想定外な厄介事の対処は不得手です
三年A組、蓮巳敬人くん。至急保健室の佐賀美のところまで来るように。
人生初の校内放送による呼び出しは、まさかの佐賀美先生からのものだった。
生徒会室で書類を片付けている最中のこと。同じ場にいた英智には「わざわざ呼び出されるなんて、なにやらかしたの?」と茶化され、姫宮には「副会長だっさーい!」と馬鹿にされ、伏見には「人生誰にでも失敗はあります」とフォローされる始末。全員俺がなにかやらかしたこと前提でものを言ってくるのが腹立たしい。クラスの連中でも聞いている奴が居たならばきっと明日話題になったに違いない。しかし今日は金曜日。明日は休み。あいつらなら月曜日には今日の呼び出しのことなど忘れているだろう。
しかしわざわざ呼び出しとは一体なんだ。もしかしたら、有り得ないとは思うけどもしかしたら、仕事の話かもしれない。仕事じゃなくても他に大事な用事かもしれない。気乗りはしないが、仕方なく保健室に行くことにした。
「失礼します。蓮巳です」
「おー、待ってたぞ」
「早速ですみませんが用件は?仕事が残ってるんで手短に……」
「あ、蓮巳先輩だ。こんにちはー」
男しか居ないはずの室内に相応しくない、空気を読まないオクターブ高い声。この声の主を、俺はよく知っている。
「あかり?」
「はーい。あかりでーす」
「貴様、レッスンはどうした?こんなところで油を売って………あかり?」
「もしもーし、蓮巳せんぱーい?」
「……なっ、まさか貴様…!?」
なにかおかしい。ほんの僅かな疑惑が一瞬で確信に変わった。いつもよりずっと高いテンション、ほんのり赤くなった顔、とどめのアルコール臭。嫌な考えが頭を過って思わず佐賀美先生を睨み付けてしまったら、先生はばつが悪そうな顔をした。ああ、これはクロ確定だな。
「いやあ、実はだな…」
佐賀美先生の話はこうだ。喉が渇いたから飲み物が欲しいと言ったあかりは、特に確認しないで机にあった缶を手に「もらってもいいですか」と言い、先生も特に確認しないで「いいよ」と言った。先生が自分は保健室には酒しか持ち込んでいないことを思い出し、止めたときには時既に遅し。飲み干してしまっていたそうだ。そしてまあ見てわかる通りの結末。
よく確認しないで一気飲みしたあかりも自業自得だが、そもそも先生が校内に酒を持ち込むってどういうことだ。普通の学校でなら有り得ない事態に怒りを通り越して呆れ果てる。このひとに普通を求めること自体が筋違いだと思うが、仮にも教師だろ。
「なんで校内に酒持ち込んでるんですか。しかも生徒の手が届くところに置いて……有り得ん」
「見逃してよ蓮巳くん。独り身のおっさんの唯一の癒しなの」
「冗談言わないでください。即摘発ですよ。…まあ他にも言いたいことは山程ありますが……よりによって、何故俺なんです?もっと暇そうな奴でいいじゃないですか」
「なんで、って言われてもなあ……こいつがずーっとお前のこと呼んでたから。仲良いのかなって思ってさ」
「…は?それは…………ぐえっ!」
変な声が出た。後ろからなにかに思いっきりくっつかれ引っ張られたから。…いや、この状況なら確実にひとりしか居ないが。
「蓮巳せ〜んぱい、仲間外れはいやです、あかりもおはなしに入れてくださ〜い」
「こらあかり、くっつくな!暑苦しい!てか物理的に苦しい!首!!」
「…と、いうわけで。俺は今から会議なんだ。後は頼んだぞ」
「はっ!!!?」
「大丈夫だ!もしここでなにかあったとしても、他言しないし追及もしない。これでおあいこだ」
「意味が解りません!」
「じゃあ任せる。俺はそろそろマジで会議行くから。じゃ!」
「あ!おいっ!」
……本当に行ってしまった。だらしない白衣をなびかせてダッシュしていった。普段はのんびりしているのに、逃げ足はめちゃくちゃ速い。そして面倒事を全部丸投げして行ってしまった。なんていう教師だ。最早教師とは呼べない。ていうか廊下は走るな。椚先生に捕まってしまえ。
