無条件に手を差し伸べたい





わたしと奏汰さんが最初に出逢ったのは、ちょうど去年の今頃。学院近くの海だった。季節の変わり目でまだ暖かい日と寒い日が入り交じる中途半端な時期で、だけどその日は晴れてて程よく暖かい日だった。わたしは当時というか今もだけど、考え込んだり煮詰まったりすると海に来る癖があって、その日もいろいろあって海を眺めに行った。そこで服を着たまま海に入っているひとを見つけた。それが言わずもがな奏汰さんだった。

服のまま海に入っている姿はちょっと、いやかなり変な光景だったけど、不思議なことに綺麗だなと思った。あのときにわたしが声を掛けて、ずぶ濡れの奏汰さんにタオルを貸したのが縁で、そこから少しずつ話をするようになった。お互いの名前、学部違いで同じ学校に通っていること、わたしのつまらない悩み、奏汰さんが海洋生物部という部活に所属していて部室で海洋生物の飼育をしていること、奏汰さんがよく行く水族館のこと…いろんなことを、あの海で沢山話した。奏汰さんと交流していくうちに、奏汰さん経由で『五奇人』や『流星隊』の方たちとも顔見知りになった。その方たちには『奏汰さんのお世話係』と覚えられていることもあるので少々申し訳ない気もする。わたしは構わないけど奏汰さんは良く思わないだろう。

奏汰さんを約一年見ているけれど、流星隊の副隊長になってからは随分丸くなった。…詳しくはわからないけど、去年のアイドル科は混沌としていて、まさに奏汰さんはその混沌の中心だった。朔間さんや日々樹さんたちと一緒に悪者に仕立て上げられて、ぼろぼろに傷付けられて。事情を深く知らないわたしが口を挟めなかったけれど…本当に酷いと思ってた。勝手に『奇人』と呼び、悪魔や化け物みたいに言うひとが殆どだった。奏汰さんたちは…奏汰さんはそんなんじゃないと何度も言いたかった。でも奏汰さんは「ちづるさんがわかっていてくれれば、それでいいです」と笑うだけだった。

でも結局わたしが弱かったのだ。奏汰さんを守ってあげられなかった。校内からの悪意を一身に受けて、ぼろぼろに傷付いていくさまを見ているだけだった。取り繕うように笑う奏汰さんに、寄り添うことしかできなかった。もっとわたしが強ければ。普通科の生徒、せめてクラスのひとたちだけでも説得して誤解を解いてあげられれば、みんなの運命は違ったかもしれない。奏汰さんはわたしを責め立てることは一切なかったけれど、これはわたしの、一生消えない後悔の念だ。



奏汰さんのことを考えていたら、なんだか海に行きたくなった。今日はバイトないし、少し遅くなっても問題ない。久しぶりに寄ってみようかな。逢えたらいいなと思わないわけじゃないけれど、海に行くだけで奏汰さんと一緒に居るような錯覚を感じる。…あれ、わたし相当やばいやつかしら。

海面が見えて、程なくして砂浜が見えてくる。潮風が心地よい。磯の香りもしてきて、ああ、海に来たなあと当然ながら思う。……ん、誰かもう海水浴してる。海開きにはまだ一ヶ月くらいあるぞ。サーファーでもなさそうだし、死ぬ気か。…ていうか、あれ、もしかして………


「…奏汰さん?」


遠目から見てもわかる。制服のまま海に入るなんて奇行に走りながらもあんなに綺麗なひとは、ひとりしか知らない。「奏汰さん!」と呼ぶとゆっくりこちらに振り返って、わたしに気づくと穏やかな笑顔を浮かべた。


