気持ちのあたたかさは心地よい
「…あつい……」
夕方前の、まだまだ暑い時間帯に、レッスンから帰ってきた奏汰さん。ただいま、おかえりのやり取りの後、二言目には溜め息混じりに不満をこぼした。
「ええ。今日は暑いですね…」
確かに暑い。外は少々季節を先取りすぎな猛暑と言えるくらいの暑さだ。この部屋も一応クーラーはつけているが…こんな物言いは失礼だろうが備え付けのクーラーのパワーなんて、たかが知れてる。外よりはマシだが、じんわり暑い…といったところだろうか。湿度が高いから余計に。
「お水、冷えてますよ。飲みますか?」
「こおり、いれてください…」
なんだか会話が微妙に噛み合ってない気もしたが…拒否しないってことは、ほしいって解釈でいいんだよな。ご要望通りコップに氷を入れて奏汰さんのものへ持っていく。奏汰さんは「ありがとうございます…」と力なくお礼を言って、ゆっくり、でも一気に飲み干した。
「お代わり、要ります?」
「おねがいします」
給水したことで口調は幾分はっきりしてきたかな。意識も戻ってきてる。よかった。……とは言っても、室内の暑さはどうしようもない。どうにか、気を紛らわせてあげられればいいんだけど……あ、そうだ。
「ごめん奏汰さん。ちょっと出掛けてきます。お留守番頼めますか?」
「んー…わかりました。きをつけてくださいね」
へばってる奏汰さんを残し、財布と携帯だけ鞄に放り込んで家を出る。徒歩10分圏内にホームセンターがあってよかったと、ここに住んでから初めて思っただろう。この暑さで遠出するのは億劫なんてもんじゃない。ホームセンターの中は涼しくて快適だけど、あまり涼むと今度はここから出るのが億劫になるだろう。それに、奏汰さんをひとりにしてしまったし。少しだけ体を冷やしたら、目当てのものをさっさと購入して帰らなくては。
蒸し暑い帰り道で、もうひとつ閃いた。ちょっと気の利いたものでも買っていこう。もしかしたら喜んでくれるかもしれない。最後に家にいちばん近いコンビニだけさくっと立ち寄って、さくっと買い物を済ませてさくっと出る。相変わらず外はじとじとして暑いけど、奏汰さんが待ってる。とにかく早く帰りたい一心で足を早めた。
「ただいま…!」
「おかえりなさい」
買い物時間含め、往復30分程度の外出でここまで体力持ってかれるとは思わなんだ。へとへとになりながら帰ると、顔色が戻ったらしい奏汰さんが出迎えてくれた。可愛い。ちょっと癒されたかも。あー、それにしても……あんなんでもクーラー効いてると助かるんだな。意外と気持ちいい。
「おかいもの、『つきそい』できなくてごめんなさい」
「ううん。ちょっとした用事ですから。これくらい大丈夫ですよ」
「ぼくもだいぶ『かいふく』したので、おゆうはんの『かいだし』には、いっしょにいきましょうね」
「はい。もう少し涼しくなってから行きましょう」
夕方から特売だし、それにもう少ししたら陽が傾く。きっと今より歩きやすいだろう。今日はそれからのお買い物で充分間に合う。
「ところでちづるさん、なにをかってきたのですか?」
「あ、はい。…ほんとに、ちょっとしたものなんですけどね」
今しがた買ってきたものを袋から取り出す。壊れないようにと店員さんが丁寧にやってくれた包装を、わたしも丁寧に剥がしていく。中のものを手にした瞬間、ちりん、と心地よい音が鳴った。
「これは……『ふうりん』ですね」
そう、わたしが買いに行ったものは風鈴だ。子供の頃、この季節になると近所のおばあちゃんの家の前を通るたびに、いい音色が聴こえて。暑いはずなのに、気持ちは安らいだ記憶がある。それを唐突に思い出して買ってきた。「さっそくかざりましょう」という奏汰さんの言葉に頷いて、クーラーの風がほどよく当たる窓際に飾った。
「きれいな『おと』です。いやされますね」
「気休め程度にしかなりませんが…」
「それでいいんです。きもちがだいじなんです」
クーラーの風に揺れて、風鈴の綺麗な音色が響いていく。本当はもっと、いかにも日本の家っていう平屋のおうちの縁側で、自然に吹く風に任せるほうが風流ってものなんだと思う。それでも「気持ちが大事」と言ってくれた奏汰さんの言葉に救われる。そして風鈴の音につられたのか、奏汰さんは穏やかな顔つきでわたしの隣に来てくれた。
「あ…」
「どうしました?」
「これ、『きんぎょ』ですね」
「あ、はい。可愛いですよね」
「はい。とっても」
奏汰さんが喜んでくれるかも、なんていう浅はかな目論見は的中。金魚の絵に気付いた奏汰さんは嬉しそうに笑ってくれてる。喜んでもらえたら、暑い中行った甲斐もある。下心だけじゃないよ、勿論音色もちゃんとチェックしたよ、なんて誰に言い訳しているのだろう。
「それと、もういっこ、お見せしたいものがあるんです」
「なんですか?」
「じゃーん!」
コンビニ袋からは買ってきたばかりのアイスを出した。奏汰さんがどういうアイスが好きなのかはまだわからなかったから、わたしが好きなものを幾つか見繕って買ってきた。この中に、お気に召すものがあればいいけど。…でも、アイスを見た瞬間、奏汰さんの目がめっちゃ輝いたから、今のはきっと取り越し苦労になるような気がする。
「すばらしいです。ちづるさん、きがききます」
「わたしが食べたかっただけですけどね」
「ふふ。そうだとしたら、ぼくたちはとっても、きがあいます。あいしょうばつぐんですね」
相性抜群かあ…本当にそうだといいけどね。でも奏汰さんが喜んでくれてよかった。袋から中身を取り出して「お好きなもの、選んでください」と言うと、奏汰さんは迷うことなくパピコに手を伸ばした。
「これ、なかよく『はんぶんこ』しましょう」
驚いた。もし奏汰さんが選ばなければ、わたしもパピコにするつもりだった。それを一緒に、半分こしようと言うんだから超能力でも使えるのかと問いたいくらい。「喜んで!」と頷いたわたしに、奏汰さんも嬉しそうに笑った。こんな些細なところから意気投合できるなんて、わたしたちって本当に、相性いいのかもしれない。
.【back】