この熱は誰のせい





「ぶえっくしゅん!」


誰も居ない廊下に、わたしの豪快なくしゃみが響く。しまった、人の気配がないからって気を抜きすぎた。周りを見渡したが、よかった。誰も居ないことを確認できた。

そういえば昨日の夜から冷えるとは思っていた。なかなか布団があったかくならなくて寝つくのに一苦労した。今朝布団を出たときも随分ひやっとして、もう一度くるまりたくなったくらいだった。

昼間になればあったかくなるだろうと高を括っていたら実際はそんなに変わらないという悲劇。ちくしょう今日は読みが外れた。厚手のカーディガン着てくればよかったなあ…凄い後悔。気の持ちようかもしれないけど、なんか悪寒してきた気が………


「あの…あかり殿」

「うひゃああああっ!……あ、し、忍くん?」


考え事の最中に背後から声を掛けられてひどく驚いた。振り返ると、隠密任務に最適だという布で半分ほど身を隠した忍くんが申し訳なさそうな顔でそこに居た。


「あの!せ、拙者、あかり殿を驚かせるつもりは、全く無くて!その…っ、どうか、ご堪忍を!」


わたしよりも慌てた様子で勢いよく頭を下げる。そして「怒ってるでござるか…?」と遠慮がちにこちらの顔色を伺ってくる。こんなときに非常に失礼だと思うけど、くそかわいい。もともと小柄な忍くんがやると、自然と上目遣いになってものすごくかわいい。しかもちょっと涙目。不謹慎なのはわかっているけど、かわいい。幾らわたしよりは少し大きいと言えどかわいいものはかわいい。結論、忍くんはなにをやってもかわいい。


「大丈夫。怒ってないよ」

「ほ、ほんとでござるか…?」

「ほんと」


本当に怒ってなんかない。丁寧にそのことを伝えると忍くんもわかってくれたみたいで。ふにゃりと安心したように笑う顔が、またかわいい。

この子はもともとが人見知りが激しい反面、一度心を開いてくれたらとことん懐いてくれる。最初こそ少し警戒されたけど割と早い段階で慣れてくれて。今では姿を見掛けるたびに名前を呼んでくれて、こうして傍に来てくれる。


「それで、あかり殿、先程なかなか盛大なくしゃみをされていたようでござるが…」

「…ああ、聞かれていたか」

「その、風邪でござるか?あまり無理をされてはいけないでござるよ」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。まだ引いてない」

「ご主君の健康を心配するのは当然でござる。充分に注意してほしいでござるよ」


片方しか見えていないけど、おっきい目で真っ直ぐに見つめられる。こんなに心配してくれるなんて…ほんとにいい子。


「それで、あの、あかり殿。少々、お手を拝借しても?」

「どうぞどうぞ」


忍くんから頼みごとなんて珍しい。なにも疑うことなく両手を差し出すと忍くんも両手でわたしのそれを包み込んだ。意外とおっきい手してる…かわいくても、ちゃんと男の子なんだな。こんなところで実感するとは。

しかし忍くんはなにをするわけでもなく、そのまま動かない。…どうしたのだろうか。


「忍くん?」

「……あ、あったかいで、ござるか…?」


んんんんんんんうううっ!!!!なんだこの可愛い生き物!!!!!

純粋の塊のような目で見つめられ、女のわたしが悶え死ぬ。いや既に萌え殺されそうなんだけど。というかどこで覚えてきたんだこんなこと。これ最早軽く凶器でしょ。仕込んだ奴許さない。


「う、うん!すごく!でも、これじゃ忍くんの手が冷えちゃう…」

「せせせ拙者は、平気でござる!その……こうしていたら、ドキドキして…心拍数が上がっているゆえ、体温も上昇しているので!」

「そ、そう……」


心拍数上がってるのはわたしも同じ。でも忍くんの手のほうがずっとあたたかく感じる。…どんだけ心拍数上がってるんだ?それとも、もともとの体温の差?


「なので!拙者は全然大丈夫であるからして!…その…あかり殿がご所望であれば、もっとあっためるでござるよ!」


その真意を尋ねる暇もなく、今度はてのひらだけじゃなく、もっと広範囲にあったかさを感じる。あろうことか、わたしは忍くんに抱き締められていた。驚きも勿論あるがそれどころではない。だから誰だこんなこと教えた奴はあああああああ!!!


「ち、ちょっと待とうか忍くん!あのね、こういうことは、あんまり軽々しくやらないほうが…」

「かかかか勘違いしないでほしいでござる!拙者、よく抱きしめられることはあっても、み、自らこのようなことをするのは、あかり殿に対してだけでしてっ!」

「んな……っ!?」

「とにかく、あかり殿に風邪など引かれては困るのでござる!あかり殿がいない学校は、退屈でござるよ…」


ぎゅーっと更に力強く抱き締められ、とうとう脳が仕事することを放棄した。もうだめだ。恥ずかしさと嬉しさと照れくささがぐちゃぐちゃに混ざってわけわかんない。

ていうか本当に誰が仕込んだんだ。この可愛すぎるハグといいさっきの言葉といい、まじでなんなの。彼が今までに修得しているどんな忍法よりも凶悪的なものだと心底思う。そしてこの質の悪い忍法に見事引っ掛かったわたしは、こんな学園内の廊下で、いつ誰が来るかわからないにも関わらず、暫くこのまま忍くんの体温を分けてもらうことを選んだ。



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