過保護ヒーロー





「ほら。遠慮なく使え」

「すみません。助かります…」


佐賀美先生の呆れたような声が、ふたりきりの保健室に響く。基本的に健康優良児で保健室とは縁遠いわたしだけど、今日はとある事情で来ていた。寧ろ今回は健康優良児であるがゆえに起こった出来事かもしれない。


「にしても…凄いな。たかが5分外に出ただけでそんだけ蚊に刺されてくるなんざ。並大抵の人間じゃ体験できねーな」

「はい。久しぶりに大量…」


そう。わたしは、ほんの5分の外出で蚊からの総攻撃に遭っていたのだ。

蚊の活動にはもってこいの、ほんのり暖かい気候の今日、野暮用で出てしまったが運の尽き。一瞬で至るところが痒くなってしまって、気付いたときには既に悲惨な状態だった。もともと刺されやすい体質のせいか、ある程度の耐性はついているけど、今回はさすがに我慢の限界。痒み止めのおくすりを貰いに来たのである。


「えーっと…左手の甲、右膝二ヶ所、左膝、左足のふくらはぎ、両足首…左足の親指の付け根?逆にどうしたらこうなるわけ?ここまでくると一周回ってすごいわ。つーかよくそんな刺されて気付かないな」

「見つけさえすれば圧殺もしくは撲殺できるんですけど」

「見つけられないからそうなったんだな」

「ご名答」


昔に調べたことがあるが、蚊は吸血中は無防備で、しかも1分〜2分程集中して吸っていくらしい。幾ら麻酔薬みたいなのを注入されているからといって、これで一回も気付かないなんてそれこそ文字通り出血大サービス。馬鹿か。

最近の蚊は気配を消すのがとってもお上手。まるで忍者だ。仙石くんみたいにチョロい……じゃなかった、可愛くて存在感のあるタイプだったらどんなに見つけやすいだろう。最早仙石くんより蚊の方が忍者に近い。


「あかり!!」

「うわあっ!も、守沢先輩!?」


すぱーん!といい音を立てて勢いよくドアが開く。ぜえはあ、と肩で息をしながら守沢先輩が物凄い勢いと物凄い剣幕で突如やってきた。しかもわたしのことを呼びながら。どゆこと?わたしを捜していたの?でも今日はレッスンの約束も、バスケ部のお手伝いをする約束もしていないのに。


「こら守沢、もう少し静かに入って来い。今日は居ないからいいけど誰か寝てたら迷惑だろ」

「す、すみません。慌ててたもので、そこまで気が回らなくて…」

「お前、一応礼儀はちゃんとしてるのに珍しいな。どうした」

「その…あかりが、保健室行ったって聞いたから…心配で……」


思いがけない台詞に心臓が爆発しかけた。ちょっと、どこでそんな台詞を覚えてこられたのか。今時の戦隊モノのヒーローはこんなことも言うのか。ただでさえ顔がいいんだから威力も比例して増大。しかもこのひとは多分天然。まったく、タチが悪いったらない。

ひとりでそんなことを考えているうちに、守沢先輩はいつの間にか近くまで来ていて、わたしと目線を合わせるように屈んだ。さりげない仕草にいちいち反応してしまうのは相手が守沢先輩だから。条件反射だ。


「どうした?どこか悪いのか?いつも元気だと思っていたが、体調崩したのか?」

「いえ、体調はいいんです。寧ろ良すぎといいますか…」

「頑張り屋のお前のことだ、疲れが溜まってしまったのだろう?無理をするな。俺にくらいは弱音を吐いたって構わない。たまには思いきって羽を伸ばすのも大事…いてっ」

「先輩、話を聞いて」


ひとりでどんどん話を進めていく先輩。心配してくれるのは嬉しいけど事態を深刻化させないでください。落ち着いていただくためにも失礼を承知で軽くチョップした。

狙い通り冷静になったところで、手っ取り早く解っていただけるように、守沢先輩にも状況を説明して刺された痕を見せた。


「うーむ、これは……割と、大惨事だな」

「ですよねー…」

「血が健康的なのはいいことだが…蚊を介していろんな病気になる可能性もあるからな。刺されるのは基本的によくないよな」

「はい。しかも痒いし」


蚊は吸血中、気付かれないように麻酔薬のような分泌液を注入していくらしく、それがどうやら痒みの原因らしい。人の血を盗んで、唾吐いて帰っていくとか礼儀知らずも甚だしい。なんてヤツだ、蚊め。


「くっ…すまんあかり、俺が居ないときに限ってこんな辛い目に…!!」

「………はい?」

「なんて痛々しい…可哀想に。俺が傍に居てやれば、こんな事態にはならなかったはずだ!」

「いや、そんな重傷人扱いしなくても…そこまで思い詰めないでください。ほんと大丈夫なんで」

「よし、決めたぞ!今日から俺がお前を護衛しよう!お前に近付く蚊を一匹残らず撃退してやる」


だから安心しろ!と豪快に笑う守沢先輩。対照的にわたしは呆気に取られている。

なんだこの展開。唐突もいいところだ。蚊から護衛って聞いたことないよ。意味不明すぎる言動は天然を通り越して最早電波に近い。……と思っているのに、はっきり断れないわたしも大概だ。

守沢先輩に傍に居てもらえるかもしれないという嬉しい気持ちと、違うそうじゃないというもどかしい気持ちが交錯する。満足そうな先輩の後ろで、苦笑いを浮かべる佐賀美先生が視界に映る。あ、今の今まで先生の存在を忘れていた。なんかごめんなさい。

でも…まあいいや。最終的に細かいことはどうでもいいやって思わせてしまうのは、ある意味守沢先輩の特技なんだろうな。


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