彼はどういう侠なのかと問われ、劉備は目を瞬かせた。今日の陽はすっかり落ちて、すでに将も軍師も兵たちも、夜番の見張りに立つ者以外は各々身を休めている刻である。公孫瓚の天幕に招かれた劉備は酒を酌み交わしながら旧交を温めているところだった。

「彼って⋯⋯もしかして玉兎のことか?」
「ああ。昼間も思ったが、孫の兵の言っていたような侠にはとても思えない。お前は随分親しいようだし⋯⋯実際どうなんだ?」

 劉備は目の前の侠がどういう性格かよく知っているし、だからこそ信頼もしている。玉兎の素性を話したところで問題が起こるとは思わない。だが、本人の了承を得ずに話すべき内容ではないことも分かっているので、しばし考え込んだ。

「⋯⋯あのさ、⋯⋯公孫瓚の兄貴は、なんで、そんなにあいつのことを気にするんだい?」

 とりあえず探りを入れてみた劉備に、公孫瓚はふむと一つ唸った。

「⋯⋯彼は──玉兎は、もしや病を抱えているのではないか? 天幕からあまり出てこないし、臥せっているのかと気にかかってな⋯⋯。もしそうなら、そんな身で、どうしてこの戦に出てきたのだろうかと⋯⋯。孫の者は武勇に誉れ高い一族だと聞く。その臣下も君主に劣らぬ勇将揃いだと。そのために、なにか、病の身を押してでも、已むに已まれぬ事情があるのか⋯⋯」

 少々酔いが回ってきているのか、公孫瓚は杯の中身を見つめたままつらつらと語った。彼の言葉を一言に纏めると「あいつ大丈夫なの?」である。

「兄貴らしいなぁ⋯⋯」

 劉備は頬を掻きながら、はは、と苦笑を漏らした。気に掛ける理由が邪念や悪意ではない──兄弟子がその手のものとは無縁だとそもそも知っている──から、黙っているのがちょっと心苦しくなる。でもやっぱり本人の口から聞くべきだよなぁ、とも。

「⋯⋯う〜ん⋯⋯。本人に聞いてみたらどうだい? あいつも、公孫瓚の兄貴になら、きっと本当のことを教えてくれると思うよ」
「⋯⋯そうか? というか、本当のこととは? どういうことだ?」
「だから、それを本人に聞くのさ」
「ええ⋯⋯? ⋯⋯う〜ん⋯⋯」

 妙にはぐらかす劉備に、公孫瓚は腕を組んで首を捻った。本人に問い質してまで知りたいことか? いや、それ以前に⋯⋯。

「不躾だろう。話したこともないのに、そんな突っ込んだことを聞くなんて」
「大丈夫さ。兄貴ならね」
「⋯⋯どこから来るんだ、お前のその自信は?」
「そりゃあ、公孫瓚の兄貴のことを一番よく分かってるっていう自負からかな?」

 からから笑う劉備の子どものような笑顔に、やれやれと首を振る。

「よく分からんが⋯⋯まあお前が俺の質問に答えてくれる気がないということは分かった」
「うん。だからさ、」

 劉備は忍び笑いを隠すこともなく、

「聞きに行ってみなよ。今から」
「ああ、そうだな⋯⋯⋯⋯はぁ!? 今から!!?」

 公孫瓚は頷き、一呼吸の後に言葉を理解して、目を丸くして叫んだ。

「そう、今から」
「馬鹿を言うな⋯⋯こんな夜更けに、それこそ不躾どころの話ではないぞ」
「明日、お互い生きてるって保証もないのに、公孫瓚の兄貴ってけっこう悠長なんだな?」
「⋯⋯いや⋯⋯お前の言うことは確かに尤もではあるが⋯⋯」

 渋る公孫瓚に、劉備は笑いを引っ込めて、少し表情を沈ませた。

「明日⋯⋯孫軍は先陣を切る。相手は難攻不落の要塞だ。⋯⋯話す機会なんてもうないかもしれない」

 ここは死線で、“それ”は常に傍に在る。分かっていないわけでも失念していたわけでもないし、覚悟だってしている。それでもこうして言葉にされると、ひどく重々しく、まるで腹に圧し掛かってくるようだ。

