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「父上!!!!」
玉兎を武将に召し抱えたその日のうちに、件の悩みがどかどかと扉を蹴破る勢いで乗り込んできた。存外早かったなとは思うものの、まあこうなるであろうと分かっていたのでなんら驚くこともない。
「騒がしいぞ、策。一体どうしたというのだ」
「とぼけないでください!! あいつに、玉兎に、武将の位を与えたと聞きました!! なぜそのようなことをなさったのです!!」
「此度の働きの褒賞としてあれが望んだことだ」
孫策は絶句して、パクパクと口を開閉させた。その顔色が、見る見るうちに憤怒で染まっていく。
「だから望み通りに与えたと!? おふざけになるのも大概にしてください!!」
「ふざけてはおらん。それに、あれの力はお前が一番分かっておろう」
「それがなんだと言うのです!! あれは女なのですよ!!」
「それこそなんだと言うのだ。強さに侠も女もなかろう」
「父上!!!!」
激昂した孫策を、孫堅は厳しく睨め付けた。
「静まれ、孫策。上に立つ者がそのように騒ぎ立てては皆は不安を掻き立てられる。自分の立場を弁えぬか」
ぐ、と言葉に詰まった息子を見て、彼は大きく息を吐いた。
「⋯⋯玉兎はもはや、こうでもしなければワシの言葉も聞かぬだろう。あれは恐ろしく頑固だ。此度の武功で叶わぬなら、叶えられるまで同じように戦場に出続けるだけだ。ならば──」
孫堅は一度瞠目し、諦観も色濃い声で続けた。
「武将として傍に置く。あれを護るにはそれしかない。
それに、武将の位を与えたからといって、必ずしも前線に出すわけではない。むしろ兵を与えて後方の守りに留め置くことができる。一兵卒のままではそれもままならん。お前とて、玉兎が自分の知らぬ間に戦場のいずこかで果てていた⋯⋯など望んではおらんだろう」
「っしかし、それでも──私はっ⋯⋯」
俯き、音がするほどきつく拳を握り込んだ息子に、孫堅は切なげな目を向けた。
「お前の気持ちも分かる。だが、あれにはあれの信念があるのだ」
「⋯⋯私は認めません」
「それもよかろう。お前にもお前の信念があるのだからな⋯⋯」
孫堅は些か疲れた顔で首を横に振った。
そんな父を見て、孫策もまた溜め息をついた。兵たちが妙に騒がしかったのでそこから話を聞いて来たのだが、怒りのあまりその矛先を間違えたようだ。まず玉兎に問い質すべきだった。あの女はいったい何を考えているのか。だいたい、自分に一言もなかったというのが腹が立つ。
では本人に問い質してやろうと、とりあえず訓練場に来てみた孫策は、兵の中で木製の戟を振るう玉兎をあっさり見つけた。胸当てと兜を着込み、目元を隠す厳めしい面を着けている。遠目では細身の侠にしか見えない。知らねば寄っても女に見えないだろう。
乱戦を想定した模擬戦か、一撃で周りの兵たちを吹き飛ばしている。吹き飛ばされたうちの一人が足元に転がってきたので、それを助け起こしてやった。
「す、すま──っん!?」
「大丈夫か?」
「はっ、はい⋯⋯!」
現れた孫策に、兵たちがさわさわと囁きながら遠のいていく。
訓練場の真ん中に取り残されたのは、
「これは若殿さま⋯⋯」
頭を下げた玉兎に応えず、孫策は得物を抜いた。
「貴様、どういうつもりだ」
「どう、とは?」
「とぼけるな。無断で戦場に出た挙句、武将の位を戴いたのだろう」
「それがなにか」
「なにかではない!!!」
爆発した孫策と対照的に、玉兎は風のない湖面のように静かなままだ。
「人にはそれぞれ相応しい役割があります。わたしの役割は“これ”だった。それだけのこと」
「女の分際で戦いを語るな!!」
踏み込んだのは当然ながら孫策が先だった。得物を振り回し、渾身の一撃をぶちかましていく。玉兎は戟の柄でそれを受け、力に逆らわず後ろに跳んだ。続けざまに打ち込まれてくる攻撃も、ひらひらと葉が風に吹かれるような軽さでかわしていく。普段であれば孫策の体力が切れるまで暴れさせてから動きの鈍ったところを仕留めるのだが──怒りに任せた隙だらけの一撃を、玉兎は素早く屈んで避けると孫策の顎に強烈な一打を入れた。
