木々の隙間に月がある。生き物の気配と息遣い。風と、それに吹かれて木の葉の擦れ合う音。
 昼間の戦闘がまるで嘘のように、静かな夜だった。
 広い洞穴から密やかに外へ出た諸葛亮は、足取りも重く下草を踏んだ。少し先に、月を見上げて佇む後姿がある。

「玉兎⋯⋯本当に一人でここに残るつもりかい」
「諸葛亮⋯⋯」

 呼ばれた彼女は驚くこともなく、隣に並んできた彼から頭上へ目を戻した。

「ええ⋯⋯二人のこと、お願いね」

 諸葛亮は答えず、ややあってから首を横に振った。洞穴を振り返り、すでに休む二人に視線を向けて、ふたたび玉兎を見る。その目には懇願の色がある。

「やはり危険すぎる。アーサー王は確かに人格者だろう。だがおそらく、優しいが甘くはない」
「でしょうね。でも、だからこそ誠意を示さなくてはいけない」

 玉兎も休む二人を振り返った。月明かりに照らされたその蒼い横顔には別れを覚悟した悲愴がある。諸葛亮は思わず彼女の腕を掴んでいた。

「むざむざ殺されに行くつもりなのか? そもそも、こちらの話も碌に聞かず先に手を出してきたのは向こうだ」
「それでも犠牲を出すべきではなかった。そうでしょう?」

 言葉に詰まった諸葛亮は、細腕を掴んだままぐるぐると思考を巡らせた。だが引き止めるだけの説得力を持った言葉が見つからない。
 けっきょく、過程や事情はどうあれ、こちらの対応は向こうの心象を悪くするだけのものだった。彼女の言うように絶対に犠牲を出すべきではなかったのだ。

「⋯⋯玉兎、お願いだ。僕には君一人を残していくなんて出来ない」

 得意の理論武装を剥がされた諸葛亮は、最後の手段で情に訴えた。身体ごとしっかりと向き合って、その瞳をじっと見つめる。

「⋯⋯あなたのそういうところ好きよ、諸葛亮」
「はぐらかすな、僕は、」
「心配しないで。アーサー王が本当に噂通りの人物なら、おそらく命まで取りはしないでしょう」
「玉兎、」
「さあ、あなたももう休んだほうがいいわ」
「勝手に話を終わらせるな。だいたい、どうやってアーサー王に会うつもりだ? 昼間の二の舞になったら、」
「それは四人で行っても同じことでしょう」

 さすがに手強いとお互いが感じていた。劉備や悟空のように適当に言いくるめられそうにない。諦めて、玉兎は言葉を続けた。

「四人で行っても同じなら、犠牲は極力少ないほうがいい。このメンバーでいえば、わたしが一番適任なのよ。それはあなたも分かっているでしょう」
「理解したくもないね。劉備も同じことを言うだろう。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて──」
「その平和のために皆が命を懸けてる。あなたも、わたしも。彼らの仲間の命を奪った以上、こちらの命を奪われても責めることはできないわ」
「劉備は納得しない、それが君の意思だったとしても。君を失ったら、僕たちはアーサー王と必ず戦うことになる」
「なら、アーサー王を殺してでもハロを奪い取ると?」
「ああ、そうだ」

 諸葛亮は迷いなく即答した。

「あなたらしくもない。この国を犠牲に世界を平和にするなんて矛盾してるわ」
「理想と理論と感情が常に折り合うなら争いなんて起こりようがないんだよ。劉備は⋯⋯悟空も、怒りに駆られて刃を向けるだろう。簡単に想像がつく」

 睨み合うように視線が交わる。先に逸らしたのは⋯⋯玉兎だった。

「⋯⋯⋯⋯分かったわ⋯⋯」
「じゃあ──」
「でも、わたしはここに残る」
「分かってないじゃないか!」

 一瞬喜色ばんだ諸葛亮の顔色はすぐに戻った。玉兎は宥めるように、そっとその頬に手をやった。

「危ないと思ったら逃げるから。絶対に死なないって約束するから。⋯⋯だから、ね、お願い」
「⋯⋯そんな言葉、信じられない」
「──信じて。お願い。わたしだって、べつに死に急いでるわけじゃない」

 長い沈黙の後、諸葛亮は深々と溜め息を吐き、

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯分かったよ⋯⋯」

 ついに、諦めた。これ以上言っても無駄なのは分かっているし、まさか首に縄をつけて連れて行くわけにもいかない。

「玉兎、」

 頬にある細い手に手を重ね、甘えた仕草で擦り寄る。わざと弱々しい表情を作ってみせて、諸葛亮は縋るように囁いた。

「信じるからな。絶対に死なないって、君の、その言葉を」
「うん。ありがとう。⋯⋯ごめんね」
「謝罪はいらないから約束を果たしてくれ。必ず──必ず、」
「ええ」

 しっかりと頷いた彼女に、それでも諸葛亮は目を閉じて祈ってしまう。

 この温もりが、どうか失われませんように──。






表紙 トップ