隠れているのはどんな感情?
「お疲れ様です。お先に失礼します」
今日の勤務も無事に終了。バイトといえど連勤6日目はさすがに疲れるな。夏休みになって、がつんとシフトを増やしたのは自分の意志だが、それでも疲れたという弱音をつい溢してしまいそう。明日と明後日は休みだけど、その次からはまた連勤。疲れるけど、そのぶんお給料が楽しみだ。
着替えを終えて、荷物を持ってバックルームから出て、奏汰さんに電話をかける。珍しく携帯を持っていたのか、あまり待たずに呼び出し音が切れる。
「はあい。もしもし」
独特の間延びした、柔らかくて優しい声が聞こえる。当たり前だけど、奏汰さんだと思うと同時に、落ち着く。
「レッスン、終わってましたか?」
「はい、さきほどおわりました。ちづるさんは?」
「わたしは今バイト終わりました」
「おつかれさまです。おむかえ、いきますね」
「はい。待ってます」
バイト先は学校から近いところで選んだから、早ければ10分といったところか。10分…短いようで長いんだよな。待ち時間は不思議と長く感じるのもあるし。でも、10分。あと10分で、奏汰さんが来てくれる。奏汰さんに逢える。
「城戸ちゃん」
「っひゃああああ!!」
「あ、ごめん!驚かすつもりなかったんだけど…!」
「いえ!わたしこそ、ごめんなさい!」
「ううん、今のは俺が悪かったよ」
ごめんね、と苦笑いで謝られて、とんでもないですとこちらも頭を下げた。幾ら背後から声掛けられたとはいえ、相手は先輩。あんな奇声あげてめちゃくちゃ失礼じゃないか。
「えっと…改めて、失礼しました。それで、なにか?」
「特に用ってわけじゃないんだけどね。城戸ちゃん、最近凄くがんばってるよねって声かけようと思って」
「えっと、そうでしょうか…?」
「うん。なんか最近いつ来ても居るよねってくらい顔見る」
「そうですね。可能な限り、使っていただいてます」
「一生懸命なのはいいけど、身体壊さないようにね」
「お気遣いありがとうございます」
この時間まで奏汰さんがレッスンがんばっているから、その間わたしもがんばろうって思える。もともと不真面目ではなかったけど、より前向きになれたのは奏汰さんと一緒に過ごすようになってからだ。そりゃ疲れるけど、がんばればそのぶんお給料に反映もされるし。奏汰さんのおかげで良いことづくめだ。……奏汰さん、まだかな。
「彼氏待ち?」
「はいっ!?」
「あれ、違う?さっきからそわそわしてるし、時計ばかり見てる。電話もそうだと思ったんだけど」
え、そんなに?自分ではそんなつもりなかったけど、端からみればそうなのか。うわあ…恥ずかしい。どんだけ楽しみにしてるんだよ自分。いや自覚はあるけど。
「違いますよ。そもそもわたし、お付き合いしてるひと居ませんし」
「そうなの?」
「はい。さっきのは、仲のよい友人です」
そうは言ったけど…奏汰さんは、わたしのことどう思ってるのだろう。わたしは…今言った通り、奏汰さんは結構、いや、かなり大事な友人だと思ってる。奏汰さんも、同じくらいまでとは言わない。でも、わたしの気持ちの半分でいいから、友人って思っててほしい。
「でも城戸ちゃん、最近可愛くなったよ。あ、いや、もともと可愛いけど!最近更に可愛くなったなって!」
「ふふ。おだててもなにも出せませんよ?」
「いやいや、ほんと。よく笑うようになったし、表情柔らかくなったなって思ってた」
「…もしかしてわたし、取っつきにくかったですか?」
「ううん。でも前より明るくなった。だから男でもできたかなって思ってたんだけど…そっか。フリーなんだ」
「そうですよー」
そもそも彼氏できたことないです、なんていうのは余りにも悲しすぎる気がして、言うのをやめた。しかし先輩は、先程から神妙な顔を崩さない。…あれ、わたしなんか、まずいこと言った?あの、と口を開こうとしたが、先輩が真面目な顔つきでわたしを見る方が早かった。
「じゃあ、さ。試しでいいから、俺と付き合わない?」
「……は?」
突然すぎる話に、理解するまで時間がかかった。え、ちょ、待って、なんでそうなる?首を傾げると先輩はまた苦笑いを浮かべてわたしを見た。
「前からアピールしてたつもりだったんだけど…やっぱり気付いてなかった?」
「え、あの、いや、なんの話です?」
「城戸ちゃんのこと、好きなんだ」
はい?好き?え、どういうこと?先輩が、わたしを?いやいやいやいやいや。そんな、まさか。しかもアピールしてた?申し訳ないくらい全然気がつかなかった。
「ここでの城戸ちゃんしか知らないけど…いつも一生懸命で、真っ直ぐで。たまに困ったことがあると、最初に俺を頼ってくれるのが嬉しくてさ。可愛らしい子だなって、ずっと思ってた」
「え、いや、あの、恐れ入ります…っ」
「やめてよ、そんな畏まらないで。なんか俺まで恥ずかしくなってきた…」
「ご、ごめんなさい!そんなお言葉いただいたの、ひさしぶりで…!」
「そ、そうなの?……でも、あたふたしてる城戸ちゃん、新鮮だね」
