恋人はじめました




屋上でふたりきり、向かい合って話をしながら一緒にお昼を食べる。ごくありふれた、高校生カップルの日常風景だろう。でもわたしと瀬名先輩の実情は、世間のそれとはちょっと違う。


「うん、今日も美味しい!」

「当たり前でしょ。誰が作ったと…」

「あれ?たまご焼き、昨日と少し味付けが違う!たまご焼きってこんなにバリエーションあるものなの?」

「…元気だねぇ、あんた」


一見仲睦まじく見えるけど、わたしたちは本当に付き合っているわけではない。お昼は毎日買い食いだったわたしの健康と財布を心配…したのかどうかはわからないけど。瀬名先輩の手作りお弁当と引き換えに、わたしは恋人のフリをするよう頼まれているだけなのだ。

先日、瀬名先輩から相談があると呼び出された。伺った話を要約すると女避けになってほしいとのことだった。女性の同業者からのアプローチを手っ取り早く断る口実として、咄嗟に付き合ってる子がいると言ってしまったそうで。一定期間だけでも本当にそういう雰囲気を作りたいのだとか。人気者はいろいろ大変だなあ…と呑気に思った。

取り引きを持ち掛けられたときは正直驚いたけど、もともと瀬名先輩との仲は悪くない。話しかけても突っぱねられないし、瀬名先輩から話しかけてくれることもある。瀬名先輩も、多分わたしのことは嫌いじゃないと思う。あんずちゃんのことも気に入っているとは思うけど、瀬名先輩は敢えてわたしに白羽の矢を立てた。理由は訊いていないけど、わたしの方が圧倒的に暇に見えたからだと思う。実際そうだし。

どんな用件にしろ、わたしに手伝えることがあるなら力になりたい。…それに、瀬名先輩のお弁当、食べてみたいし。そんなわけで二つ返事で承諾した。わたしは瀬名先輩の美味しいお弁当をいただける。瀬名先輩は近寄ってくる女の子たちを一蹴できる。お互いの利害が一致した、割り切った凄く都合のいい契約だと思っていた。……しかし。違和感はそう遠くないうちに訪れた。

契約を結んでまず、呼び方を「瀬名先輩」から「泉くん」に矯正させられた。敬語も先生方の前以外は禁止。メールやメッセージのような文面でも敬語を使うと叱られる始末。そして学校生活でも変化が起きた。特別な用事もないのに授業の合間のちょっとした休み時間に互いの教室を行き来するし、勿論お昼ごはんも毎日一緒。約束事はお弁当を作るだけで、一緒に食べることは契約内容には含まれてないはず。お弁当だけ渡せばいいものを、瀬名先輩…もとい泉くんは毎日飽きもせずわたしと一緒にいるのだ。


「あかり。今日の予定は?」

「放課後、佐賀美先生から呼び出されてるの。お仕事の話みたい。泉くんは?」

「今のところはないけど、事務所から連絡来るかもしれないんだよねぇ。連絡つかなかったらそう思ってくれて間違いないから、待ってて」

「わかった」


こんなふうに放課後の予定も教え合う。そして余程のことが無い限りは帰るのも一緒という徹底ぶり。他にも例を挙げればきりがないが、とにかくやることなすこと全部が本物のカップルみたい。

フェイクでここまで徹底するか?逆にフェイクだからこそ細かい部分まで徹底するべきなのだろうか。だとしたら大成功だと思う。今やアイドル科の全員が、泉くんとわたしが本当に付き合っていると信じている。祝福もされれば茶々も入れられ心配もされた。特に遊木くんからは「なにか脅迫されてるの?大丈夫?」と毎日のように尋ねられた。遊木くんの優しさは紛れもなく本物だったけど、その懸念は杞憂となり、泉くんはわたしに対して驚くほど優しい。前からツンツンした雰囲気は減ってきているとは思ってたけど、この関係になってからこちらが恐縮してしまうくらいに優しくしてくれる。それこそ、まるで本当にお付き合いしていると錯覚しそうなほどに。






そして放課後。佐賀美先生との話も無事終わった。職員室から少し離れて、泉くんに電話を掛ける。……繋がらない。ということは前もって言ってくれたように事務所とお話かな。「教室で企画書作りながら待ってるね」とメッセージを送って待つことにする。

