その気持ちの正体は
奏汰の笑顔が見たかった。笑顔にしてあげたかった。その気持ちに嘘はなかった。そう、あの頃は。
今日のステージで見せた奏汰の笑顔は眩しくて、心から楽しそうなのが凄く伝わってきた。でも、あそこにわたしは居ない。わたしが、あの笑顔を引き出したわけじゃない。あの笑顔に、わたしは全く関与していない。
奏汰の笑顔が見られれば、それでよかった。よかったはずなのに。奏汰を笑顔にするのはいつだってわたしがいいなんて、独り善がりで最低なことを考えてしまったんだ。ばかだよね、アイドルは笑顔で歌って踊って、お客さまを笑顔にさせる仕事なのに。理解はしている。でも、受け入れることができなかった。あの瞬間、あんな幸せそうな顔振り撒かないでって、アイドルとしての奏汰を否定するような酷いことを思ってしまったの。もうやだ、自己嫌悪。自分がこんなに最低な人間だったなんて知らなかった。
お祭りのお囃子や提灯の明かりが遠退いて、視界的にも雰囲気的にも暗くなった道へと歩みを進める。…やばいな。なんだか今のわたしの気持ちとリンクしてるみたい。これは、ちょっと…落ち込む。
気持ちが落ちているせいもあるんだろうけど、ひとりの夜道がどうしようもなく心細く思えた。ここのところは奏汰が迎えに来てくれることが多かったからかな。だめだ、完全に甘えてる。もともと、ひとりだったんだ。ひとりで生きていくと、あのとき決意したはずなのに。それにわたしは奏汰を支えたいと願ったはずだ。それなのに支えられていたのは、救われていたのはわたしの方だったなんて。こんなときに気付くなんて皮肉すぎるね。
「やっぱりわたしには…『ひとり』がお似合いなんだね」
自嘲気味に出た独り言は、誰に聞かれるわけでもなく闇に消えていく。まあ誰かに聞かれちゃ独り言にならないけれどさ。…わたしは、誰かと一緒にいたいなんて、烏滸がましいことを思っても、願ってもいけない。あのときの覚悟を無駄にしてはいけない。だけど…奏汰と一緒にいた時間は、楽しかった。幸せだった。その気持ちに、思い出に嘘はない。……そしてできれば、この先も、奏汰と一緒に、いたかったな。
「ちづるさん!」
聞き慣れない声。でも確かに、呼ばれたのはわたしの名前だ。振り返ると、そこに居たのは衣装のままの姿で息を切らした千秋さんだった。
「千秋さん…?」
「ちづるさん、だよな?」
「あ、はい。ちづるです」
「よかった…」
千秋さんと顔見知りとはいえ、今回ばかりは声を掛けられる理由がわからない。ましてやそんな息切れしてまでわたしを掴まえる理由が千秋さんにはないだろう。
「いかがなさいました?」
「えっと、奏汰が、ちづるさんを捜してて…」
なんですと?奏汰が、わたしを捜してる?いや待てよ。バイトがあるから確実な約束はできないと言ったはずだ。その代わり出来る限り行くよとも言ったけど。居るか居ないかわからないわたしを捜すって、奏汰もなかなか無謀なことするのね…
「奏汰、ちづるさんに逢いたがってる。顔見せてやってくれないか?」
「え、っと……わかりました」
今はあまり気乗りしなかったけど、断ってしまったらここまで来てくれた千秋さんに申し訳ない。それに家に帰ればどうしたって顔を合わせることになる。腹を決めて首を縦に振ると千秋さんは携帯を取り出して、どこかに電話をかけた。
「ああ、仙石か。奏汰に伝えてくれ。今、鳥居の外でちづるさんに逢えた」
せんごく…ああ、仙石忍くんのことね。流星隊の一年生で、忍者が大好きな子だっけ。それにしてもなんで忍くんに電話を?そこに奏汰がいるなら奏汰に直接すれば………まさか、水没させた?去年から携帯ごと海に浸かっては、だめにしてたもんな。それか、うちに忘れたか?ひとりでいろいろと考えていると、千秋さんが少々申し訳なさそうにこちらを見ている。
「ちづるさん。奏汰が、ちづるさんと話したいそうだ」
そこで奏汰の名前が出てくるってことは…やっぱり奏汰は忍くんと一緒に行動しているってことか。理由はどうであれ今携帯を持ってないことは確定した。「じゃあ、お借りします」と一応言ってから千秋さんの携帯を拝借。一度深呼吸して、携帯を耳に当てた。
「…はい」
「ちづる!ぶじですか!」
