おかしいのは自分だと、気付ける奴がいるなら教えてほしい。おかしいのは自分じゃない。だが、周囲は俺を認めない。自分だけでは、自分の存在を証明できない。 そんなことを、初めて知った。 「お前、何してんだよ!」 日の傾き始めた教室。俺は自分の教室で、クラスメイトに睨まれていた。 そいつは普段からサボりも多く、優等生と呼べるような奴ではなかったが、それでもクラスの奴とは普通に打ち解けていたと思う。俺とも特別仲が良かったというわけではないが、普通に話す程度には悪くもない。なかったはずだ。 こいつにこんなに敵意を剥き出しにされたのは、1年と少しを同じ教室、同じ校舎で過ごしてきて初めてだった。 「何って、テキスト取りに来たんだけど……。課題やろうと思ったのに机に入れっぱなしで、」 「言い訳してんじゃねえ! そこはあいつの席だ! なんでお前がその席からテキストを取るんだよ!?」 クラスメイト――七海哉太は、怒気を孕んだ声で捲し立てる。大股で俺に近付くと、そのまま胸ぐらを掴んできた。布が引かれて痛いが、ネクタイをしていなかったのは不幸中の幸いだろう。 七海は至近距離で俺を睨む。俺は耐えられずに視線を外そうとするが、どうにも避けられるわけがない。突き刺さるような視線に、不思議と痛みさえ感じる。 正直、かなり怖い。七海が学園一喧嘩が強いという噂は有名だし、七海に敵意を向けられたことがないだけに、というより、今まで友好な関係を築いていたと思っていただけに、いざ自分に向けられた敵意が恐ろしかった。 「お前、2年か。どこのどいつだ?」 「はあ?」 丸々1年は同じ教室で勉強してきたというのに、数えられるほどではあるが何度か会話もしたというのに、名前を覚えてないだと? まさか、「2年か」ってのも胸ポケットに入れたネクタイからの判別で、俺のことは頭にないとでも言うのか? 「何言ってんだ七海。どこも何も、俺は天文科だよ。1年の頃からいたっつーの」 「知らねえな。嘘吐くならもっと上手く吐けよ」 ギリ、と力を入れ、七海は更にシャツの首元を絞めてくる。今にも殴りかかってきそうだった。とても俺の言い分を聞いてくれる様子じゃない。 こういう時、いつもなら七海の相方の幼馴染が上手く場を読んでくれるはずなのに、どうしたって今はいないんだ。タイミングの悪い。 「ちょっと落ち着け。そうだ、東月はどうした?」 「……錫也の知り合いか?」 知り合いも何も、クラスメイトだっつーの。 警戒が少し、ほんの少し和らぎ、七海は投げ捨てるように俺を掴んでいた手を離す。 俺は首元を寛げ、襟を正した。穏やかに過ごしてきたこともあり、この学園に入って、喧嘩を売られたのなんて初めてだ。 「……で、お前は人の机漁って何してたんだ」 「だからテキスト取りに来ただけっつってんだろ、ほら」 テキストの裏表紙を見せ、名前を見せる。当然だが、俺の名前である。このテキストに限らず、机の中に入っている物は全て俺の物なのだから当たり前だ。 七海は名前を見てもなお納得していないようで、片眉を吊り上げて訝しむ。 「……お前、人の机にテキスト入れてんのか? あぁ、あいつに貸してて返してもらってなかったとか?」 「違えよ! さっきから人の人のって何言ってんだ、ここは2年になってからずっと俺の席だ!」 あまりにも噛み合わない会話。七海とサシで、それもこんなに多く言葉を交わしたのはこれが初めてだが、こんなに話が通じない奴だったろうか。いや、何かがおかしい気がする。 「…………あー、」 それは七海も感じていたようで、そうか、なるほどな、と うわ言のように漏らした。七海には何か分かったらしい。責め立てたいが、今の七海の捨てられた野良猫のような、どうにも容易に触れられない雰囲気に言葉を詰まらせる。 「お前、名前は」 「……品野、幹名」 七海は少し考え込むような仕草をしてから、テキスト裏の名前を一瞥し、俺の机に目線を移した。 「……ワリ、やっぱり知らねえわ」 確かに交流は浅かったが、同じクラスにいて、何度か話をしたのに覚えられてなかった。そういえば、七海は俺を呼んだことがあっただろうか。あまりにも自然に会話をしていたものだから、いざという時に思い出せないものだった。 七海は背を向け、教室から出ようとする。 「どこ行くんだよ」 「別に。お前には関係ねえ」 吐き捨てるように言い、七海は行ってしまった。 ……理解したかは分からないが、納得は、してくれたようだ。 何なんだ、一体。 俺は自分のテキストの名前を見る。どう見ても、俺の書いた、俺の名前だ。机の中にあるテキストやノートも見てみる。どれも同じように、歪な形で俺の名前が書かれている。 肺の中でぐるぐると溜まっていたような気がする息をゆっくりと、全て吐き出した。分からないことを考えても仕方ない。俺は必要なテキストだけ持って、自分の寮へ戻ることにした。 20190731 back |