下から突き上げる重い衝撃に、孫策はたたらを踏んで数歩下がった。ぐらぐらと視界が揺れる。
「これでも戦いを語るなと?」
「ふっ、ざけ、る な⋯⋯!!」
孫策ががくんと膝を着いたとき、騒ぎを聞きつけた黄蓋が走り込んできた。
「若殿様!」
「くそっ! 触れるな!」
助け起こそうとしてくる手を払いながら、しかし膝が笑っている孫策は立ち上がれないまま彼女を睨みつけた。だが視線が定まっていない。
「玉兎──お前、なんということを!」
「わたしはあしらっただけのこと」
「仮にそうだとしても⋯⋯!」
声を荒げた黄蓋の背後から、さらに別の声が掛かった。
「やめんか、黄蓋」
「殿⋯⋯!」
君主の登場に場が静まり返った。何事かと集まった文官や侍女も、兵と共に固唾を飲んで騒ぎの中心を窺っている。
「手合わせをしていれば怪我をすることもあろう。どちらが悪いわけでもない。そうだな、孫策」
「くっ⋯⋯!」
ここで騒ぎ立てるは恥の上塗りだ。孫策は荒い息でぎりぎりと奥歯を噛み、顔を背けた。
「玉兎」
「はい」
「お前にも武士としての矜持があるのだろうが、そういきり立つな。お前の力はワシも認めたのだ。容易く挑発に乗って武器を振り回すようでは半人前ぞ」
「申し訳ありません⋯⋯以後気をつけます」
「分かればよい。さあ──皆、持ち場に戻れ」
頭を下げ、各々散っていく。孫策は黄蓋に肩を借り、悄然とした様子でよろよろと去っていった。
残されたのは、武士が二人。
「玉兎」
「はい」
「⋯⋯あれの気持ちも分かってやってくれ。お前を大事に思っているのだ。危険な目に遭わせたくないと」
「⋯⋯はい⋯⋯」
「お前がなにを思ってこのような真似をしたのか分からぬでもない。だが、本当に必要なことなのか? わざわざお前が戦に出る理由など⋯⋯」
「わたしは牙になると心に決め、そのために生きてきました。そのために生きています。あなたはわたしのような下賤の者を傍に許し、本当の娘のように可愛がってくださいました。その恩に報いたいのです。この命はただ孫堅さまのためだけに⋯⋯」
「ワシのためではないだろう」
「そうですね──民のためにも」
それも違う。
おそらく、全ては息子の、孫策のためだ。
孫策が彼女に幼馴染や好敵手という以上の想いを寄せているように、玉兎もまた孫策を想っている。でなければこのような真似はしなかったはずだ。傍に仕え、露払いを一身に引き受けるつもりで武器を持つ。そういうところが妻に似ていて嫌になる。
「⋯⋯玉兎よ⋯⋯」
「はい」
呼んだものの、孫堅は黙り込み、玉兎の顔をじっくりと眺めて溜め息を吐いた。自分の妻も美しかった。玉兎も人目を引く美しさを持ち、内に秘めた強さ、それを宿す瞳がことさらによく似ていた。
息子の女の趣味が自分と同じなのだなあと感慨深くもあり、苦労するであろうなあとも思う。苛烈な性を持つ女に惚れたらどうなるか、身をもって知っているだけに。
「⋯⋯侠に二言はない。ワシはもう何も言わぬ──いや、言ったところでお前は聞く耳なぞ持たぬのだろう。だから、一つだけ命を下す。死に急ぐような真似だけはするでないぞ」
「はい、必ず⋯⋯」
「⋯⋯孫策も難儀なことだ」
孫堅は最後の抵抗とばかりに往生際悪く、やれやれと首を横に振ってみせた。
「いったいなんのことでしょう」
涼しい顔ではぐらかしてみせた玉兎に、孫堅は不安を覚える。この娘は、恐ろしく強いが脆い。命を賭したこの一途さは。
危うくも、それ故に美しい。
その存在そのものが、まるで抜身の刃のようだ。自身の鋭さが一歩間違えば凶器になり得ると理解させねばならない。でなければ、いつか自らさえも切り刻み、身を滅ぼすだろう。
偃月に似た美しい横顔に、孫堅にはただ憂慮のみが募っていた。