間髪入れずに返ってきた奏汰の声に思わずたじろぐ。いつもおっとりしてて、性格も話し方ものんびりしてるのに。そんな張り上げたような声も、焦ったような早口も、はじめて。
「う、うん。無事、だよ」
「そう、ですか……よかった…」
「あ、えっと、奏汰っ」
「とにかく、いま、そちらにいきますから。そこからうごかないでくださいね」
「え、ちょっ、かな……」
…切れた。なんとも一方的な。ていうかわたし現在地伝えてないけど大丈夫なの。さっき千秋さんが忍くんに伝えただけの情報でいいのか。頑固なのは気付いてたけど、こんな話聞かない子だったっけ。これは初耳だよ。
「奏汰、なんだって?」
「とにかく行くから動くな、と」
「そうか。じゃあ、ここで待とうか」
「はい。…あ、携帯、ありがとうございました」
「とんでもない」
タオルで軽く携帯の画面を拭いて千秋さんにお返しした。わたしから携帯を受け取った千秋さんは、またすぐさまどこかに電話して「高峯と一緒に来てくれ」と言った。…消去法で考えるなら、相手は鉄虎くんか。鉄虎くんも翠くんも、忍くんと同じ流星隊の新入りさんのはず。
「ていうか千秋さん、わたしにも電話くれればよかったのに」
「……確かに」
慌ててたからそこまで頭が回らなかったと言った千秋さん。奏汰のことで連絡がつくようにと交換した番号だけど、今こそ使いどころだったような気がする。ふたりしてそれに気付き、思わず笑ってしまった。
「俺もまだまだだな…それこそ今が奏汰関連のことなのにな」
「いやもうまったく本当に。……ね、千秋さん。もしかして、流星隊の皆さん総出ですか…?」
「ああ。奏汰が、ちづるさんの姿が見えない、行方不明になったと騒いでな」
行方不明って、大袈裟な。なんだか奏汰がお母さんでわたしが迷子になった子供みたい。もう高校生なんだしそんな騒がなくてもいいだろうに。ちょっとした騒動じゃん。
「なんか、すみません…」
「お気になさらず。誰かが困っていれば、全員で助ける。それが流星隊だから」
「思いやりにあふれていて、素敵ですね」
「ああ。有難いことに、子どもたちはみんな優しい心の持ち主だ。ただ…奏汰のあんな顔は、はじめて見た。だから余計に力になりたいと、全員が思ったんだろう」
ふと、千秋さんの言葉が引っ掛かり、つい「あんな顔?」と尋ねる。すると千秋さんは穏やかな顔で口を開いた。
「さっきのステージ、急に…まあ、もともと奏汰のパフォーマンスは一級品なんだけど、それでもスイッチ入ったなと思うくらいの変化はあった。終わったあとで理由を尋ねたら、ちづるさんが来てたって嬉しそうに教えてくれたんだ」
信じられないような千秋さんの話に「うそ…」と思わず言ってしまった。だって、あの距離で気付くとか、有り得ない。地上のわたしがステージ上の奏汰を見つけるのと、奏汰があの大勢のお客さんの中からわたしを見つけるのでは難易度が絶対に違う。
「信じがたいのも無理はない。俺ですら驚いたからな」
「それは…」
「ステージを降りて、俺とそんなやり取りをしてすぐ走っていった。きっと、ちづるさんに逢いたかったのだろう。ちづるさんが来てくれて嬉しかったのだろう。…だが暫くして戻ってきたときは様子がおかしくて。いつものんびりで穏やかで飄々としているあいつが、血相を変えて助けを求めてきた。ちづるさんが居ない、一緒に捜してくれと」
こんなところで千秋さんが嘘を言うメリットはない。わかっているのに、千秋さんが話した奏汰をうまく想像できない。先程あんな声を聴いたばかりだというのに、それでも、いつものおっとりした姿からは、そこまで慌てる奏汰を到底想像できなかった。
「そういうことがあってな。それで、全員で捜していたところだったんだ」
「…なんか本当に…すみません…」
「いやいや、とんでもない。…それに奏汰、今凄く楽しいんだと思う。ちづるさんにお世話になり始めてから、目に見えるくらい変わった」
「…そう、なんですか?」
「ああ。夏休みに入る前、よく昼飯に誘われたんだ。お弁当を作ってもらえることが余程嬉しかったみたいでな、見せびらかしたかったらしい」
「大したものを作ってあげられたわけじゃないんですけどね」
