曹操の回復を待ち、さていよいよ出立となったはいいものの、佐助は少々頭を悩ませていた。目立つのは不味いのだが、曹操は際立った容姿を持っている上、見る者が見れば分かる武に秀でた気配を纏っている。彼のその風貌が人目を引くのはもう仕方がないと諦めるとしても、むしろ問題は玉兎のほうだった。明らかにただの村娘ではない、甲冑を捨てた落ち武者のような姿なのだ。記憶もなく、当然頼れる者もなく、戦場跡を彷徨っては得物や服を拝借していたらしい。何故一所に留まらずにそのような真似をしたのかと問うたが、ただバツが悪そうに黙り込むだけだった。曹操が言うには、彼女も長く戦いの中にあったという。戦装束を好んで身に付けたがるのは染み付いた習性なのだろう。たとえ記憶を失くしても人はそう簡単には変わらないということだ。

「とりあえず、玉兎殿は着物だけでもどうにかしたほうがよいのではござるが⋯⋯」
「服なら適当に買えばいいだろう」
「いやしかし⋯⋯」

 曹操は簡単に言ってくれるが、この村の者は危険を承知で何処の馬の骨とも分からぬ自分たちを助けてくれた。小さな村では食糧問題は生き死にに関わるのに、嫌な顔一つせず飯の世話までしてくれた。この上、何の見返りもなく着物まで頂戴しようというのはさすがに出来ない。だが今の佐助の懐具合は、旅をどれほど続けられるかも分からない有様だった。不要な物は持たない主義が仇となり、先立つものがないのである。任務のたびにクナイ一本ですら携帯するか熟考するのに、無駄な金など持っていない。

「何か問題でもあるのか」
「⋯⋯恥ずかしながら、懐具合が非常に厳しいのでござる」
「なんだ⋯⋯」

 そんなことかと言わんばかりの顔で曹操が袋を取り出し、佐助の手に渡した。ずしりと重い。中身が擦れ合ってじゃきじゃきと音がしている。

「これはお前に預ける」
「⋯⋯ちょっと待てくだされ。何故、これほど持ちながら、空腹で倒れるまで⋯⋯」

 中身を悟り、佐助は思わず目頭を指で押さえていた。これだけあれば、庶民の集う飯屋どころか都で一番の料亭に行ったってなんでも食えただろうに。

「いや、あのあと部下と連絡を取ったついでに下ろした金だ。あのときは本当に無一文だった」
「というか、拙者にこのような大金を預けられても困るのでござるが⋯⋯」
「土地に詳しいお前が持っていたほうが無駄遣いしないで済むだろう。私は最近、ニュースも見ていないしな。この国の物価がよく分からん」

 一理あるが、でもなあ、と佐助が考え込むあいだに、曹操は話を切り上げている。

「幾ら使っても構わない。この村の者には十分な礼をしてやってほしい」
「⋯⋯承知したでござる」

 やり合っても無駄そうなので、佐助はしょうがなく従っておいた。ここで揉めて時間を食っている場合でもない。
 佐助が村長に話を通して玉兎と歳の近い娘から旅向きの装束を譲ってもらい、来年の冬まで越せるほどの金子を渡して、三人は恐縮する村人に見送られながらようやく出立した。

「さて⋯⋯とりあえず、一旦都のほうへ戻るでござる。情報も集めておきたいゆえ」

 佐助のその言葉で決まった行き先だったが、都に入る街道の手前に差し掛かったとき、曹操が待ったを掛けた。

「どうなされた、曹操殿?」
「ここで二手に分かれよう。一緒だと目立つだろうからな」

 さすがに自覚はあるらしい。曹操は難しい顔で玉兎に向き直ると、重い口調で言った。

「⋯⋯玉兎。お前は、キングダムワールドへ戻れ。私は首を狙われている可能性がある。一緒にいるのは危険だ」

 一方的に告げられ、だが玉兎はぼんやりと曹操を見上げるだけだ。

「都へ行けばキングダムワールド行きの船が出ている。それに乗れ。着いたら、ギ・エリアのブルーウイングコーポレーション本社へ行くんだ。いいな?」

 答えない彼女に、曹操は言い聞かせるようにゆっくりと続けた。

「本社へ行けば、お前が何も言わなくとも保護してくれる。張遼という男が、いま、私の留守を守っているが⋯⋯まあ幹部なら誰でもいい。何も覚えていないと伝えれば、彼らは必ず良いように取り計ってくれる。分かったな?」

