「なぜお前がここにいる」
「わたしも軍議に参加するよう仰せつかりました」

 怒れる虎の如き孫策に怯むこともなく、玉兎は袖を揺らして頭を下げた。鎧を着けてはいないが、その袖の下に鉄扇が仕込まれている。あくまで将としてこの場にいるつもりであるらしい。

「場違いだ。去れ」
「恐れ入りますが⋯⋯」

 彼女はこうべを垂れたまま静かに後ろに下がり、孫策の対面に腰を据えた。

「聞こえなかったのか。去れと言っている」
「殿の命に背くわけにはまいりません」

 その言葉に、孫策はかっと頭に血が上った。
 この女は、自分に一言もなく勝手に将の位を賜るだけでは飽き足らず──

「女が軍議に参加するなど、孫家に恥をかかせる気か!!」
「お言葉ですが」

 声を荒げた孫策に、彼女はすいと顔を上げ、冷たい眼差しで一瞥した。

「耳を傾けさせたいならば、その女に手合わせで一度でも勝ってからになさってくださいませ」
「きっ貴様ぁあああ!!」
「若殿様! 殿の御前でございます!」

 まさに一触即発である。いまにも得物を取り出しそうな孫策に、黄蓋があわあわと止めに入った。

「もうよさぬか。話が進まぬ。孫策、座れ」
「しかし!」
「二度も言わせるな」

 反論を許さない口調に、孫策は奥歯を鳴らしながらも、どかりと腰を落ち着けた。

「玉兎よ」
「はい」
「お前もだ。いい加減にしろ」
「⋯⋯申し訳ございません」

 孫堅は長揖した彼女に一つ頷くと、

「──さて⋯⋯皆に聞いてもらいたいことがある。
 先の水賊との戦を受けて ワシなりに考えたのだが──」








 軍議は荒れに荒れた。玉兎のこともあるが、孫堅の招いた軍師が現れたことで孫策がさらにどっかんどっかん爆発したものだから、今までにない荒海のような軍議となった。

「申し訳ありません⋯⋯。どうか気を悪くなさらないでください」
「いえ⋯⋯」

 隣を歩きながら頭を下げる玉兎に、艶やかな長い髪を揺らす美貌の侠──周瑜は曖昧に首を横に振った。

「孫策さまは、いずれ孫堅さまの跡を継ぐお方です。孫家は武に優れた者の多い一族──その責任感のために、あのように武力への心棒が⋯⋯」
「はあ⋯⋯」
「決して、悪いお方ではないのです。兵にも民にも慕われておられます。必ず良い領主となりましょう」
「⋯⋯あの⋯⋯」
「はい」
「そう畏まった言葉遣いをせずとも⋯⋯」
「とんでもございません。孫堅さまの招いた軍師さまにそんな失礼な真似は⋯⋯」

 今度は玉兎が首を横に振った。そんな彼女に周瑜は少し考えて、

「⋯⋯私はこの地は初めてで、友も知人もいない。貴女のような方に友となってもらえればとても嬉しいのだが⋯⋯」

 二人分の足音を引き連れて廊下を進みながら、彼女は視線を落として暫し黙り込んだ。

「⋯⋯⋯⋯。では、周瑜さまがお先に⋯⋯」
「はは、これは参ったな。⋯⋯では玉兎、改めて、よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いいたします、周瑜さま」
「敬語も様も不要だ。お前は友にもずいぶんと堅苦しいのだな?」

 玉兎は口元を袖で隠し、ふふと笑った。

「周瑜⋯⋯あなた、不思議な人ね」

 柔和な目元は涼やかで、爽やかな薫風のよう。軍議の場にいたのがまるで不思議に思える。

「ところで、先ほど参加していたということは、貴女も軍師なのか?」

 武将にはとても見えないので、周瑜はそう訊ねたのだが。

「いいえ。わたしは将にございます。つい先日、孫堅さまの牙となりました」
「武将!? ⋯⋯貴女が?」
「はい。お手合わせいたしますか?」
「⋯⋯いや。力への心棒が強い中、将の位を戴いたのだ。それだけで貴女がどれほどの者か分かるというもの」

 彼女は驚いたようにぱちぱちと瞬きしたかと思えば、どこか物憂げに瞑目した。

「⋯⋯どうした?」
「⋯⋯いえ。同じ力を持っていても将と一兵卒ではやはり違うのだと思って」

 なるほど、女の身で武将の位に就くには相応の苦労があったのだろう。

「便利なものね、位って」
「それを利用するか溺れるか──その者次第だがな」
「⋯⋯ふふ⋯⋯。そうね⋯⋯」

 溺れるというならすでに溺れている。ひとひたとこの胸に満ちる、あの優しく気高い月の光⋯⋯。

「さ⋯⋯ここがあなたのお部屋です。好きにお使いになって」
「ありがとう」

 案内してくれた彼女に礼を言い、部屋に入った周瑜は、全体をくるりと見回した。

 質実剛健。

 そんな言葉が思い浮かんだ。華美ではないがしっかりとした造りの調度品は、まさにこの長沙の在りかたそのもののように思えた。

「何か御用があれば遠慮なく、わたしにお申し付けください」
「⋯⋯ああ。“友”のお前に頼むとしよう」

 暗に言葉遣いを咎めれば、柔和な目元だけを覗かせた彼女が微笑う。こうしているとただの娘にしか見えないが、豊かな袖に鉄扇が仕込まれていることに周瑜は気付いた。城を護る伏兵としてこれほど優秀なものもない。女が武器を持つことに驚いたものの、そう考えれば実に理に適っているのだなと納得してしまう。

「では周瑜。わたしはこれで」
「ああ」

 彼女の姿を見送り、周瑜は一つ息をついた。
 さて⋯⋯血気に逸る武力一辺倒の若殿様はいずこであろうか。彼女に聞けば良かったのだろうが、まあ城内を散策してみるのも悪くない。

 周瑜はなんとなく愉快な気持ちになりながら、ゆっくりと部屋を出て行った。






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