「いや、端から見ていたがいつも美味しそうだったぞ。前に一度、卵焼きをお裾分けしてもらおうと思ったんだが…」
「…が?」
「一口分けてくれと言ったら割と本気で殴られた」
「え…」
思わず絶句。たかが卵焼きで、なにをしているんだ奏汰は。暴力はいけませんよ。それに、言ってくれれば卵焼きくらい多めに作るのに。
「全部自分のものだと言ってな。一切譲らなかったぞ」
「…宜しければ今度、千秋さんの分も用意しましょうか?」
「いや…遠慮しておこう。ちづるさんのお気持ちは有難いが、命には代えられない」
「千秋さんの身になにがあったの…」
「ははは……」
千秋さんは苦笑いするだけ。でも…千秋さんは嘘をつくようなひとじゃない。逆に考えれば、奏汰がそこまでして、お弁当を食べようとしてくれてるってことだよね。……やだ、それは…どうしようめちゃくちゃ嬉しい。さっきまでのもやもやした気持ちが、奏汰の行動ひとつでいとも簡単に晴れていく。
「いつか、ちづるさんに言おうと思っていたことがあるんだ。聞いてくれるか」
「…はい」
「ちづるさん。奏汰の居場所を…帰る場所をつくってくれて、ありがとう」
そんな言葉と一緒に千秋さんは深々と頭を下げた。奏汰の居場所を、帰る場所を、わたしが作ってあげたいと常々思っていた。それを千秋さんが見てわかるくらい、奏汰に伝わっていたとしたら。このうえなく光栄で、幸せなことだ。まずい、ちょっと泣きそう……
「ちづる!!!」
出かけた涙が引っ込むくらいに、辺りに響いた声。振り向くと、千秋さんと同じ衣装のままの奏汰がいた。見たことないくらいの険しい顔で、肩で息をしていた。息が上がりきっている奏汰に、追い付いた一年生たちが心配そうに寄り添った。
一年生たちに支えられながら奏汰は辺りを見渡す。その綺麗な目でわたしを捉えた瞬間、険しかった表情は一気に歪んで、わたしの方へ…一直線……
「ちづる!ちづる…っ」
「え、ちょっ、か、奏汰…!?」
今まで生きてきたなかで最高レベルで混乱している。皆さんがいらっしゃる前で、ぎゅうーっ、と力いっぱい抱き締められた。急すぎる事態に頭が追い付かない。ちょ、どしたの!?なんで急にこんなこと!?
「か、奏汰、あの、み、みなさん、見てる!」
「いいです。きにすることありません」
「いやいやいやいやいや!気にするよ!恥ずかしい!き、急に、どしたの!?」
「ちづる。しずかに」
「無理です!と、取り敢えず、一旦、離れようか!ね?ねっ!」
まともに話せないレベルで動転している。それもそうだ、男のひとにこんなことされたの、はじめてだ。なにを言っても、どれだけ抵抗しても、奏汰は一向に離してくれない。…でも……
「か、奏汰、ほんとにどうしたの…っ」
「……もうにどと、あえないかとおもいました」
「そんな大袈裟な…」
「『おおげさ』なんかじゃないです!…ほんとうに、こわかった……」
…気のせいだろうか。わたしよりも奏汰の方が様子がおかしい。若干鼻声だし、わたしを抱き締める腕が震えている。…自分より動転してるひとを見ると落ち着くって、本当だ。
……少しだけ戸惑ったけど…そっと、奏汰の背中に腕を回して、ぽんぽんと叩く。時間の経過とともにだんだん奏汰も落ち着いたのか、震えは収まって、呼吸もいつも通りになっていく。
「…奏汰、携帯は?」
「わすれました」
「ああ、やっぱり…」
「…ごめんなさい」
消えそうな声で奏汰は謝ってきた。あーあ、本当は少しばかり説教するつもりだったのに。こんな様子見たらつい毒気削がれた。本気で反省してるみたいだから、今回だけは大目に見てあげることにしよう。…わたしも奏汰には、だいぶ甘いなあ。
その奏汰の向こうに、こちらに近付いてくる人影がひとつ。わたしの視線につられるように奏汰も後ろを向いた。「しゅう…」と、奏汰がつぶやいた一言で、その人物が斎宮宗さんだと悟った。
「まったく。人騒がせだね、奏汰も」
「…もしかして、しゅうもちづるをさがしてくれていたんですか」
「勘違いしないでくれたまえ。きみは僕らのなかでいちばん危なっかしい。誰か保護者が必要だからね」
「ふふ。しゅうは『てれや』さんですね。ほんとうは、とってもやさしいのに」
「勘弁してくれ。僕は影片のお守りだけで手一杯だ」
