この関係に名はあるのか






「あしたは、かえりがすこしおそくなります」


夕食後の、のんびりした時間。この前わたしが買ってきた水色の部屋着に身を包んだ奏汰さんから、そんな報告を受けた。…やっぱり青系の色似合うな。奏汰さんも気に入ってくれたみたいで嬉しい……って、それは今は置いといて。

奏汰さんがわざわざこう言ってくるのは珍しい。いつもレッスンで遅くなるし、わたしも奏汰さんに合わせてバイトしてるわけだから当然遅い。明日はレッスンはお休みみたいだし、わたしもバイトは休みにした。ということは、レッスンはないけど遅れるということか。


「なにか、ご用事ですか?」

「はい。いちど『じっか』にかえって、すこし『にもつ』をもってきますね」

「…大丈夫なんですか?」

「あしたは、だれもいないひなんです。だからすばやくかえって、すばやくでていけばだいじょうぶです」


そんなリスクを冒さなくても、必要なものはこちらで揃えればいいのに。…でも、奏汰さんなりの気遣いなのかな。それに買えないようなものだったり、奏汰さんにとってどうしても必要なものだったりするのかもしれない。あまり詮索しないほうがいいだろう。


「しんぱいしないでください。ちづるさんをこまらせるようなものではないので」

「ふふ、ありがとうございます。無理なさらないで、気を付けて行ってきてくださいね」

「ありがとうございます。かえるときに、れんらくしますね」

「わかりました」


奏汰さんのご実家って、どんなところなんだろう。奏汰さんが毛嫌い…とまではいかないだろうけど、かなりの苦手意識をもっているみたいだし。奏汰さんが話してくれるまで待とう。言わなかったら言わなかったで構わないし。誰にだって、言いたくないことのひとつやふたつは存在するだろう。わたしだって例外じゃないしね。










昨日のうちにだいたい何時くらいに帰って来られそうか確認しないちゃったけど、取り敢えずのんびり夕飯を作りながら待つことにした。今日はもう既に予習は終わっている。

作業を進めていると、ポケットに突っ込んでた携帯が震える。…お、奏汰さんだ。まあ、大方予想通りだけどね。


「はーい」

「ちづるさん。おまたせしました、いまからかえりますね」

「わかりました。お迎え行きます」

「ありがとうございます。でも、きょうは、ひとりでかえれるか、ためしてみてもいいですか?」

「もちろんです。じゃあ、お待ちしています」


迷ったらまた連絡くださいと言いかけたが、言葉にするのはやめておいた。迷子になること前提みたいで奏汰さんを信用していない気がしたから。そりゃあもちろん心配だけど…奏汰さんが試してみたいと言うならそうさせてあげたい。それに、わたしも気になる。奏汰さんがうちを覚えてくれたかどうか。

夕飯の準備も終盤に差し掛かったころ、インターホンが鳴る。そこにいるのが奏汰さんだと確認して、ドアを開けた。


「ちづるさん。ただいま」

「お帰りなさい、奏汰さん」

「ひとりでもかえってこられました」

「うん。覚えてくれてありがとうございます」


よかった、顔を見られて、ようやく心から安心した。疑ってたわけじゃないけど、心配してないわけでもなかった。


「なんか、はじめてですね」

「え?」

「ちづるさんに『ただいま』っていうのも、『おかえり』っていわれるのも」


そういえば、そうだ。「行ってきます」「行ってらっしゃい」は今まで交わしてきたけど、帰りはいつも一緒だったから確かにはじめてだ。仕事やレッスン後だったから第一声は決まって「お疲れ様です」だったな。


「なんだか新鮮ですね」

「ですね」


ふたりで顔を見合わせて笑った。言った通り、こうしてお出迎えするのは新鮮。わたしも奏汰さんも、おなじ気持ちだった。


「ごはん、たべちゃいましたか?」

「ううん。待ってましたよ」


寧ろ奏汰さんと食べたいから待っていた。今日のメニューは特に奏汰さんの為に作ってみたから。


「今日はですね…時間があったので、鯖の味噌煮、やってみました」

「さば!」

「はじめてやってみたので、ちょっと不安ですが…一応、お味噌の味は、大丈夫でした」

「たのしみです〜。ちづるさんの、おさかなりょうり〜、ふふっ」


今までの経験上、なにを作っても奏汰さんは受け入れてくれるけど、魚料理ってだけでこんなにテンションが変わるとは思わなかった。…まだ食べてもらってもないのに、わたしも気持ちがだいぶ浮かれている。こんなんで大丈夫か…?

盛り付けが完了したお皿を、いつものように夕食をテーブルに並べていく。奏汰さんはきらきらした目で鯖を見ている。その様子がいつもよりちょっとだけ幼く見えて、なんだか可愛い。向かい合って座って「いただきます」と声を揃える。奏汰さんは迷うことなく鯖の味噌煮にお箸を伸ばした。


「おいしいです…!」

「そ、それは、よかった…!」

「はい。ごはんの『おとも』に、さいてきです」


奏汰さんはその言葉通り、ごはんと一緒に鯖の味噌煮もどんどん食べていく。…確かに、はじめてやった割には、よくできたと思う。まあ殆どレシピ本のお陰なんだけど。手順も初心者向けに丁寧に説明してあって、いいレシピ本を選んできたなあと。そこは、自画自賛。