教室に着いて、自分の席に座って書類が入ったファイルと下敷きとペンケースを出す。更にいつもはイヤホンをつけるのだが、今回は無し。泉くんが来たらすぐわかるようにしておく為だ。

泉くんを待ちながら、わたしは自分の作業に集中する。しかし…前もってこういうことがあるかもって教えてくれてると、余計な心配しなくていいから安心する。それに待っている時間も全然苦じゃない。それは泉くんだからかな、なんて考えていたら後方でドアが開く音がした。


「あかり」

「泉くん。お疲れさま」

「うん。待たせたね。帰ろ」

「えっと…ごめんね。今度はわたしが時間かかりそう。今日中に仕上げたいから、もう少しだけ残る。先に帰っててもいいよ」

「………じゃあ、俺も残る」

「…いいの?」

「うん。課題やるから平気。だいたいでいいから、どのくらいかかりそう?」

「細かいところ詰めて清書だから、一時間しないくらいかな」

「わかった。それ以上かかってもいいから丁寧にやりな。別に急いでないし、ちゃんと待ってるから」


そう言って近くの机と椅子を適当に拝借して、わたしと向かい合うようにして座った泉くん。更には鞄から教科書とノートを取り出して、わたしのペンケースからシャーペンを勝手に取り出して勝手に使い始めた。無断で使われたことに文句があるわけではない。さも当たり前のようにわたしの私物を使ったことに、ちょっと驚いた。勝手に使うなと、他のひと相手なら抗議した。でも、泉くんだから、許す。

こうして向かい合って作業するの、はじめてかもしれない。なんか、新鮮。ちょっと顔を上げれば、すぐそこに泉くんが見えるわけで。…今度テスト勉強とかも、こうやって一緒にできるかな。できたら、いいなあ。……あ、考え事してたら思いっきり漢字間違えた。


「…あれ、消しゴム……」

「ああ、今俺が使ってる」

「そっか、泉くんが持ってたんだ。よかった」

「怒るとこじゃないの?黙って使ってたんだから」

「なんで?なくしたと思ったから、寧ろ安心した」

「ふぅん」

「でも、そうだね。泉くん以外のひとが勝手に使ってたら怒る。それ以前に貸さないけど」

「へぇ、俺はいいんだ?」

「うん。泉くんだし」

「…あっそ。それと、ありがとね」


ぶっきらぼうにお礼を言って消しゴムを返してくれた泉くん。「どういたしまして」というわたしの言葉には反応してくれなかった。…もしかして、照れてる?泉くん、こういうとこあるよね。……かわいいって言ったら、ぶっ殺されるかな。いや、そんなこと考える暇があるなら、わたしもちゃんとやろう。一緒に作業してるとは言え、泉くんを待たせているんだから。



静かな教室に、ふたつのシャーペンを走らせる音だけが響く。なんとなく気になって、ちらっと向かい側の泉くんの様子を盗み見ると集中したようすで課題に取り組んでいる。泉くんってやっぱり根は真面目。ていうか、なにをしても格好いい。ぐうの音も出ないって、こういうことなんだろうね。……どうやら随分見ていたのか、わたしの視線に気づいたらしい泉くんと目が合う。集中しろと怒られるかと思ったが、泉くんは一度柔らかく笑って、すぐまた課題に視線を戻した。

予想外のことに心臓が跳ねた。今のは、ずるい。アイドルのお仕事中ですら、泉くんのあんな顔は見たことない。たとえ一瞬だったとしても、あんなの見せられたら勘違いしそうになるじゃん。…………ていうか、本当に勘違いなのかな。


