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孫策には幼馴染がいる。
その幼馴染は、剛の者だった。どれほどかというと、武に優れた者の多い孫一族の盟主・孫堅の嫡男である彼ですら、手合わせで勝てたためしがないほどだ。とはいえ、それは孫策がまだ成長途上の若者──少年の域に踵を残すほど年若いからである。
孫堅からも一目置かれるその者は、すでに彼より頭半分は背が高い。反して四肢はすらりと細く、扱う得物も細身の戟で、鎧も胸当てしか着けていない。
「孫策さま」
涼やかな、しかし凛とした声が降り、呼ばれた彼は振り返った。
「玉兎か、どうした」
振り向いた先にある目元は柔和で、得物を振るっている時とはまるで別人だ。
「孫堅さまがお呼びです。水賊への対応について軍議するので参加するようにと」
「分かった、行こう」
頷き、隣に並ぶと、玉兎から仄かに花のような香りがした。香でも焚き染めているのか、動くたびにふわふわと鼻腔をくすぐる甘い匂いがする。
孫策は隣を密かに窺った。少し高い位置にある横顔。それを見下ろす日が待ち遠しくて歯噛みする。あとどれほど月日が経てば、その背を越せるのだろうか。
「どうかした?」
「なにも」
視線を気取られたか向いてきた瞳に、孫策は首を横に振って顔を前に戻した。その横顔を見ていると、いまだ手合わせで勝てぬこと、上背でも負けていること、なにやら胸が騒がしくなること、何重もの意味で堪らなくなる。
孫策の幼馴染は、そう──女だった。
歳は同じで、生まれは孫策のほうが三月ほど早かった。男勝りというかお転婆というか⋯⋯彼女のそんな活発な性格もあって、盟主の嫡男と平民の娘という身分差を越え、二人は友となった。幼い時分は子犬のように縺れ合って遊んだものだ。取っ組み合いがいつからか組み手となり組み手が手合わせとなり、二人は自然と好敵手にもなっていた。
彼女は、水の流れに従い揺れる木の葉だった。風に舞う羽根の一枚だった。捉えたと思えば、するりと逃げる。打ち据えたと思えば、ふわりとかわす。
力に逆らわず、踏のような足取りで、戟を片手に、ゆらゆらと。
そんな戦い方をする、女だった。
取っ組み合いがいつからか手合わせに──しかし幼少の頃から、彼女に勝てた記憶が孫策にはない。
玉兎は雨後の竹のように、ぐんぐんと成長した。身体つきが確かなものとなり鎧を着け始めたのも、練習用の木製の戟や木刀ではなく本物の得物を手にしたのも、彼女のほうが先だった。孫策がようやく鎧を着け始めた頃、玉兎はすでに兵に混ざって模擬戦を行っていて、当然、彼女のほうが先に実戦を覚えた。
いつも自分の一歩先を行く幼馴染。
それが孫策にとっての玉兎という存在だった。
「では、わたしはこれで」
「ああ」
広間の扉を開け、玉兎が頭を下げる。その横を通り過ぎながら、孫策は小さく息をついた。いくら自分より強いとはいえ、玉兎は女だ。戦場に出ないことだけが救いだった。
「ただいま参りました、父上」
「うむ──」
背後で閉まる扉の音を耳に、孫策は一礼した。
「いかん。戦列が崩れたな」
「水賊風情がなかなかやるものです」
戦況を一望できる場所で、孫堅は低く呟いた。応えた黄蓋も渋い声だ。
「すぐに援軍を──⋯⋯うん?」
後方部隊に指示を出そうとした孫堅は、にわかに沸き立った前線に視線を戻した。崩れた戦列を矢のごとく貫いて、前に出た者がいる。
「なんと、速い!」
黄蓋の言葉通り、その兵はすでに敵のド真ん中を突っ切り、背後からの奇襲を仕掛けている。
「一騎駆けか。何者だ?」
「あれは⋯⋯」
望遠鏡を覗き込んだ黄蓋はむむむと唸った。
「⋯⋯速すぎて確認できませんな⋯⋯」
「⋯⋯まあよい。あれほどの兵ならば直に耳に入ってこよう。出るぞ、黄蓋」
「はっ」
虎錠刀を手に、孫堅は「まさかな」と片隅で考える。その懸念が現実のものとなるのに、さして時間はかからなかった。