「ちづるさん。おかわり、ありますか?」

「あ、はい。はじめてでよく解らないままレシピ通りの分量にしたら、結構多くなっちゃって…」

「ちょうどいいですね。ぜんぶもらっていいですか?」

「全部!?…ま、まあ…奏汰さんさえ宜しければ」

「では、えんりょなく」


本当に遠慮なく、お箸を進めていく奏汰さん。いや、別に全然いいんだけど。こんなに食べてくれて作った甲斐あるし、わたしからすれば嬉しい限り。ただ、純粋にすごいと思っている。ほんとに全部たいらげそうな勢い。痩せの大食いだ。魚料理に限り、という感じだけど。


「ちづるさんは、なんのおさかながすきですか?」

「基本的になんでも食べられます。でも強いて言うなら、サーモンと鯖かな」

「どちらもおいしいですよね。ちづるさんがおさかなたべられるひとで、よかったです」


なかにはお魚苦手なひとも居るもんね。わたしのバイト先にも、お魚食べられないっていうひとがいる。勿体ないな、人生損してるなって思っちゃう。わたしが食べられないものを好きなひとからすれば、わたしも人生損してるように見えるんだろうな。


「…やっぱり、すこしだけのこします」

「うん。無理しないで」

「いえ、むりではありません。ほんとうは、ぜんぶたべられます。のこしたぶんは、あしたの『おべんとう』のおかずにいれてくれますか」


そういうことか、と合点がいった。有難いことに、明日も食べたいと思ってくれたからこそ残すという結論に至ったのだろう。明日のお弁当のおかずに入れることと、また近いうちに作ることを約束した。

片付けを一緒に終わらせて、このあといつもやっている勉強が今日は既に終わっている。はじめて、寝る前の時間を奏汰さんとのんびり過ごせる。


「お荷物、なにを持ってこられたんですか?」

「『がっこう』にもっていくものや『りゅうせいたい』にひつようなもの…あとは、ここにおいておきたいものを、しょうしょう」

「なるほど。たしかに大切ですね」

「はい。それと…ちづるさんに、うけとってほしいです」


奏汰さんから手渡された封筒。中身を見てみると、なんと入っていたのは現金だった。しかも割と結構な額が入っていた。予想してなかった事態に大慌てで封筒を閉じ、奏汰さんに向かって差し出した。


「こ、これはさすがに頂けません…!」

「だいじょうぶです。いえから『どろぼう』してきてはないですよ。ぼくが『りゅうせいたい』のかつどうで、かせいだおかねですから。あんしんしてください」

「いや、あのっ、そういう問題では、ないんです!とにかくこれは受け取れません…!」

「どうか、もらってください。このまま、なにもしないですまわせてもらってしまっては、ぼくはただの『ごくつぶし』になっちゃいます」

「ご、穀潰し……どこで覚えたんですかそんな言葉…」

「…ちあきとも、そうだんしたんです。ここにおいてもらういじょうは、ちゃんとしたほうがいいって。ぼくもきちんとしたいです。おせわになりっぱなしは、いやです」

「そんなこと…っ」


奏汰さんの言うことには一理ある。確かに住んでる以上は、生活費を入れるというのは一般的だ。でもわたしたちはそんな関係じゃない。奏汰さんにそんなこと強要したくないし、するつもりもない。


「ちづるさん。ぼくのために、うけとってください。ぼくも、このいえの『いちいん』にしてください」


優しくて穏やかな口調はそのままだったけど、奏汰さんの目は真剣そのもので。もしかしたらこれは奏汰さんなりの誠意、覚悟なのか。そう思ったら…不思議と、受け止められる。


「…奏汰さんのお気持ちはわかりました。ですが、この半分の額で大丈夫です」

「ちづるさん……でも…」

「まだ、ふたりで生活していてどれくらいかかるのか、わたしにもわかりませんから。まずはこのくらいで様子見しましょう。もう少し経ったら、ふたりで改めて話し合って、また擦り合わせていきましょうね」

「…ちづるさんが、そういうなら…ここは『すなお』にしたがいます。そのかわり『はんぶん』はうけとってくださいね」

「うん。ありがとうございます。…びっくりしたけど、奏汰さんのお気持ちは、嬉しかったです」


驚いたけど、奏汰さんの気持ちを聞いてからは嬉しくなった自分もいた。奏汰さんなりにこの家のことを考えてくれていたこと、出来ることを考えて実際に行動に移してくれたこと。そして一員になりたいと言ってくれた奏汰さんの言葉が、素直に嬉しかった。だから、わたしも意地を張らず、奏汰さんと協力していこうって思えた。


「では…半分頂戴します。お家賃に充てますね」

「はい。…ちづるさん。これでぼくも、このおうちの『いちいん』になれましたか?」

「もちろん。わたしからすれば呼んだ時点で一員ですけどね」

「ありがとうございます。ちづるさん、あらためて、よろしくおねがいします」

「こちらこそ、宜しくお願い致します」


緩やかに笑った奏汰さんに、つられてわたしも頬を緩める。……『お金』のことは、今思えばかなりデリケートな問題のはずなのに。揉めることなくこんなにスムーズにいったのは奏汰さんがうまく歩み寄ってくれたから、なんだろうな。

ひとりでいることに慣れすぎて、誰かに頼ることを、誰かと支え合うことを忘れていた。そんな、ひととして当たり前のことを思い出させてもらえたのは、相手が奏汰さんだからだろう。これから他にもいろいろと、奏汰さんと協力していくことが増えていくのだろう。それでも、奏汰さんとなら、きっと上手に乗り越えていけるような気がするのは、おかしいかな。



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