そうして部屋に取り残された俺と、酔っ払ったあかり。事態を把握しているのかいないのか解らないが、酒のせいで性格が随分変わってしまったあかりは相変わらずにこにこしている。普段から愛想よくにこにこしているが、いつもはもっとこう、落ち着いている。空気だって読めるのに。酒の力、恐るべし。
なにかをするにも、取り敢えずこれをどうにかしなければ。とは言っても、ひとりにしたらどうなるか解らない。不本意だが俺が近くで見張っているしかないらしい。生徒会室に連れて…は、いけないよな。それこそなにを言われるか。事情を話せばわかってくれるだろうと思うが…そもそも今のあかりが生徒会室まで無事に辿り着けるだろうか。無理だろ。
「…あかり」
「はーい」
「今日は、レッスンないのか」
「それが、キャンセルになっちゃったんです。仕事の打ち合わせが、急に入ってしまったとかなんとか〜」
「どうしてここに来た?」
「うーん…そういえば、なんででしょう?」
忘れちゃいました、とへらへら笑うあかり。会話は出来るみたいだし、一応意識はちゃんとあるようだ。まあ恐らく暇を持て余して、同じく暇そうな佐賀美先生のところを訪れたのだろう。しかしこいつは暇でも俺は暇じゃない。仕事がある。本当は一刻も早く生徒会室に戻りたい。それが無理なら出来る範囲で簡単なものだけでも片付けたい。伏見あたりに連絡して、持ち出しても支障のない書類だけこっそり持ってきて貰うか…?
「………あつい…」
「ん、暑いか?空調は………って、おい!!なにしてる!?」
あろうことか、あかりは俺が目の前に居るにも関わらずシャツのボタンを数ヶ所外していた。目を離して気付くのが遅かった俺も悪かったのだろう、なかなか際どいところまで見えている。………水色……じゃなくて!そしてあかりは怒られる意味が解らないのか、きょとんとしている。
「いきなり着替えようとするな!そ、そもそも、着替えが無いだろう?」
「でも…はしゅみせんぱい、あつい…」
「そ、そうか。わかった。今クーラーつけてやるから。すぐに涼しくなる、着替えは後にしろ」
「……はーい」
説得が効いたのか、ボタンにかかっていた手は止まった。…のはいいのだが。外したボタンを戻す気配がない。なんとも無防備。付き添いが俺じゃなかったら本当に間違いが起きていただろう。………くそ、見たくないのについ視線が…こいつ、着痩せするタイプだったのか…………いかんいかん、こんな、覗き見なんて、末代までの恥だ。耐えろ。
「…クーラー、効いてきただろう」
「はいー…ありがとうございます、せんぱい」
「構わない。…それよりあかり…その……ボタン………」
「ぼたん?」
「あ、ああ。ボタン、しめろ。風邪、引くぞ…」
「はあい」
俺の忠告を素直に聞き入れて、ボタンに手をかけたあかり。「終わったら声かけろ」と言い、終わるまで適当に外を眺める。あっちを向いていたら、どこを見るかわかったもんじゃない。…いや、わかっているから見ないようにしているんだ。
「………できない」
「は?」
「うまく、とめられない……」
酔っているせいで手元がおぼつかない、ということか。…こんなこと、有り得るのか。いや、有り得てなるものか。
「せんぱい…てつだって…?」
「……ああもう!まったく貴様は…!」
これでは見ざるを得ない。顔を思いっきり背けて手探りでとめることも一瞬考えたが、それで万が一、変なところをさわったら…それこそ末代までの恥。ならば事故は未然に防ぐべきだ。背に腹は変えられない。仕方なく、本当に仕方なく、あかりに向き合った状態で手を伸ばし、極力あかり本体にさわらないよう気を付ける。……俺ってこんなに手先が不器用だったか?