溜め息をついて顔を上げた宗さんと、ぱちりと目が合う。知らない仲じゃないので会釈して「ご無沙汰してます」と声を掛けた。
「すみません宗さん。お手数お掛けしました」
「全くだ。保護者が捜されてどうする」
「いやわたし別に迷子とかじゃなかったですよ」
「そんな些末なことはどうでもいい。問題は、捜される立場になったことだよ」
「え、いや、その……おっしゃるとおりで…」
宗さんも大概話を聞いてくれないひとだ。今に始まったことじゃないからいいけどね。それに捜される立場になったことが悪いというのも一理ある。わたしが逃げなければ、こんな騒動は起きなかったと言われてしまえばそれまでだ。
「ちづる、しっかりしたまえ。…奏汰のことは頼むよ」
「はい、心得ます。…あ、宗さん、マドモアゼルさんに宜しくお伝えください」
「気が向いたら言っておこう。マドモアゼルも、きみのことは気に入っていたからね」
あれ宗さんの腹話術でしょ、なんて野暮なことは言わない。マドモアゼルを介してでもコミュニケーション取ってくれてたし、今みたいに普通に話してくれるときもある。それにわたしも、宗さんが根は優しいって知ってる。ありがとう、宗さん。遠ざかる宗さんの背中に向かって、心の中でお礼を言った。
「…よし!ちづるさんと奏汰が無事に逢えたし!俺たちも解散といこう!」
事態を見守っていた千秋さんの一言で、みんなで帰り支度をして帰路につく。今聞いたんだけど、流星隊は明るいうちは現地集合だけど、遅くなった帰りなんかはみんなで帰ってるらしい。家がそこまで遠くないから出来ることだけど、微笑ましすぎるエピソード。…だから奏汰も、わたしのお迎えとかに全く抵抗がなかったのかな。
まずは一年生三人を無事に送り届けて、このあとは今までは千秋さんが奏汰を送ってくれてたそう。でも今回は先に千秋さんのお宅へ向かうことにした。
「奏汰、お疲れ!今日も最高のパフォーマンスだったぞ!」
「おつかれさまでした、ちあき。それと…ちづるをいっしょにさがしてくれて、ありがとう」
「礼など要らん。当たり前だろう」
「わたしも、たいへんお騒がせ致しました…」
「いえいえ。ちづるさんにはいつも感謝している。今後とも、奏汰を宜しくな」
「はい。では、お疲れ様でした。おやすみなさい」
「ちあき、おやすみなさい」
「ふたりとも、気を付けてな!」
千秋さんがお宅に入っていくのを見送る。千秋さんは最後までわたしたちに大きく手を振ってくれていた。玄関のドアが閉まったのを確認すると、わたしと奏汰はどちらともなくお互いを見た。
「ちづる」
「はい」
「かえりましょう。ぼくたちのおうちに」
真っ直ぐ差し出された、奏汰の右手。驚いて奏汰の顔を見ると、わたしもよく知る、いつもの穏やかで優しい表情で、真っ直ぐな目でわたしを見ていた。…僅かな葛藤の後、恐る恐る左手を伸ばす。そっと重ねると、奏汰はたいそう満足そうに、ぎゅっと力を込めて握り返してきた。でも痛くないように加減してくれてるのが不思議とわかった。それに意外にも大きくて、しっかりした手だ。
奏汰と手を繋いでいるというこの状況が未だに飲み込めなくて、こっぱずかしくて、照れくさくて。なんとなく地面に視線を落としながら歩く。暫くそのままでいたら、突然、繋いだ手をちょっとだけ引っ張られながら「ちづる」と優しい声で呼ばれた。まるで「こっちむいて」というような言動に惹かれるまま、返事をしながら奏汰を見た。
「すてーじ、みにきてくれて、ありがとう」
その言葉に、先程とは違う意味で心臓が跳ねた。やっぱり奏汰は、気付いていたんだ。「ちづるがきてくれて、うれしかったです」と、あのステージ上と変わらない笑顔で言ってくれた。そして今になって気付く。あのときの笑顔にも、もしかしたらわたしは関わっていたのかもしれない、と。…ねえ、奏汰。わたし、自惚れてもいいかな。少しは奏汰の信頼を勝ち得てると…贔屓されてると思い込んでもいいのかな。
みんなを笑顔にさせる役割をもつアイドルの奏汰を、いちばん笑顔にさせてあげられるのかもしれないという優越感に浸る最低なわたしに、どうか気付かないで。
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