人生は道連れ





「狭いですけど、どうぞ」

「おじゃまします」


奏汰さんのその言葉に、そういえばお客さんなんて久しぶりだなとしみじみ思った。そもそもこの部屋に友だちをあげたこと…あったっけ。それ以前に友だちが少な……そんな淋しいこと考えるのやめよう。とにかくここでは奏汰さんがお客さま第一号か。なんだか新鮮だな。靴を脱いでリビングに向かう…ところだったのだけど、違和感を覚えて振り返る。さっきまでわたしのうしろを健気についてきていたのに、奏汰さんは玄関で立ち止まったまま。


「…奏汰さん?」

「すみません。いまのぼくは『びしょぬれ』なので。このままおじゃましたら、おへやをよごしてしまいます」

「あ…そうでした。ちょっと待っててくださいね。タオル持ってきます」


この部屋は大して綺麗でもないけど、ひとを上げられる程度には汚くもない。まあ物が少ないからだけど。それでも奏汰さんは少しでも汚さないようにと気を遣ってくれてるんだなってわかって、なんだか嬉しくなった。奏汰さんが上がれるように玄関口には手頃なタオルを敷いて、服ごと身体を拭けるようにおおきなバスタオルをお渡しした。


「はい。お待たせしました」

「ありがとうございます。ふかふかですね」

「それ、肌触りいいですよね。本当はこのままお風呂に…と言いたいところですが。奏汰さん、お湯苦手なんですよね」

「はい。あついのは、にがてです」

「ですよね。じゃあ…お水は流石に厳しいので、ぬるま湯のお風呂作りますね」

「はあい」


奏汰さん向けに、水の分量を圧倒的に多くして、お湯は申し訳程度の割合で。さわって「冷たい!」と反射的にならない温度にしよう。えーっと、あと必要なのは…着替えかな。


「着替えは…絶対わたしのじゃサイズ合わないですよね。なにか奏汰さん、お持ちですか?」

「えっと……そうですね、この『じゃーじ』だけです」

「預かってもいいですか?急いでお洗濯しちゃいます」

「いいんですか?いたれりつくせり…ありがとうございます」


お湯というかほぼ水だけど、湯船に汲み終わったので奏汰さんを誘導。どうせならとシャツも一緒に洗濯機に入れてもらって、体操服と一緒にお洗濯しちゃえ。タオルも突っ込んでスピードモードで洗濯機を回して、次は寝床の確保だ。運が良いことに、わたしは普段から敷き布団は二枚重ねて使っている。それをばらして片方を奏汰さん用に、もう片方はリビングに持っていく。向こうの部屋を奏汰さんに使ってもらって、わたしはリビングで寝よう。わたしの寝床なんてソファーでもいいと思ったけど、多分それでは奏汰さんが逆に気を遣いそう。わたしが奏汰さんの立場だったら嫌だし。だから可能な限りは半分ずつにして、少しでも奏汰さんが責任を感じないようにする。これは、わたしの意地と矜持だ。

お布団問題も無事に片付いた。さて、奏汰さんが出てくるまでに、ちゃちゃっとご飯作るか。気合いを入れて冷蔵庫を開けた瞬間、中身のすかすか具合に愕然とした。うわあ…買い物サボってたツケがここで回ってくるとは。主に残っているのは、卵と、お茶とカルピスと、ドレッシングに調味料…その他もろもろ細かいもの。冷凍庫には冷食が残ってはいるけど……幾らバイトで忙しかったといえどこれは酷い。明日も休みだし、絶対に買い物しようと心に固く誓った。それでもお米は余裕がある。これなら辛うじてオムライスなら出来る。ていうかそれくらいしか出来ない。まあいっか、唯一と言える得意料理だし。幸いなことに食器だけは余裕がある。食器だけでなくカトラリーも、気に入ったものを無駄に買ってたのがこんなところで役に立つなんて。

なけなしの具材とお米とケチャップで、ちょっと淋しいけどチキンライスを作る。物足りないけど味は問題ない。変なもの入ってないから崩れようもないけど、一応チェック。うん、普通にうまい。…あとは、卵で失敗しなければ大丈夫。