接客に関しては自信あるけど、こういうプライベートの、ましてや告白時の対処法なんて心得てません。告白されるなんて小学生のとき以来か?あのときは「ごめんね」「好きじゃない」で軽く流せただろうが、さすがにこの年齢でそれは……ねえ。やばい、どうしよう。軽くパニックだ。
「試しにこのあと、飯どう?」
「え、いや、すみません、このあと予定あるので…」
「じゃあ、もう少しだけ話して。飯は今度、城戸ちゃんの時間があるときでいい」
「いや、その…!」
「ちづる」
困ります。そう声をあげようとした瞬間。はっきり、わたしを呼ぶ声が聴こえた。あまりの驚きに、つい「奏汰、さん!」と、咄嗟に名前を呼んでしまった。まずった、と思ったわたしと対照的に、奏汰さんはそんなこと気にするそぶりを見せず、つかつかとこちらへ歩いてくる。
「いきますよ」
「えっ!」
目の前の先輩には目もくれず、わたしの腕を掴んで、かなり強引に奏汰さんは歩き出した。今までの優しい振る舞いからは想像もつかないくらいのペースで、しかも無言でずんずん歩いていく。…ああ、いつもはわたしに合わせて歩いてくれてたんだな。こんなときに普段の奏汰さんの優しさ、今の奏汰さんの不機嫌さに気付く。どうしよう……怖い。
お店が見えなくなる距離まで歩いたところで奏汰さんは足を止めて、わたしの方に振り向いた。その顔を見て、ぎょっとした。わたし以上に、奏汰さんの方が辛そうな顔をしているから。
「…ごめんなさい」
「え、えっ?なんで?」
「いきなり、うでをつかんで、ひっぱったりして…いたくなかったですか?」
優しい手つきで、今まで掴んでいた部分をさすってくれる。まるでいたわるようなその仕草に、思わず泣きそうになった。わたしのことを本当に心配してくれてるんだなって伝わってきたから。
「ううん。わたしは、大丈夫です」
申し訳なさそうに俯く奏汰さんの手に、空いている方の自分の手を重ねる。一瞬でも怖いなんて思って、ごめんなさい。奏汰さんは、こんなにも思いやりで溢れている。大事なことは、本質的な部分は、なにがあっても忘れちゃいけないのに。
「…さっきの、だれですか」
「バイト先の、先輩です」
「そうですか」
「入ったばかりの頃からお世話になってて、困ってると必ず助けてくれる、頼れる優しい先輩って思ってた。だから…完全に、油断してました…」
いつも良くしてくれてたけど、あのひとは誰にでも優しかった。好意を持たれてるなんて全く気付かなかった。それにまさか、あんなにぐいぐい来るタイプだとは。…これからできる限り、ふたりきりになるのは避けなきゃ。
「…ほかには」
「え?」
「なにか、されませんでした?」
「うーん……された、ではないんですが…好きだと言われてしまって…」
「それは、きこえてました」
「…ですよね」
「どうするつもりですか?」
「え?」
「おつきあい、するんですか?」
「はい?」
あまりにも予想外過ぎて変な声出た。奏汰さんにもそんな発想あるんだ、ひとの色恋沙汰に関心あるんだ、なんて失礼すぎることを思った。でも、あの先輩とお付き合いする気は全くない。「まさか」と言いながら首を横に振った。
「あの先輩、人間的には、とてもいいひとだと思いますけど…異性としては全く意識してないので。次にシフト被ったときに、きちんとお断りしておきます」
「ごはんも、いかないですか?」
「行きません」
「ぜったい?」
「絶対」
「…そうですか」
ん…?気のせい、かな?奏汰さん…なんだか、嬉しそう?ぴりぴりした空気は鳴りを潜め、いつもの柔らかい雰囲気が漂ってきたから。
「というか、逆に寒気がしたんですよね。だから奏汰さんが来てくれて、ほんとに助かりました…」
「『かなた』です」
「はい?」
「『かなた』ですよ」
なんだろう、やたらと『奏汰』を強調してくる。そんなことはとっくに知っているのだが……そういえば、咄嗟といえど、さっき「ちづる」って呼び捨てにされたっけ。だからわたしも呼び捨てにしろってことか?
「ぼくもこれからは『ちづる』ってよびます。だからちづるも、えんりょしないでください」
「え、えっ?」
「ぼくは、ちづると『なかよし』だとおもっています。なまえでよんでもらいたいです」
「いや、今までも奏汰さんって…」
「おないどしなのに『さん』づけは、よそよそしいです」
「でも急にそれはハードルが高いというか…」
「ちづるは、ぼくのこと、きらいですか?ぼくたち、『なかよし』じゃないですか…?」
しゅん、と肩を落とした奏汰さん。でも意見は全く曲げない。意外と頑固なんだな。でも…それ以上に嬉しい。奏汰さんも、わたしと『仲良し』って思ってくれてたって知れて。ああもう、ほんとに、貴方ってひとは。
「二度と遠慮しませんからね。…奏汰」
「はいっ」
そこには、なんとも形容しがたいくらいのきらきらした笑顔があった。この笑顔に絆されて、それでもいいって思える間は、彼氏なんて要らないのだろう。それよりもっと大切な、守りたいものが目の前にある限りは。
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