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謎の一行をロビンフッドが退けた翌日、キャメロット城の訓練場では気合の声があちらこちらで上がっていた。剣戟と、攻防のたびに、鋭い金属音が幾重にも重なる。城の主であるアーサーは鎧の軋音を引き連れて、訓練場をゆっくりと練り歩いていた。兵の様子を観察し、助言が必要な者にはそれを与え、必要のない者には賞賛の言葉をかける。
二人一組で互いに打ち合い、鍔迫り合い、技の応酬が延々と繰り返されている。訓練用の剣のため刃は潰してあるが、当たればもちろん痛いし怪我もする。手当てのために舎へ戻る者もちらほらと見受けられた。
「皆、ずいぶんと熱が入っているようだな」
「昨日のこともありますし、なによりも陛下が参られておりますからね」
「そうか──」
マーリンの言葉に頷いたその時、気配を感じて、アーサーはふっと顔を上向けた。陽の眩さに目を細め──上空から、太陽を背負い、一筋の光が落ちてくるのを認めた。陽光を弾き返す鎧だ。姿も気配も隠すことなく降り立ったその者に、アーサーは鋭く視線を向けた。
「何者だ」
強襲の若武者は腰元の得物を抜いた。にわかに緊張が走る──が、彼はそのまま得物を地面に突き刺し、数歩下がった。膝を着き、深々と
「ロビンフッドさまからすでにご報告が上がっているでしょうが、わたしはキングダムワールドより参りました、劉備さまの遣い、玉兎と申します。
あなたに聞いていただかなくてはならぬことがあり、こうして無礼を承知で馳せ参じた次第です」
「⋯⋯この数の兵の中に身一つで飛び込んでくるその勇ましさ、見事なものだ──いいだろう、申してみよ」
「はい⋯⋯ですが、その前に⋯⋯」
玉兎の視線が、おもむろに高い場所へ向いた。
「ロビンフッド、待て!」
アーサーの制止と矢が放たれたのはほぼ同時だった。彼は瞬時に剣を抜いたが、それでも斬り落とすのが間に合わなかった。
「ロ、ロビンフッドの矢を真正面からまともに受けるなんて⋯⋯」
胸当てを貫き、突き刺さった矢を見て、怯えた表情でマーリンが呟いた。その姿を見るのも怖いといった様子で顔を覆う。兵たちも動揺し、動けないまま、相手の動向を窺っている。訓練場は沈黙に支配された。
「あ、あいつ⋯⋯」
アーサーの隣に飛び降りてきたロビンフッドも困惑して口ごもった。気取られていたことに気付いた瞬間、反射的に番えた矢を放っていた。だが、避けることができたはずだ。それは昨日の身のこなしを見ていれば分かる。なのに微動だにせず矢を受けた。覚悟の上でこの場に現れたのは明らかだった。
(あの距離から鎧を貫くなんて⋯⋯。すごい威力⋯⋯)
射抜かれた玉兎のほうは自身の胸当てを見下ろし、小さく息を吐いていた。威力も然ることながら、寸分違わず心の臓を捉えている。
「⋯⋯先の戦闘で森と異形の者たちに犠牲が出たことをお詫びいたします」
アーサーはじっとその瞳を見つめた。敵意もなければ底意もない。ただ静かで深い眼差しがそこにある。
「⋯⋯用件を申せ」
「はい⋯⋯この世界には、いま危機が迫っています。なにか邪悪な者の手が⋯⋯。それを退けるにはハロが必要なのです。あなたが噂通りの真の王であるなら、必ず劉備さまに力をお貸しいただけると信じております⋯⋯」
そこまで言うと、玉兎は矢を引き抜いてアーサーの前に進み出た。彼の後ろに控えていた兵たちも主の前に出ようとして、しかしその腕にとめられる。玉兎は得物を掴み直すと、改めてアーサーの前に突き刺した。そしてふたたび跪き、
「先の戦闘の償いはこの首一つで手打ちとしていただければ幸いです」
じわじわと服が血に染まっていくのを、アーサーは少しのあいだ、ただ見下ろしていた。