「…泉くん」

「なに」

「急にごめんね。確認なんだけど、わたしたちって、フェイクのカップルなんだよね」

「はあ?今更確認するまでもないでしょ」

「うん。だからこそ、ききたいの」


わたしが話したい様子を察したのか、泉くんは手を止めて、綺麗な青い瞳をわたしの方に向けた。ほらね。どうでもいい人間の話だったら、こうして聞くそぶりをまず見せない。泉くんは、良くも悪くも正直。だからこそ気になる。気分屋さんの泉くんが、毎日わたしと一緒に居ることが不思議。お弁当を作ってくれるだけでなく、一緒にごはん食べて、お互いの行動を報告して、一緒に帰って、家に帰っても頻繁に連絡を取り合って。そこまでする理由は、なんだろう。特に帰宅してからのやり取りなんて完全にプライベートだ。本当に契約だけの関係なら完全シカトで構わないのに。だけど、泉くんがわたしにしてくれたことも、沢山くれた優しさも、きっと紛い物なんかじゃない。こんなのは都合のいい解釈だと思う。独りよがりの願望で大いに結構。


「あのね、違ってたら盛大に笑ってくれていいんだけど!」

「…うん」

「泉くんって、わたしのこと、本当に好きだったりする?」


ちょっとだけ、泉くんの目が大きくなった気がした。これは…うん、どう見ても驚いてる顔だ。

しかし、うんともすんとも言わない。大いに笑い飛ばすような気配も感じない。笑い飛ばす気すら起きないくらい馬鹿馬鹿しいってこと?それは辛い。これでも結構勇気出したんだよ?


「あのさ、それ聞いてどうすんの」

「聞いてから考える。教えて」

「……そうだと言ったら、どうすんの?契約解除する?」

「…そうだね。契約は、やだ」

「じゃあ言わない」

「泉くん」

「この件に関して俺から言うことは、なにもないよ。…それであかりを手放すことになるくらいなら」

「離れないよ!」


わっ、と少し驚いたような声が聞こえた。多分、泉くんの前でわたしがこうして声を張るのは初めてかもしれない。だけど、どうしても、伝えたい。今ここで言わなければ、多分もう言える機会はない。


「わたし、泉くんの傍から離れたりしないよ!どこにも行かない。泉くんが望む限り、一緒に居るよ!だからね、契約とか、フェイクなんかじゃなくて!その、泉くんとは、ちゃんと…」


急に言葉が出なくなった。さっきまで言いたいことがいっぱい出てきていたのに。わざわざ作業の手を止めてもらってまで聞いてもらっているのに。ましてやあんな恥ずかしいことも口にしたのに。最後の最後で二の足踏んでどうする。わたしのばかあほまぬけ意気地無し!


「……ほんと、ばかだねぇ。気付くの遅すぎ」

「…へ?」

「ま、いっか。その間に外堀はがっちり埋められたし。退路も断たせたからもう逃がさないで済むし」


外堀?埋める?退路?泉くんの言葉の意味が全くわからないが、ただひとつ、物凄く機嫌が良さそうなことだけはよくわかる。


「それよりさ。契約破棄ならもうお弁当要らないよねぇ」

「えっ!?そ、それは、困る!」

「だから、明日はあかりが俺の分も作ってよ」


ちゃんと食べてあげるから。そう言った泉くんの顔は、今まで見た表情の中でいちばん優しい。やだ、ちょっと…それは反則じゃないの。


「…わたし、泉くんほど料理うまくない。カロリー計算出来ないしレパートリーだって少ないよ?」

「ゼロじゃないだけ充分」

「ちょっと待って。寧ろゼロだと思ってて言ったの?」

「だって、おもしろそうじゃん。どんなものが出来上がるのか逆に楽しみ」

「さすが泉くん、いい性格してる」

「ま、そういうことで。せいぜい頑張ってよねぇ。俺の為に」


鼻につくような口調と態度とは反対に、泉くんは柔らかい表情と優しい手つきで頭を撫でてくれる。ほんと…このひとは素直じゃないな。でも、直接的な言葉がなくてもわかる。だって、あの泉くんが、プロ意識の塊の泉くんが、わたしのようなド素人が作ったお弁当を食べるだなんてまず言わない。それがどういう意味か、なんて野暮なことは訊かない。訊いたって今日はきっと教えてくれない。それに、泉くんの気持ちはわかった。だから今日は、これでいい。

いつの間にか、ここまでよく理解し合うところまで来ていたみたい。でもちゃんと言ってほしい気持ちもあるから、リベンジはまた後日のお楽しみにとっておこう。



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