「あの、もし⋯⋯」
「あ?」

 曹操たちと話を終えてバイクの前に戻ってきた夏侯淵は、声を掛けられて顔を上げた。年端も行かない少女が窺うように周りを見回している。いくら相手が子どもでも、こう何度も作業を中断させられては機嫌も悪くなる。上手くいけば今日中に仕上がる予定なのにとイライラしつつ、しかし子ども相手に大人気ないと思い直して、笑顔を作った。

「どうした? 道にでも迷ったのか?」

 愛想良く返した彼に、彼女は緊張を誤魔化すように一つ息をついた。

「あの⋯⋯ここはブルーウイングコーポレーションで合っていますよね?」
「そーだけど」
「社長の、曹操ウイングガンダムさまにお会いしたいんですが⋯⋯」
「⋯⋯社長になんの用だよ? てか、誰なんだよ、お前?」

 相手は少女だが、夏侯淵は激しく警戒してさっと態度を変えた。会社の規模が拡大するにつれ、曹操の周りには危険も多くなっていく。それくらいは彼にも分かっていることだった。

「わたしは玉兎と申します。曹操さまにどうしても直接お話したいことがあって⋯⋯」
「ふぅん⋯⋯で、アポは?」
「あっ⋯⋯。えっと、それは、あの⋯⋯ごめんなさい⋯⋯忘れていました⋯⋯」

 おどおどと胸の前で手を組んでいる彼女がちょっと可哀想になった。アポも取らずに来たのかよと思わないでもないが、まあこんな少女にそこまで求めるのも酷というものかもしれない。

「⋯⋯悪ィけどよ、社長はいそがしーんだよ。アポも取ってねえヤツに会う暇ないんだよ」
「⋯⋯そう、⋯⋯ですよね。あの、じゃあ、いつならお会いできますか? こちらの都合になってしまうんですが、なるべく早くお会いしたくて⋯⋯」

 突っ撥ねたものの、視線も肩も落とす少女を前にすると、ほいほい会わせる理由はないと分かっていても二つ返事で頷いてやりたくなってしまう。夏侯淵は心を鬼にして、ちょっと待ってろと言い置き、曹操の下へ向かった。
 社長室に顔を出すと、曹操はまだ夏侯惇と難しい話をしていた。なんとなく気まずくて夏侯淵は視線を少し逸らしつつ、もぐもぐと言う。

「あー⋯⋯あのよ、曹操様に会いたいって言ってるヤツがいるんだけど」
「誰だ?」
「玉兎ってオンナノコなんだけど。⋯⋯知り合いか?」
「玉兎⋯⋯? 知らんな。帰ってもらえ。今日はアポもなかったはずだし、いま忙しい」
「だよな、やっぱそうだよな、悪ぃ。一応そう伝えたんだけど⋯⋯えっと、じゃあさ、いつなら会える? って言ってんだけど」

 言い募る夏侯淵に、夏侯惇が待ったをかけた。

「おい、その前に用件は何なんだよ。子どもなんだろ? なんで子どもがわざわざうちに来るんだよ。それ絶対なんかあんだろ」
「あ。⋯⋯アー⋯⋯聞くの忘れた。でもどうしても直接話がしたいって言うから」
「お前なぁ⋯⋯」
「⋯⋯惇」
「ああ」

 促してきた曹操に一つ頷き、夏侯惇は腰を上げる。

「用件くらいちゃんと聞いとけよ」
「忘れたんだからしょーがねえだろ」

 部屋を出ながら注意するが、あっけらかんと返してくる。まったく出来の良い弟である。
 やれやれと溜め息をつきながら階段を下りている最中、夏侯淵が指差した。

「ほら、あいつだ」
「⋯⋯マジでガキだな」

 心許なく壁際に立って訓練の様子を眺めている姿は迷子にしか見えない。わざわざ話を持って来た弟の心境も分かり、さらに溜め息がこぼれる。

「お前が玉兎か」
「あ、はい⋯⋯えっと⋯⋯」
「お前みたいな子どもが一体何の用だ」
「あの、」

 うつむいた玉兎の喉が怯えたように上下した。しかし次に顔を上げたときには、しっかりとした目付きになっている。

「うちの社員をこちらで雇っていただきたいんです」
「⋯⋯そういう話なら、まず応募書類を送って来い。後日、面接するから」
「でも⋯⋯時間がないんです。お願いします、せめてこの名簿に目を通すだけでも⋯⋯」
「待てよ。勝手に話を進めんな」

 データチップを差し出してきた手を冷たく一瞥し、夏侯惇は声を低めた。

「つうかよ、まず、お前はどこの誰なんだよ」
「おい、惇、」
「お前はちょっと黙ってろ、淵。ナリはこんなでもスパイって可能性もないわけじゃねえんだ」
「いや、でもよ、こんなオンナノコがそんなさぁ⋯⋯」
「油断すんな。そんなほいほい社長にお目通りさせるわけにゃいかねえのは、お前だって分かってんだろ」
「──もういい」