「よかろう」
彼はおもむろに頷くと玉兎の得物を掴み、鋭い一閃を見舞った。その首に──ではなく、結わえられた髪の根元に。
「お前の命⋯⋯確かに貰い受けた」
「⋯⋯よいのですか」
見上げてくる瞳には、やはり敵意も底意もない。
「避けられたにも関わらず、ロビンフッドの矢をまともに受けた勇気と誠意に免じてこれで手打ちとする」
「ありがとうございます⋯⋯」
玉兎は礼と共に頭を下げ──アーサーはぐらりと傾いたその身体を支えた。
「急ぎ手当てをしてやれ」
兵に指示を出すと、玉兎を彼らの手に渡した。白くなっていく顔色に、もしやすると駄目かもしれないなと考える。元より命を捨てる覚悟で来たのだ、助からずともそれは本人の意思でもある。だが⋯⋯。
「決して死なせてはならんぞ」
世界の危機の真偽はともかく、もう少し話をしてみたい。底のない、しかし澄んだ瞳を、もう一度見てみたい。
「ここは⋯⋯」
「キャメロット城。客室だよ」
「⋯⋯⋯⋯ロビンフッドさま」
負の感情が僅かにも見当たらない静かな声に、ロビンフッドはむぐと言葉に詰まった。矢打たれてなおこういう態度を取れるのが不思議でならない。後一歩で死ぬとこだったのに、少しは恨みとかないんだろうか。
「お前、バカなんじゃないの? ボクの矢をまともに受けるなんてさ、どうかしてるよ。よっぽど鎧が硬いのかと思ったら全然だし!」
「ああするしか、わたしには償いようがありませんでした⋯⋯」
「やっぱバカじゃん⋯⋯」
他にもやりようはあっただろうにと、呆れ果てて言葉が出てこない。
「⋯⋯あなたは主を護るため正しいことをしただけです」
ぼんやりと呟き、彼女はふたたび目を閉じた。深く息を吐く。その胸が痛みに引き攣りながら大きく上下するのをロビンフッドが黙って見下ろしていたとき、無遠慮にドアが開かれた。この城の中でそんな真似が許されるのはたった一人しかいない。
「ロビンフッド、彼女の様子は──」
「あ、陛下⋯⋯今ちょうど目を覚ましたところです」
「そうか⋯⋯早いな。下がっていろ」
「はい」
そそくさと部屋を後にした新緑の若者を見送り、アーサーはベッドに視線を戻した。玉兎はすでに身体を起こしている。立ち上がろうとするのを、肩に手をやって押し留めた。
「そのままで構わぬ」
「⋯⋯ありがとうございます」
さすがに辛いのか、彼女は少し考える素振りを見せたが素直に従った。クッションを背中に当ててやり姿勢を落ち着けさせると、アーサーは傍のテーブルの水差しを手に取った。
「玉兎といったな。そなたが女と知らなかったとはいえ、髪を切ってしまったことを許してほしい。すまなかった」
「かみ⋯⋯」
彼女はまだ精彩を欠いた表情のまま襟足に手をやり、ぁ、と小さく声を漏らした。
「ああ、いえ⋯⋯べつに構いません。むしろ、命を助けていただいて感謝します」
「無益な殺生は好まぬ」
アーサーはグラスに水を注ぎながら答え、ベッドの縁に腰を下ろした。重厚な身体にぎしりと鈍い音が鳴る。
「ありがとうございます⋯⋯」
差し出されたグラスを受け取った途端、玉兎は喉の乾きを覚えた。傷のせいで体温も上がっている。口を付けようとうつむいたとき、こめかみに武骨な指先がそっと潜り込んできた。
「そなたの髪は美しい。勿体無いことをした」
玉兎が小さく肩を跳ねさせたことにも構わずアーサーが言う。労るような触れ方と、心底残念そうな口調だった。
「はあ⋯⋯」
どういう反応をすればいいのかよく分からず、玉兎は曖昧に頷いておいた。とめても無駄だろうと彼の指先を好きにさせたまま喉を潤す。
アーサーはどこかおかしそうに微笑し、その髪を堪能すると静かに立ち上がった。
