幸福。僕は幸福の中にいた。
兄は家を出ていった。母は兄のことなど忘れろと言った。父は兄のような人間にはなるなと言った。それでも僕は、幸福の中にいたんだ。
「ねえ、レギュラス。
あの星は獅子の心臓なのよ。
わたしも貴方の兄さんも、貴方がいなくちゃ、きっとこの色に染まって生きていくことなんて出来やしないのよ。」
きっとそうよ。赤と金を首に巻き付けた君が酷く真剣にそんな馬鹿らしいことを言うものだから、ここが世界で一番幸せな場所だと、僕は疑うこともなくそう信じていられる。
「ねえレギュラス、貴方には緑がよく似合うわ。わたしがどんなに足掻いたって手に入れられない緑が、貴方にはよく似合う。
私達、ないものねだりね。」
だけど愛しているわ。
そう言って微笑む君が何よりも愛しいものに思えて、彼の人の忠告もすっかり頭に入らない。
僕は赤を憎んでこそいるが、君の身に染まった赤はいつだって君を一番に引き立てていた。
「ねえレギュラス、わたし貴方のことを誰よりもよく分かっているわ。貴方がもう、わたしのモノじゃなくなってしまったことも。
ねえそれでも、愛しているわ。」
貴方のその、左腕の所有印ごと、全て。
君のために生きていくと言えなくなったこの口でポロポロと涙を溢す君に口付けを贈る卑怯な僕に、それでも君は愛を惜しまないという。
「ねえ、レギュラス。
わたし、次は、あの星の隣にいたいわ。」
赤。緋。あか。身体中を真紅に染める君は絶望するほどに美しくて、僕はすぐに幸福の外側に追いやられたのだと思い知った。
初めて、君を染める赤を心の底から憎んだ。
「なまえ。僕を置いていかないで。」
口から漏れる泡と溢れる苦しみで埋め尽くされた暗く深い水の底で、途切れそうな意識の中、あの星の名前を呼ぶ君の声が聞こえた気がした。
ねえ、レギュラス。
僕は今、幸福の中にいる。