 呆れたような、低い声が通り抜けた。曹操だ。気になったのか様子を見に降りてきたらしい。

「玉兎と言ったか?」
「は⋯⋯はい」
「来い、話を聞いてやる」
「っありがとうございます⋯⋯!」

 ぱっと表情を明るくした彼女に、やっぱただの子どもじゃんかと夏侯淵は思った。階段を上がっていく二人を見送り、兄の脇腹を肘でつつく。

「警戒しすぎなんじゃね〜の?」
「しすぎなくらいで調度良いんだよ。お前はもうちょっと用心しろよ⋯⋯」
「だって、どー見たってただの子どもじゃん」
「分かった分かった⋯⋯もういい⋯⋯。ほら、バイク触ってたんだろ」
「あっ、そうだった!」

 話題を逸らすと、夏侯淵は先ほどの少女のように表情を明るくして、浮かれた足取りで戻っていった。まったく出来の良い可愛い弟である。



「で? 用件は?」

 曹操は一応警戒していることを気取られぬように注意を払いながら、椅子に腰掛けつつ訊ねた。まあ、不安と緊張がない交ぜになった面持ちでデスクの前に立っている少女が何を出来るとも思えないのだが。

「その⋯⋯うちの会社が、このあいだの御社の活躍で、煽りを受けて倒産したんです。それで、」
「ほう。お礼参りというわけか?」
「え?」

 心底ビックリした顔をするので、拍子抜けを通り越して少し心配になるレベルだった。まるで疑うことを知らないというか、人が良すぎて食い物にされるタイプだ、これは。

「あ、いえ、あの⋯⋯そういうのじゃなくて、ただ、うちの社員を雇ってほしいんです。名簿はこれです」

 机に置かれたデータチップに手をつけず、曹操は彼女を上から下まで無遠慮に眺め回した。

「⋯⋯お前、まさかとは思うが、社長なのか?」
「ええ、一応⋯⋯。父は⋯⋯先代社長は先日亡くなりました。でも、わたしには会社を存続させる手腕はありません。だから⋯⋯」
「理由は分かった。だが、何故、うちを選んだ? 関連会社でも下請けでも何でも、ノースフォックスやここ以外の会社のほうが安定しているとは考えなかったのか?」
「確かに、普通に考えればそうなんでしょうね。実際、うちの社員にもわたしに反対する者はいましたし、それでノースフォックスの関連会社に移った者もいます。でも⋯⋯」

 彼女は言葉を切って一度視線を落としたが、迷いを振り切るように曹操を見た。

「⋯⋯どの道、どこかと戦うことになるのなら、わたしは自分の正しいと思える道を行きたいんです。父がそうしたように。わたしの考えに着いてきてくれたのがその三名です。
 お願いです。彼らを路頭に迷わせるような真似だけは絶対にしたくないんです。雇っていただけるなら、わたし、なんでもしますから」
「なんでもか」
「はい」

 強く頷いた彼女に、曹操は冷たく言い放った。

「では服を脱げ」
「えっ⋯⋯」
「どうした。“なんでもする”と、今、言ったばかりだろう」

 もちろん曹操にそんな下卑た趣味はない。ただ「なんでも」は交渉の場で絶対に言ってはいけない言葉だ。それをちょっと教えてやったほうがいいだろうと心配したがゆえの、ただの脅しだった。しかし玉兎は息を呑み、立ち竦んだ。まあ当前だろう。物事の判断をすでに自分で出来る程度には子どもではないのだろうし、服を脱がされたら何をされるかも理解の及ぶ年齢のはずだ。
 曹操はあえて大きく音を立てて椅子から立ち上がった。彼女は怯えたように視線を逸らさない。威圧的に歩み寄り、顎を掴んで目を見据えた。

「お前が交渉下手なのはよく分かった。会社を存続させるのも、確かにこれでは無理だろうな」

 彼女の瞳が一瞬揺らいだ。曹操は玉兎をあっさり解放し、窓辺に立つ。この景色の中で、こうして食い物にされている者たちがどれほどいるのだろう。

「今後はくれぐれも言葉に注意することだな──」

 続けたとき、背後でばさりと音がした。窓に、まだ幼さを残す曲線が映っている。その瞳が燃えている。怒りと軽蔑、しかし表情には落胆の色が濃い。

「おい、⋯⋯何してる」
「脱げと言ったのはあなたでしょう」

 振り返ったときには、瞳も表情も声色も、感情を読み取らせないものになっていた。静かで深い、だが、揺るぎないものを感じる視線だった。

「⋯⋯お前、歳は?」
「⋯⋯十二です」

 そんな歳の娘が、自分より年上の社員を守るために、初対面の男に肌を曝した。どれほどの覚悟が必要だったか分からない。しかも、この判断の速さ。ここへ来る前からすでに覚悟はしていたのかもしれないが、それでも肝が据わっているのに変わりはない。

「⋯⋯ガキに興味はない。服を着ろ」

 拾った服を投げてやったとき、警報が鳴った。二人は同時に顔を上げ──玉兎は少しのあいだ固まっていたが、思い出したように急いで服を着込んだ。
 曹操はタイミングが良すぎはしないかと彼女を疑いの目で見たものの、耳を劈く爆発が起きたことで思考を切り替えた。彼女のことはとりあえず後だ。

「ここを動くなよ」

 命じる口調で言って、手近の人間を呼び寄せると、彼女の元に着けた。玉兎が油断を誘う陽動にしろそうでないにしろ、この状況で一人にしておくのは不味い。

「そいつを頼む」

 部下が頷いたのを確認し、後を任せて曹操は飛び出した。

 奇襲だった。






表紙 トップ