「いまは身を休め、ゆっくりと傷を癒すことだ」
玉兎は高い場所にある顔を見上げる。落ちてくる眼差しはとても優しかった。
「あの⋯⋯わたしはどれくらい眠っていたのですか?」
「まだ半日ほどしか経っていない。こんなに早く目を覚ますとは思わなかった」
「半日⋯⋯」
玉兎は反射的に窓に目をやった。カーテンが引かれ月の位置は分からないが、外の気配ですでに夜が深いことを知る。
「玉兎よ。そなたを我が客人として歓迎する。ゆるりと過ごすが良い」
「ありがとうございます。ですが、わたしは劉備の──劉備さまの元に、」
「その傷では追い付くどころか歩くこともやっとだろう。そなたの仲間は必ず此処へ来る。ならば留まり彼らを待ったほうがいい。それに、」
アーサーは揶揄うような笑みを見せ、
「もしもそなたと合流できぬままその劉備とやらが戻ってきたら──そなたはすでに去ったと、私のその言葉を彼らが信じると良いがな」
確かに一理ある。しかしこれ以上貸しを作るのもまずいような気がしなくもない⋯⋯が、彼の言うように、この傷で追い付くのは難しいだろう。向かった場所は分かっているが、彼らがどういうルートを取るかも正直あまり予測出来ない。趙雲の安否が分からない今、さすがに寄り道したりはしないと思うのだが⋯⋯。しかし趙雲は前科があるせいか、劉備たちはあまり焦っている様子もなかった。
「さあ、もう夜も遅い」
言いながら、アーサーは空になったグラスを取り上げると、渋る彼女の背を支えて慎重に横たわらせた。
「食べられそうなら何か持ってこさせるが」
「いえ、けっこうです⋯⋯ありがとう⋯⋯」
横になった途端、眠気が押し寄せて、玉兎は夢現に答えた。優しい手のひらが額から瞼へと肌を撫で下ろしていく感触があったような気がした。
⋯⋯そこから記憶がないので、一瞬で落ちたのだろう。
カーテンの隙間から差し込む早朝の日差しを眺めながら、玉兎はやはりぼんやりと城内のさざめきに耳を傾けていた。そのうちに、だんだんと人の気配が活発になっていく。眠りから覚めた城を肌で感じているうちに、ふたたびうとうとと意識を手放していた。
それから玉兎は数日のあいだ、食事や傷の手当て、用を足すといった時以外、夢と現の狭間を彷徨うようにして過ごした。彼女が本格的にベッドを離れたときには傷を負ってからすでに十日ほど経っていて、そのあいだに、アーサーは新しい服と胸当てまで用意してくれていた。世話をしてくれた侍女が身体の寸法をいろいろと測っていったような気もするが、如何せんあまり覚えていない。
真新しい服の袖に腕を通しながら、玉兎は心地良さに目を細める。侍女が持ってきてくれた服は着慣れたデザインに近いものばかりで、それもありがたかった。
「玉兎、入って構わぬか」
「あ、⋯⋯はい」
ノックと共に、ここ数日で聞き慣れた低い声。玉兎は反射的に頷いた。ドアを開けて入ってきたのはもちろんこの城の主である。
「ああ、よく似合っているな。私の目に狂いはなかったようだ」
「ありがとうございます。服どころか鎧まで用意してくださって」
「女性とはいえ、そなたも立派な戦士だからな。やはり必要かと思い、用意させてもらった。しかし⋯⋯本当にもう鎧を着けて大丈夫なのか? 動き回っても?」
「ええ。おかげ様ですっかり良くなりました。血が出ただけで傷はそれほど深くなかったので⋯⋯」
「そうか⋯⋯ならいいんだが。⋯⋯貸してごらん」
鎧の止め具に手をやろうとしていた玉兎は、背後に回り込んできたアーサーにぴくりと身体を反応させた。しかし警戒したのではなく驚いただけだ。
「あの⋯⋯自分でできますから⋯⋯」
この男に身支度を手伝わせるなど、ロビンフッドが見たら卒倒しそうだなと思いながら、玉兎は控えめに身体を捻ろうとした。