「こんにちは。ちづるさん」


やっぱり奏汰さんだ。わたしのこと覚えててくれたんだ。そんな些細なことが嬉しいと思えるくらいに、わたしは奏汰さんに心を開いている。


「こんにちは。奏汰さん」

「なんだか、ごぶさたですね」

「はい。アルバイトで忙しくしてまして」

「そうなんですね。おからだには、きをつけてください」

「ありがとうございます。奏汰さんもね」


奏汰さんが優しくてわたしに対して気遣いをしてくれるのは、いつものこと。だけど…なんだろう。なんか、変。なにがと言われても詳しくは言えないけど…なんだろう。違和感。


「きょうは、どうしましたか?またなにか、おなやみですか?」

「ううん、なんとなく来てみただけです。奏汰さんは?」

「ぼくも、おなじですよ。ただ、ぷかぷかしにきただけです」


うーん……果たして、本当にそうだろうか。ただ単に『ぷかぷか』したいだけなら噴水でいいだろう。奏汰さんと学校こそ一緒だけれど、学部が違いすぎて校内ではまず逢わない。海だけでしか交流はないけど、なんとなく、今日の奏汰さんは様子がおかしいかもしれないってことを思った。いや、このひとに関してはおかしいって表現は合わないな。言い換えるなら、いつもと様子が違う、だろうか。


「ちづるさんもいっしょに、ぷかぷかしませんか?」

「あ、えっと…ごめんなさい。今日は遠慮します。今度は、タオル持ってくるので」

「そうですか…わかりました。こんど、ですね」


少し淋しそうな顔をしたものだから、つい慌てて「約束しましょう」と強調して言ってしまった。奏汰さんは笑って「はい」と頷いた。去年からの傷付き様を知っているから、奏汰さんにはあれ以上に苦しい思いをさせたくない。あんな顔を、させたくない。


「あの、奏汰さん」

「はい」

「奏汰さんは、なにか、お悩みですか?」


わたしの言葉が意外だったのか、奏汰さんは目を丸くさせてわたしを見る。やがて穏やかに笑って目を閉じ、ゆっくり首を横に振った。


「ちづるさんがきにするようなことは、なにもないですよ」

「そうですか…?」

「はい。…ただ、ちょっときょうは、いえにかえりたくないなあって」


家に帰りたくない…そう言った奏汰さんの目がとても暗くて。今日の違和感の正体はこれか、と。なにか訳ありなんだなと察するには充分すぎた。同時に、当たり前だけど、わたしは奏汰さんのこと、なにも知らなさすぎると思った。


「帰りたくない、といいますと…何処かにお泊まりですか?」

「うーん…そうしたいのは、やまやまですが…だれかのいえの『おせわ』には、なりたくないので…もうすこししたら『ぶしつ』にいくか、おとなしくかえります」


本当は、なんで帰りたくないのと根掘り葉掘り伺いたい。でもわたしはまだ全然そんなに親しくない。そもそもわたしにそんな権利はない。でも…他人でもないはず。少なくとも、お友だち…の、一歩手前くらいの立ち位置ではあると思う。わたしはお友だちだと思っているけれど。ならせめて、お友だちとして手助けをさせて。もう、あの日のように、見ているだけは懲り懲りだ。


「あ、あのっ!」

「はい」

「わ、わたしの家で良ければ!」

「え…?」

「わたし、ひとりなんで!部屋は大して広くはないですけど!でも誰の迷惑にもなりませんから、ど、どうでしょう…!」


最早自分でもなにを言ってるのかわからなかった。でも当時わたしにはなにも言わなかった奏汰さんが、今は事情の表面だけでも話してくれて、目の前で俯いている。奏汰さんなりのSOSな気がしてならなかった。奏汰さんのそんな顔を見たくない。もう二度と後悔したくない。その思いだけが、わたしを突き動かした。


「……ほんとうに、いいんですか?」

「奏汰さんさえ良ければ!」

「じゃあ…すみません。『やっかい』になります」


ほっとした、というような柔らかい表情になった奏汰さん。そう、この顔が見たい。今までも、これからも。もう後悔しない。させない。奏汰さんには、心から笑っててほしい。海のお話をするときの、心からの笑顔を見せてほしいんだ。



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