう。こんなことならポッキー用意しておけばよかった。そうすれば会話が広がったりポッキー交換できたり、なんかもういろいろできただろう。ああもう鬱だ。後悔しか生まれない。ポッキーの日に無関心だった俺死ね。寧ろ殺してくれ。
「あ…あの、元気だして高峯くん。よかったら、これもどうぞ!この冬季限定品、わたしの今日いちばんのオススメ!」
なんかちょっと的外れだけど、俺が落ち込んでいるのを察してかまたポッキーを分けてくれる。…優しいひとだ。あかりさんの存在は癒される。こういうところが、いいなって思う。これも断る理由ないし、なによりあかりさんの気持ちは嬉しいからまた素直に受け取った。
「…甘いっスね」
「わたし、甘いもの食べると幸せな気持ちになるの。高峯くんは、どうかな?」
…正直に言えば、別に。甘いものは好きでも嫌いでもない。もっと言えば、なにも食べたくない。食べなくても生きていけるし特別に必要としていないし、万が一これ以上背が伸びる原因にでもなってしまったら嫌だ。だけど。笑ってるあかりさんを見られるなら…
「…幸せです」
どんな理由でも、貴女がそうして笑ってくれるのならば。俺に笑いかけてくれるのならば。俺はいつだって幸せになれる。たとえどんなに憂鬱になっていたとしても、全部忘れられる。一緒に笑える。そんな魔法を、貴女がかけてくれる。
「そっか!よかった!…ね、他にもいろんな味あるよ。一緒に食べない?」
「はい」
「あら、珍しい。高峯くんが乗り気なんて」
「……まあ、たまにはいいかなって。…でも他のひとは呼ばないでほしいっス。大人数だとなにかと面倒なんで」
「おっけー。取り分も減っちゃうもんね。じゃ、屋上行っちゃう?今の時間なら多分誰も居ないと思うよ」
「名案ですね」
「やだ、嬉しい。そんなに乗ってくれて」
そりゃあ、どんな提案にも乗る。人気者のあかりさんとふたりきりになれる機会なんてそうそうない。我儘だって、厚かましいって思われても構わない。だって、こんな絶好のチャンス、逃したくないじゃん。
「…あれ?高峯くん、笑ってる」
「え、まじすか。無自覚でした。……あかりさんに、つられましたかね」
「ふふ。そっか」
楽しそうに笑ったあかりさんにつられるように、俺にしては珍しく、声を出して笑った。…今はただ、貴女の傍に居たい。どんな手を使ってでも独り占めしたい。それに今ならこの緩みきった表情も、あかりさんの受け売りのお陰でお菓子のせいに出来るから。
どうか幸せな時間が、もう少しだけ続くように。そう願いながら、屋上の扉を開けた。
.
【back】