なによりも大事にしたいもの
今日も無事に勤務終了。残っている皆さんに挨拶して、バックルームへ戻ってきた。鞄から着替えを取り出しているとき、携帯のライトがチカチカついていることに気付いた。なんとなく気になって、携帯を確認してみた。
「……ん、あれ…」
ついていたのは不在着信を知らせるライトだった。珍しい、奏汰だ。着信があったのは3分前…ほんとに少し前に、電話くれたんだ。どうしたんだろう。いつもはわたしからの連絡を待っているのに。なにか急用かな。変なことじゃなければいいんだけど。今は着替えは後回し、急いで折り返すことにした。
「もしもし〜」
わたしの予想は外れたのかな、奏汰はいつもの穏やかな口調だった。ただ、電話を持っていたのか、呼出音は殆ど鳴らなかった。まるでわたしの折り返しの電話を待っていたかのようだった。
「あ、奏汰。ごめんなさい、今お電話くれましたよね」
「はい。そろそろおわるかなとおもいまして」
「あれ、わたし時間伝え忘れちゃってました?」
「いえ。ちづるはちゃんとおしえてくれていましたよ。ぼくがすこし『せっかち』しちゃっただけです。じゃあ、これからおむかえにいっていいですか」
「あ、はい!寧ろよろしくお願いします」
「はあい。まっててくださいね」
電話を切って、まず考えたのは取り敢えず着替えを済ませようということだった。ロッカーで着替えながら足りない頭で考える。なんで今日よりによって、奏汰は電話してきたのだろう。終わる時間を忘れちゃったとか、きいてなかったってわけではなさそうだった。ということは、つまり奏汰はわたしのシフトがわかっていながら電話してきたってことだよね。……なんでだろう?まあ、いっか。奏汰になにかあったわけじゃなくて。奏汰には、なにもなくてよかった。
そういう結論に至ったところで、着替えを終えてロッカーを出る。奏汰、すぐ来てくれるだろう。外へ行こうか。…あ、少し離れていたほうがいいかな。あの先輩と、またふたりで話すことになるのは避けておきたいかも……
「城戸ちゃん」
なんと、例の先輩に声をかけられた。ふたりきりになりたくないと思っていた矢先にこうだ。わたしって、運悪いのかな?…でも逆に、意識してるって思わせないほうがいいかな。なら堂々としていたほうがいいのかな。そう思いつつも正解がわからなくて、取り敢えずいつも通りを心がけて、当たり障りなく「お疲れさまです」とだけ言った。
「城戸ちゃん、今日はもう終わり?」
「はい。先輩は休憩ですか?」
「うん。…城戸ちゃん、ごめんね。帰る前に、時間もらっていい?」
「少しなら」
「ありがとう。…あのさ。この前のこと、なんだけど…」
この前のこと。先輩が切り出す話題に、幾つか心当たりはある。好きだと言ってくれたことか、食事に誘われたことか、奏汰のことか。はたまた全部か。どれも可能性あるな。
「あれって…やっぱり彼氏?」
この話し方からして…まずは奏汰のことか。よかった、奏汰がアイドルだってことには気付かれていない。幸い、夜だったこともあるからかな。咄嗟に名前呼んじゃったから奏汰の身バレを心配していたけれど、この様子では『流星隊の深海奏汰』だということはバレてない。本当に、よかった。
「違いますよ。友人です」
「本当に?」
「はい。いちばんの親友です」
もともと仲のいい友達だったけれど。今は違う。今なら、いちばん大切な親友だと胸を張って言える。今まで女の子の友達でさえ、親友と呼べるような仲まで行けた子はいただろうか。だけど奏汰のことは、親友だって迷いなく言えるんだ。
「…ただの友達にしては、あの子、随分な態度だったけど」
「『ただの友達』じゃありません。『大切な親友』です」
……ちょっと、むきになっちゃったかな。訂正した語気が思ったより強くて、自分でも驚いた。先輩も驚いた顔してる。わたしがこういう言い方するの、はじめてだよね。だってわたし自身はじめてだって思ってしまったから。
「…わかった。そういうことにしておく。でも、それを踏まえたうえで、言いたいことがあるんだ」
「はい」
「それでも俺、城戸ちゃんのこと諦めないよ。…あれでも緊張して、試しとか言っちゃったけど……ちゃんと本気だから。そこは、わかってほしい」
先輩は至って真剣。それは目を見ればわかることだった。好きだと言ってくれたことは素直に嬉しい。先輩は優しいし気配り上手だし…顔も、なかなか整っている。なにより、とてもいい人だと思う。普通の女の子なら、こんなひとに、こんなに想ってもらえて幸せだとか、そんなことを考えるのだろう。
「そう仰ってくれて有難い限りです。…ですが、ごめんなさい。試しでもお付き合いできませんし、ごはんも行けません」
「…あの彼が、なにか言ったの?」
「いえ。わたしが、彼との時間を大切にしたいだけです」
…これは、半分嘘だ。あのとき奏汰が気にしたそぶりがなければ、ごはんくらい行ったかもしれない。「ご馳走するよ」なんていう一言につられた可能性は大いにある。だから、行かないと頑なに決めた理由は、奏汰の為という気持ちはある。でも、なにより、わたしにとって奏汰がいちばん大事。奏汰が嫌がることをしたくない。実のところ、それだけだったりする。
「ここまで言ってもだめかあ…」
「すみません。でも、ありがとうございます」
「……わかった。じゃあ、せめての頼み。まだ好きでいることは、許してくれないかな」
そればかりは、わたしがどうこうできる話じゃないと思った。ひとの気持ちは簡単には変えられないだろう。それに…仮にも散々お世話になっている先輩相手に、そこまで非情なことは、できない。「わかりました」と首を縦に振ると、先輩はぎこちなく、でも優しく笑ってくれた。
「…あ、すみません、先輩。わたし、そろそろ失礼します」
「うん。時間くれてありがとう」
時間くれてありがとうなんて、そんなことでお礼言わなくてもいいのに。律儀なひとだなあ。でも、そろそろ奏汰が来る頃だ。行かなきゃ。ぺこりと頭を下げて、外へ出ようとした。先輩の横を通りすぎて少ししたあと、「城戸ちゃん!」と慌てたようすで呼ばれて、反射的に振り返る。
「ごめん。最後にもう一言だけ聞いて」
「はい」
「これからも、話してね。女々しいって思うかもしれないけど……無視、しないでね」
今まで見た顔とは少し違う顔をしていた。真剣なのは真剣だけど、先輩の表情には少し不安が見えた。接客業をしていると、ひとの表情がある程度わかるようになったみたい。
「大丈夫ですよ。そんなことしません」
お付き合いできないし、ごはんにも行かない。でも、先輩が先輩であることに変わりはない。今まで通り、仕事のお話や、ちょっとした雑談は変わらずにするのだろう。先輩と話すのは嫌いではない。寧ろ、楽しいことが多い。
でも、今はもう行かなきゃ。きっともう、奏汰がすぐ近くまで来ているはず。奏汰を待たせたくない。なによりわたしが、奏汰の顔を見たい。直接声が聞きたい。「おつかれさまです」って、あの柔らかい声と笑顔で迎えてほしい。結局はわたしが、奏汰に逢いたいんだ。
最後にもう一度「お疲れさまでした」と挨拶をして、今度こそ前を向いてドアを開けた。奏汰のことを考えて緩んだ表情を隠すように。一分一秒でも早く、奏汰のもとへ行けるように。
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