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「玉兎よ。此度の働き、まこと素晴らしかったぞ。これに免じて、無断で戦場に出たことは不問としよう」
「ありがとうございます」
跪き、深くこうべを垂れる彼女は、幼い頃より知っている娘とは似ても似つかない。大人びた態度で、しかしまだぎこちなさの残る所作が彼女の歳を窺わせる。
そんな彼女を上座から見下ろし、孫堅はしばし口を閉ざしていた。
あの一騎駆けを目にしたとき、まさかなとは思った。思ったが、当たってほしくない予想だった。鎧兜を着込み、さらには総面を着けて戦列に紛れ込むなど、男勝りが過ぎる。
しかしいくら勝手に紛れ込んでいたとはいえ、敵陣を正面突破しての背後からの強襲、そのおかげで崩れた戦列が立ち直る猶予を与えられ、さらには敵を混乱させたことで前線部隊の損害を抑えることができた。これほどの武功を立てられては、なにか褒美をやらねば示しがつかないのだが⋯⋯。
「お前に褒美を取らせよう。望むものはあるか?」
「では、わたくしを武将として迎えていただきたく存じます」
孫堅は渋く唸った。兵に紛れて戦場に赴いたくらいだ、そういうことを言い出すのではないかという予想も少なからずあった。これも当たってほしくない予想だったが。
「しかしなあ⋯⋯」
彼女は息子・孫策の好敵手であり、その実力は兵のあいだでも有名だ。訓練場で戟を振るう姿は猛者というに相応しく、先の戦が初陣とは思えぬほどの見事な戦いぶりに兵の士気が高まったことも事実ではあった。またくわえて見目も良く、そういう意味でも兵を奮わせる。戦場に居てくれれば、士気の維持に一役どころか二役も三役も買ってくれるだろうことは想像に難くない。
だがしかし、だ。
「我らの軍は女を戦列に並ばせねばならんほど兵に困窮してはおらん」
理由はそれだけではない──孫策がなんと言うか。息子が彼女に幼馴染や好敵手以上の想いを寄せていることは、孫堅もなんとなく勘付いていた。そしてだからこそ、彼女を戦場に出すなど断じて首を縦に振らないだろうことも。
それを分かっているから、彼女もこんな強硬な手段を取ったのだろう。一枚上手というか策士というか⋯⋯。
「他になにかないのか? 食物でも召物でも、なんでも⋯⋯」
「ああ、そうですね。平民出のわたしがいきなり武将というのは確かに無理がありますね。分かりました、では一兵卒からお願いします」
全然分かっとらんではないか。
孫堅は項垂れて額に手をやった。まったく板挟みである。
息子の気持ちが分かるだけに、彼女の望みを叶えるのはどうかと考える。しかし、ここで許しを出さなければ、彼女はまた勝手に兵のあいだに紛れ込むだけだろう。動向を把握しておくには傍に置くしかないが、ただの一兵卒を常に随行させるのはそれが女であろうとやはり角が立つ。けっきょくのところ、ある程度の立場を与え──つまり彼女の望むように武将として迎え──抑え込むしかないということだ。
「⋯⋯仕方がないな⋯⋯。分かった、お前を我が軍の武将として迎える。これからはワシの牙として、その力を存分に揮うがよい」
「ありがたき幸せ。孫堅さま──殿のためならばこの命、惜しくもありません。どうぞわたしを思うままお使いくださいませ」
「うむ⋯⋯」
ああ、やってしまった⋯⋯と思わないでもなかったし、あとの面倒を考えると難しい顔になってしまう。が、吐いた言葉は飲み込めない。
孫堅は一つ息を吐き、話を変えることにした。悩みは向こうからやってくるのだ、わざわざいま煩わずともいいさと楽観的に考えることにする。
「ところで玉兎よ」
「はい」
従順に言葉を待つ彼女に、孫堅は顎を擦すりながら言った。
「お前は、孫策のことをどう思っておる?」
「はい。殿の跡を継ぐに相応しい、まことの勇気と優しさを持ったお方でおいでです。兵や民からの信頼も厚く──」
「はぐらかすな。そういうことを聞いておるのではない」
「⋯⋯はあ⋯⋯」
曖昧な、溜め息とも頷きとも取れぬものを落とし、玉兎は首を傾げてみせた。
「ワシはお前を策の妻にと考えておる──お前は賢く、強い女だ。我が妻と同じにな」
「ご冗談を。わたしのような下賤の者を若殿さまの妻になどと。だいたい、わたしが虎夫人さまと同じなど、虎夫人さまに失礼極まりないです」
まるで気のない返答に、しかし孫堅は食い下がった。
「お前のことは、ワシもよく知っている。孫策の傍を任せられる女はお前を置いて他にない。あれは少々血気盛んだし、自尊心も高い。他人の言葉をそう易々と飲む性格はしておらん⋯⋯だが気心の知れたお前なら、上手く宥めることもできよう」
「無礼を承知で申し上げますが、正気の沙汰と思えません。わたしだけでなく、孫一族まで笑い者になりますよ」
彼女は頑固に首を横に振った。
その頑なさに孫堅はぐぬぬと唸るが、言葉は重ねなかった。これ以上は孫策の沽券に関わる。
「残念だのう⋯⋯」
「そうご心配めされずとも、孫策さまほどの器なら、ご自身で相応しいお方を見つけになられますよ」
だからその“相応しい者”がお前だと⋯⋯まあ言うだけ無駄だろう。
孫堅は深々と溜め息を吐いてみせるが、玉兎は涼しい顔で頭を一つ下げただけだった。
「下がってよいぞ」
「はい。それでは失礼いたします」
扉をくぐる細い背を見送って、真っ先に口を開いたのは黄蓋だった。
「宜しかったのですか?」
「仕方あるまい。ああでもせねば、あれを抑えることはもはやできまい」
やれやれと目を細める孫堅に四騎衆も同調し、
「まったく、ずいぶんと勇ましく成長したものです」
「若殿様と戯れていた頃が懐かしい。まあ、あの頃からまるで少年のようではありましたが」
「勿体ないですなぁ。美しい
「いかにも⋯⋯。ああして鎧を着込んで若殿様の隣に立つと、若武者が二人並んでいるようにしか見えませんからな」
四騎衆は、勿体ない、ああ勿体ないと口々に惜しんだ。わざわざ険しい道を往かずとも、民の平和のため、いままさにその道を自分たちが均しているというのに。
「まあ⋯⋯孫策はあの強かなところも好いておるのだろうがなぁ」
「やはり殿の御子でございますな。女の好みも似ていらっしゃる」
「確かにな」
孫堅は、はっはっはと声を上げて大笑いした。