「………ほら、できたぞ…」
「おお…!せんぱい、器用ですね〜。ありがとうございます」
全く悪びれずへらへら笑うあかりに、はあ…と深い溜め息がこぼれる。この拷問のような時間は一体いつまで続くのか。先生が帰ってくるまで?そもそもいつ帰ってくる?こんなに悩むくらいなら、いっそのこと寝かせてしまった方がいいのだろうか。幸いここは保健室、ベッドならある。少し寝れば、多少アルコールは抜けるだろう。
「あかり。疲れてるだろう。少し休むといい」
「はーい」
寝かし付けてしまえば幾らか楽になるだろう。特に俺の精神面が。気遣うふりをして誘導すればあかりは素直にベッドに横になる。今回はうまくいった。まあ、もとが素直というのもあるが。とにかく手がかからなくて助かる。よし、あとは寝付くのを待つだけだ。そうしたら俺も生徒会室に戻れる。……ここまでは計画通りだった。しかしあかりの目は閉じることがない。それどころか一向に俺から視線を外さない。
「どうした?眠くないのか?」
「…寝たら、はしゅみせんぱい、どっか行っちゃう」
「……は?」
「せんぱい。行かないで…」
「なっ………ひ、ひとりが嫌なら、誰か呼んでやる。俺は仕事が…」
「やだ。蓮巳先輩がいい」
狼狽えたのは、変なところで鋭かったり俺の考えを見透かされたからだけじゃない。俺がいいと、酔ってるとは思えないくらい、はっきり言いきったからだ。
何度も「ひとりにしないで…」とあかりは涙目で訴えてくる。いつもみたいに非情になればいい。放っておけばいい。酔ったのは自業自得なんだから、俺の知ったことではない。そう言えば良かったのに、実際に口から出た言葉は真逆のものだった。
「……わかった」
「ほんと…?」
「嘘は言わん」
その目に観念して、ベッドの空いている場所に腰かける。どうにでもなれと適当に放り投げた俺の手に、あかりは遠慮なしに熱の籠った指を絡めてきた。
「えへへ。つかまえた」
「貴様…やはり相当酔ってるな」
「かもしれません」
「だろうな」
「はしゅみせんぱいに」
「っ!」
全く予想していなかった一撃だった。幾ら酒が入っているとはいえ、この不意打ちはきつい。心臓どころか脳天撃ち抜かれた気分だ。
にへら、と表情を緩めて俺を見るあかりは本当に幸せそうで。手にすり寄ってきたり指を絡めたりして遊んでいる。あまりにも嬉しそうだから咎める気すら起きない。暫くそうしていたら安心したのか、穏やかな顔はそのままに規則正しい呼吸を始めた。どうやらようやく寝付いたようだ。
「……まったく…貴様は本当に、度し難いな」
言い馴れた嫌味も、いつもと比べれば随分棘が無い。しかも自覚できる程に。もう俺の手を握るあかりの手は脱力しきっていて、その気になれば簡単に振りほどける。なのに、それが出来ないでいる。先程の「行かないで」がこんなに効いてるなんてな。……しかし、頼まれなくても、きっとこうして面倒を見てしまっただろう。絆されて、こうして傍で寝顔を見ることになっただろう。理由なんて、俺自身がいちばん解ってる。
あかりの今日の言動は酒のせいだと頭では理解しているのに。そのうちあかりの目が覚めて、酒が抜けていつものあかりに戻ったとしても、このままでいたいと思っている。あかりに、こうして手を取ってもらいたいと願っている。お前に好き勝手されるのなら、本望だとすら思う。
どうやら本当に度し難いのは、自分自身のようだ。
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