 黙ったままの彼女に、曹操は焦れる気持ちを抑えこんで、辛抱強く説明した。

「私が信用ならんなら、ゴ・エリアへ行け。レッドタイガーという流通ギルドがエリアを取り仕切っている。そのトップの孫堅という男は、お前の養父だ」

 彼女は精彩を欠いた表情で、わずかに視線を逸らした。記憶を失うというのはこういうものなのだろうか。言葉を交わした時はしっかりしているように見えたが、今はどうも自意識さえ曖昧に感じられる。

「⋯⋯一人にしないほうがよいのでは」
「⋯⋯仕方がない」

 そこでようやく玉兎が反応を見せた。

「平気です。都へ行って、キングダムワールド行きの船に乗って、ブルーウイング本社か、レッドタイガーへ行く」

 窺うような目に、曹操は強く頷いた。

「ああ、そうだ。それでいい」

 そうして、少し進んだ街道の分かれ道で二人は細い背中を見送った。徐々に遠くなる姿が木々の繁る曲がり道の先に消えてから、佐助は曹操をちらと見やった。なんとも言えぬ複雑な顔である。

「⋯⋯本当によいのでござるか」
「危険な旅になる。あんな状態の女を一緒に連れて行くことは出来ん」
「⋯⋯しかし⋯⋯」

 突っ撥ねる曹操に佐助は反論しようかと思ったものの、彼の言い分が正論過ぎて言い淀んだ。とはいえ一人にするのも危険な状態なのではないかと思う。⋯⋯佐助のその予想は残念ながら当たってしまった。玉兎と別れてしばらくした後、彼は道に沿って草陰を進む者達の姿を視覚ではなく嗅覚と聴覚で捉えた。佐助の鼻は微かな臭いさえ逃さない。それが血の臭いであれば尚更だ。
 玉兎の行った方向に進む彼らを、騒ぎを起こして人目を引くのは不味いと一旦は見逃したが、どうにも気にかかって引き返した。佐助の進言を素直に聞き入れたあたり、曹操も彼女の身をなにより案じているのは明らかだった。急いで戻った二人は街道を外れて人の疎らな山道のほうへ入り、そこで不自然な荷物を見つけた。調べるまでもない、玉兎のものだ。素早く周囲を見渡した佐助が道を逸れて藪に飛び込み、曹操も後に続く。

 藪を掻き分け、低木を抜け、さらに行った先で、獣じみた下卑た笑い声が上がっていた。

「玉兎!!!」

 武器を持たずともこの程度の賊相手、逃げることも退けることも簡単に出来るはずなのに、彼女は碌に抵抗もしていなかった。金どころか服も毟り取られている姿に、曹操の頭がカッと熱くなる。彼は理性を取り戻す前に全員を斬り伏せていた。

「玉兎! お前、何故⋯⋯!!」

 剣を放り出し、その身体を抱き起こす。彼女はやはりぼんやりと精彩を欠いた表情のまま、呟いた。

「⋯⋯この者たちを殺してまで生き長らえる価値が、わたしにあると思えない」

 広がる血溜まりを眺める彼女の目は、生気を失っていた。曹操は言葉をなくし、衝動のまま、ただ抱き締めるしか出来なかった。

「わたしは何人殺したんですか? これから何人殺すんですか? そうしてまでわたしを生かす価値が、あるんですか?」

 玉兎は自身の手に視線を落とした。拭いきれない血に濡れているのに血臭を感じない。それほどに慣れきっている。

 ──最初の記憶は、冷たい水だった。

 小さな漁村で目を覚まし、何も思い出せないまま、厄介になった。村人は優しく、何一つ分からない自分を受け入れて、村の一員として迎えてくれた。温かくて、人の心が沁みて、たとえ何も思い出せなかったとしても、根付いてみてもいいと思えた。
 だが穏やかな日々は長く続かなかった。刀傷が塞がった頃、落人の襲撃を受け──気付いたときには、骸が転がっていた。血溜まりの中で、ただ愕然とした。自分が、自分を見る村人の目が、恐ろしくて堪らなかった。そのまま村を出奔し⋯⋯流れ着いた次の村でも同じことが起きた。この男と会うまでに、すでに両の手で足らぬ数の命を奪っていた。

「わたしは、あとどれだけ殺せばいいんですか?」

 それは、記憶をなくす以前。バグが出現した頃から。彼女が自身に問いかけ続けていたことだったのだろう。曹操には、分かる。

「生きてくれ。⋯⋯生きてくれ、頼む、私のために」

 答えを持たず、曹操はただ懇願した。──そうすることしか出来なかった。






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