「そなたには白がよく似合う」
が、アーサーは意に介さず、止め具を留めながら感想なんぞ述べている。なんというか、さすが王様だなあと玉兎も暢気に思った。行動に遠慮がなければ躊躇もない。ついでにこっちの意見も聞いてない。
「よし、いいぞ。見せてくれ」
言うだけ無駄だと分かったので、素直に向き直る。彼は数歩下がって頭の天辺からつま先までじっくり眺め、納得したように何度か首を縦に振った。
「美しいな」
「はあ⋯⋯どうも。ありがとうございます」
着せ替え人形みたいだなと思わないでもないが、やはり言うだけ無駄だろうし恩もある。とりあえず無難に礼を言っておき、玉兎は最後の仕上げに得物を腰に差した。
「さて、朝食にしよう」
その言葉で案内された食堂は驚くほどだだっ広かった。天井も高いし、テーブルもやたら大きい。一日のほとんどを客室で過ごしていた玉兎は、いきなり開けた空間に出たのがどうも落ち着かなかった。
椅子を勧められるまま座ってはみたものの、当たり前だが慣れぬ料理ばかりで少々戸惑う。料理長があれこれと教えてくれるのに相槌を打ちながら、玉兎は上座の男を注意深く観察した。テーブルマナーもよく分からなかったのでそっくり真似ておく。気付いていないわけでもないだろうに彼は何も言わず、どうも面白がっている節さえ感じられたが、やはり言うだけ無駄だ。味に集中して、他は気にしないことにした。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
デザートまで堪能して、最後に行儀良く手を合わせた玉兎に、アーサーはティーカップに口を付けながら目を細めた。
「口に合ったようで何よりだ。私も楽しい朝食になった」
「でしょうね」
だって口角が終始上がっていた。そんなに面白かったのか。
彼女は臆面もなく返してみせたが、アーサーはやはり微笑するだけだ。
「ふふ、⋯⋯さて、では行くとしよう。今日の予定を確認しなくてはな」
「⋯⋯わたしもですか?」
「そなたは今日、暇なのだろう?」
「はあ⋯⋯」
分かりきったことを聞いてくる。本当に面白がっているのだろうが、正直なにが面白いのかよく分からない。
釈然としないまま彼の後ろについて玉座まで来ると、そこにはすでにロビンフッドが控えていた。その隣に、紫の男。初めて見る顔に⋯⋯いや、矢で仕留められたあのとき、その場に居たような気もするか。玉兎はとりあえず頭を下げておいた。
「あの、陛下⋯⋯彼女をどうするおつもりで?」
恐々といった様子で口を開いた彼に、アーサーは笑って答えた。
「マーリン。今日の予定は?」
「ええと、はあ⋯⋯午前は兵の武術指南、午後からは城下の視察となっておりますが⋯⋯」
「そうか。訓練の時間までにまだ少しあるな。では城の中を案内しよう。おいで、玉兎」
「え!? ちょ、陛下!?」
「なんだ?」
「案内って! その者が何者なのか、まだはっきりと分かっておりませんのに⋯⋯!」
「心配はいらない。すでに私の客人として迎えた」
私の、という部分をわずかに強調したアーサーに、マーリンは蒼かった顔をさらに蒼くした。
「いえ、そもそも陛下自らそのようなことをなさらなくとも、誰か他の者に⋯⋯!!」
「聞こえなかったか? 私の客人と言っただろう」
口調を強めたアーサーは、マーリンを置いて歩き出した。これ以上やり合うつもりはないらしい。
「──おいで、玉兎」
呼ばれた彼女はマーリンの顔色を窺い、しかしアーサーの言葉を無視するわけにもいかず、そろそろと後に続いた。もしかして面倒臭いことになったかもしれない⋯⋯が、此処を去るわけにもいかない。身の振り方を考えておかねばならなさそうだと玉兎は小さく息をついた。