「おや、いいにおいですね〜」

「あ、はい。もう少しで出来ますので、是非座っててください」


いつの間にかお風呂から出てきた奏汰さん。早いなと思ったけど時計を見たら30分くらい経っている。いろいろやってたら気付かなかったらしい。

でもこっちも卵を焼くだけだからすぐ出来る。奏汰さんの姿が見えたら急に緊張してきたけど、いつも通りやれば大丈夫。大丈夫。心の中で呪文みたいに何度も繰り返して、なんとか無事に成功。ケチャップでゆるい波線を描いて、お皿をふたつテーブルに運んだ。


「これは『おむらいす』ですね」

「すみません。簡単なものしか作れなくて。しかも付け合わせもおかずも無し…」

「いいえ。とっても、うれしいです」


手前味噌だが、味には自信がある。オムライスはわたし自身がとにかく好きで、自分が美味しいと思える作り方を研究してきた。…ちなみに誰かに食べさせたことない。味は百歩譲って及第点として、問題は見た目だ。わたしは、ご飯を卵でくるんと綺麗に巻くやり方がてんで下手なのだ。というか出来ない。たんぽぽオムライスとやらも練習中なので…まあ、出来ない部類だ。わたしが出来るのは、ご飯の上に、その巻く前の卵を乗せるパターンのやつ。見た目的に、これを人様に出していいものなのかわからない。でもこれしか出来ないし、材料的にも他のものを作る余裕などもない。

しかし奏汰さんはそんなことは全く気にしていないのか、いつもの優しい口調で「いただきます」と言って、スプーンを手にする。


「おいしいです」

「ほんとですか…?」

「はい。たまごがとってもふわふわとろとろで、しあわせです」


見た目はともかく、ふわとろ卵には自信がある。そこを褒めてもらえたことは素直に嬉しい。受け入れてもらえて安心した。


「ちづるさんも、いっしょにたべましょう」

「あ、は、はいっ」


自分が作ったものを、誰かと一緒に食べる。はじめての経験だ…うう、緊張で味がわからない…見た目と食感で卵は上手くできたのはわかるけど。味覚細胞が仮死状態。奏汰さんがどんどん食べ進めていることだけが救いだ。


「ちづるさんは『りょうりじょうず』ですね」

「かなり偏ってますけど…自分が好きなものは、好き勝手に作れる程度ですね」


なので料理上手とは程遠い。本当に料理上手だったらよかったのにな。奏汰さんが食べたいもの、なんでも作れるくらい。……まともに料理してこなかったことを今ほど後悔したことはない。


「あの、ちづるさん」

「あ、はいっ」

「…いつまで、おせわになっていいですか?」


そう言った奏汰さんの言葉は、今にも消えそうなくらい弱々しく聞こえた。目も不安そうに揺れている。…そんなに家に帰りたくないのかな。奏汰さんのお家、どれくらい複雑なんだろう。わたしが想像もつかないような苦労や苦悩が、あるのだろう。


「先程も申し上げましたが、わたしはひとりなので、いつまででも全然問題ないです」

「そうですか…?」

「はい。ただ、わたしも普段放課後はアルバイトしてるので、逆に奏汰さんを不規則な生活にお付き合いさせてしまうことが多々あると思います。かえってそれが負担になってしまうかもしれませんが…」

「ぼくは、ぜんぜん。ぼくにも『れっすん』がありますし、おたがいさまです」

「そう思っていただけるなら大丈夫です」


わたしの言葉に安心したのか、ぱあっと表情を明るくさせた奏汰さん。この顔を見ると、なんだかこっちまで元気になる。やっぱり奏汰さんはアイドルだなあって思う。


「あ、よかったら、あるばいとがおわったら、れんらくください。おむかえいきますから」

「え、そんな、お気遣いいただかなくても!大丈夫ですよ、今までもひとりで帰ってましたし!」

「おせわになるんですから。それくらい、させてください」


今はまだいいが、冬になったら暗くなるのがとにかく早い。夜帰るのが大丈夫、怖くないというのは嘘になる。だからお迎えがあるのは…正直心強い。って、冬まで居てもらう気かよ自分。わたしはいつまででも本当にいいけど、奏汰さんだってそこまで長居するつもりないっしょ。などと脳内で突っ込みを入れながらもちゃっかり携帯番号を交換するあたり満更でもないのね、わたしも。


