「玉兎、話がある」

 息子を寝かしつけてリビングに戻ってきた曹操が、渋い声で言った。

 今夜は早く帰れた彼が曹丕を風呂に入れてくれたのだが、上がってきてからどうも様子がおかしかった。察していたので驚きもせず、玉兎はソファーに座る彼の隣に腰を落ち着けた。

「なんですか?」
「お前、あれになんという説明をしている」
「説明って?」

 なんとなく話は読めたが、玉兎は首を傾げてみせた。

「お前の傷のことだ」

 曹操の犯した過ちの一つは、はっきりと目に見える形で残っている。彼女の身体の袈裟掛けな大きな傷跡がそれだ。息子はまだどういうものか理解はしていないものの、その傷跡の存在自体は知っている。普段、曹丕を風呂に入れているのは彼女なのだから当たり前だ。いずれ分かることだと曹操には隠す気もなく、玉兎にも言い付けていた。訊ねられた時には、包み隠さず真実を話せと、それなのに。

「私に落書きされたなどと、何故、下らん嘘で誤魔化した。隠さず話せと言っただろう」

 曹操は若干怒り混じりに言いながらも、それでも彼女の意思を尊重して、曹丕に真実を話さないでおいた。あんまりな説明に呆気に取られたというのもあるが、勝手に話すと拗れそうな予感がある。

「⋯⋯それで、あなたは話したんですか? あの子に?」
「⋯⋯いや⋯⋯」

 にこにこと笑って訊かれ、曹操は歯切れ悪く口の中で言葉を転がしつつ、首を横に振った。予感的中である。危なかった。

「さすが曹操さまですね。それでこそわたしの愛した⋯⋯」

 言いながら、玉兎が艶やかな微笑を見せた。これは危険があぶないと曹操は察知する。なにやら不穏なものを感じ、咳払いで仕切り直すと、曹操は努めてクソ真面目な顔を作った。

「とにかく⋯⋯次に訊かれたときは嘘を吐くなよ」

 玉兎が一つ唸って反対側に首を倒した。なんだか楽しそうだ。悔しいが、この件については分が悪すぎるというか、そもそも勝てるわけがないし勝とうと思うことすらおこがましいのでどうしようもない。

「べつに、ウソじゃないでしょう」
「まるっきり嘘だろうが」
「そうですか? あなたが描いた跡には変わりないじゃないですか」
「そうだとも。私がやった。だから抽象的な表現で誤魔化すな。斬られたのだと、殺されかけたのだと、はっきりとそう言え」
「あの子にはまだ難しすぎます」
「それで憎まれようと私の自業自得だ」

 玉兎はふたたび「うーん」と唸って、座り直した。太腿がぴったりくっつくくらいに近く寄り、膝に手をやってくる。

「今はまだ優しいものだけに触れさせてあげたいって思うのは普通のことでしょう?」

 はぐらかすつもりだ。
 いや、最初からそのつもりだったのだろう。控えめに絡んでくる身体に意図を察したものの、如何せん自分は玉兎に弱い。違う道を辿って同じ関係に落ち着いたとしても、おそらく弱いのに変わりはないであろう程度には。しかも彼女は滅多に自分からこうした行動に出ないのだ。冷静に流したつもりだが、先ほどさらっと口にされた言葉にもかなり心がぐらついている。遠慮がちだが確かな誘いは、先の一手との相乗効果もあって強烈だった。

「お前の気持ちは分かるが私の問題でもある」

 曹操はなんとかこらえて反論したが、玉兎の甘露を知った身体はすでに先走っている。細腰を抱き寄せながら、こめかみに鼻をうずめる。抗い難い甘い香りに急かされて、手指が寝巻きの合わせを探り始めている。

「わたしの問題でもあるでしょう」
「⋯⋯お前は私に甘すぎる」

 非常に苦しく言い返し、曹操は喘ぐように息を吐いた。負けそうだ──負けてしまいたい。そもそも勝つ気も、勝てる気もしない。持ち込めても引き分けなのだから、いっそ⋯⋯いや、駄目だ。これは何をおいても重要な⋯⋯

「あなたがご自分に厳しすぎるからです。だからわたしが目一杯、イヤっていうほど甘やかしてあげます」

 仄かな温もりを持った手の平が服に潜り、心の臓を労わるように優しく胸を撫でられた。ただそれだけのことで、股座が痛いほどにいきり立つ。情動を抑え込もうとしたが駄目だった。負けた。

「嗚呼、くそっ⋯⋯おまえ⋯⋯。⋯⋯覚悟しろよ、畜生⋯⋯」

 呻き、曹操はやわらかな身体に沈んでいった。






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