「なんだか、わたしにもこんなにメリットがあって、いいのでしょうか」

「ぼくにできることなら、なんでもしますよ。『いっしゅくいっぱん』のおんがえしです」

「微妙に意味が違うような…?」

「ふふ、そうですか?こまかいことは、おきになさらず〜」


不思議な声を上げて笑う奏汰さんがほんとに気にしてなさそうだから、わたしも気にするのはやめよう。もともと細かいことを気にする性格でもないしね。


「ちづるさん」

「はい」

「おかわり、ないんですか?」

「えっ!?」


いつのまに食べ終えたのか、空になったお皿を傾けてお代わりの催促をしてきた。結構多めになっちゃったと思ってたのに…奏汰さん、意外と食べる方なのね。覚えておかなきゃ。


「少しだけお時間いただいていいですか」

「うーん…わざわざつくってもらうのは、さすがにわるいです…また、こんどおねがいします」

「今度はもっと多めに作ります」

「おねがいしますね。とっても、おいしかったです」


奏汰さんの言葉が嬉しくて、緩んだ表情のまま頷いた。わたしも手早く食事を済ませ、後片付けをしようと思ったら、奏汰さんは「てつだいます」と申し出てくれた。大してやることはないけど、それでも奏汰さんのお気持ちは嬉しくて。狭い台所で一緒に作業した。……これは、結構…楽しいかも。


「ふう、これで終了です」

「ごちそうさまでした。ちづるさん」

「いいえー」


ごはんが終わったあとは奏汰さんに自由に寛いでもらって、そのあいだにわたしもお風呂を済ませる。そのあとは、いつものルーティンになってる授業の予習と復習。テーブルに教科書と参考書を広げた。いつもこの時間は頭が痛くなるが、がんばらなきゃ。


「ちづるさん、がんばりますね」

「ありがとうございます。わたし、要領よくないので一日サボると一気に崩れるタイプで……他人の勉強風景なんてつまらないですよね。遠慮なさらず、先にお休みになられて大丈夫ですよ」

「いえいえ。ぼくはじゅうぶん、やすめています」


お水を飲みながら穏やかに言う奏汰さん。本当に休めているならいいけど。そういえばアイドル科は、こういう勉強しないのかな。ある程度の教養や常識があればいいのかな………やばい、自分で考えておきながら奏汰さんにそれが備わっているのか疑問に思ってしまった。失礼もいいところだ。


「ちづるさんこそ、ぼくのことはきにしないで、なっとくするまでやってください」

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて…もう少しやります」

「はい。…あ、おみず、いただいてもいいですか?」

「もちろんです。すぐご用意しますね」

「ちづるさん、ぼくがやってもいいですか?」

「…はい。冷蔵庫にペットボトルの天然水がありますので、ご自由にどうぞ」


奏汰さんは直接言葉にはしなかったけど、わたしの勉強の手を止めさせまいとしてくれたのかな…?なんて、それは思い上がりすぎ……だよね、そうだよね、うん。

そしてわたしが勉強している間、奏汰さんは本当にずっと待っててくれた。ぐーっと背伸びをしたら終わったのを察したのか「おつかれさまです」といたわってくれた。…なんか、いいなあ。家でそんなこと言われるのも、悪くない。


奏汰さんが来てから長かったのか短かったのかもうわからないけど、そろそろ寝る時間になったのは確かだ。一部屋を使って構わないと言うと奏汰さんは物凄く渋っていたが、わたしの押しに負けて頷いた。


「布団、大丈夫ですか?固くありません?」

「いいえ。ふかふかで、ここちよいですよ」

「よかった」


熟睡…は、いきなりは難しいだろうけど。ここで奏汰さんが少しでも休めたら嬉しい。身体も、お気持ちも。


「それでは奏汰さん、おやすみなさい」

「はい。またあした」


部屋のドアを閉めて、わたしもリビングには不釣り合いの布団に潜り込んだ。

また明日。ただの友だちのときには使わなかった言葉だ。毎日逢う確証などなかったし、約束もしていなかった。でも、今日からは違う。明日も、明後日も…終わりはいつになるかまだわからないけど、暫くこうして一緒に過ごすことになる。ボロを出さないようにしなきゃいけないし、いろいろ気を遣うことも増える。でもどちらかというと、楽しみの方が大きいんだ。


今日から、奏汰さんとわたしの不思議な同居生活が、幕を開ける。




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