「だからさ、⋯⋯いつだって、後悔だけは、したくないだろ?」
「⋯⋯大きくなったな、お前」
「俺だって、さすがにもう公孫瓚の兄貴の後ろにくっついて歩いてた子どもじゃないさ」

 見違えるほど大人びた表情で、劉備が微笑った。
 公孫瓚は眩しげに目を細め、その微笑を見つめた。よく見慣れた、少年のような無邪気さを可愛く思う。だがそんな心を残していても、その心身は強く逞しく、龍の如く駆け昇っていく。彼は、この手を遠く離れて、いつか。
 いつか、きっと、この三璃紗を背負う侠になるのだろう。

「分かった。⋯⋯彼に直接、話を聞いてくる」

 そんな言葉が出たのは、寂寥感からだろうか。弟弟子の目覚しい成長が誇らしくあるのに、少し、寂しい。

「うん。⋯⋯さてと⋯⋯それじゃ、俺は先に休ませてもらうよ」
「ああ。よく休めよ」

 ぽんと頭を一つ撫でると、劉備は少し頬を染め、昔のような笑みを見せた。大人びた顔をしてみせたかと思えば、こうして子どもっぽいところも見せる。表情がころころ変わって面白い。なんだか寂寥感が払底されて、公孫瓚は顎を上向け、しかし控えめに笑った。

「おやすみ、劉備」
「ああ。おやすみ、公孫瓚の兄貴」

 言いながら、すでに欠伸をしている劉備と天幕の前で別れる。公孫瓚は孫の陣営のほうへ向かいながら頭を捻った。本人に聞くと決めたはいいが、さて、なんと切り出せばいいものやら。お前に一つ訊ねたいことが⋯⋯いや、いきなり切り込むと警戒させるか? 言葉を練りながら漫然と歩き、孫の陣営に近付いたところで、見張りの兵に声を掛けられた。当たり前だ。

「何か御用でしょうか?」
「ああ⋯⋯その、⋯⋯玉兎殿はまだ起きているか?」
「あの者はもう休んでおります。申し訳ありませんが、また明日にでも」
「そうか⋯⋯そうだよな。いや、すまなかった。では失礼する」

 素直に引き下がり、公孫瓚は来た道を引き返した。いったい何をしに来たのだか。まあ勢いで出てきたようなものなのでこれで良かったのだと自分を納得させつつ、寝る前に厠へ行っておこうとそちらへ方向を変えた。
 夜番に立つ者に労いの声を掛けながら辿り着いた厠は不気味なほど静まり返り、かがり火のはぜる音しかなかった。裏手のほうには見張りが立っているはずだが、少し離れた場所に構えているので話し声も聞こえない。闇に怯えるなど子どもじゃあるまいしと、さっさと用を足す。出すものを出して、さて戻るかと厠を出たとき、暗い視界の端に動く影を捉えた。幽鬼のように薄ぼんやりとした気配が、野営地の外れへ歩いていく。その姿が探していた侠のものだったのを月明かりに認め、公孫瓚は思わず密かに後を追っていた。
 彼は歩き続けて野営地を離れ、さらに進んでいった。この先には何もない⋯⋯いや、なくもない。戦いに散った亡骸の埋められた、墓ともいえぬ簡易の埋葬場所がある。そこに着いた玉兎は幾つかの盛り上がった土の前に立ち止まると、じっと項垂れた。吹く風に、長い髪が揺れる。
 公孫瓚はやはり疑問だった。戦いしか知らない侠が、はたしてこのように死者を悼むものだろうかと。しかし声を掛けられるような雰囲気でもなかったので、静かにその場を離れようとした。踵を返した拍子にきしりと小さく鎧が軋み、その瞬間、足元に小刀が突き刺さっていた。

「誰だ」

 全身の毛が逆立つような気配に、公孫瓚は慌ててそちらへ視線を戻した。
 彼は──面をしていなかった。これほどはっきりと顔を見るのは、孫策と初めて挨拶を交わしたとき以来だ。その美貌はやはり陰気で冷たく、何をするか分からない雰囲気がある。侠の手中の戟に目を留めて、この者と二人きりという現状に、急に危機感が湧いてきた。

「待て──待て、すまない。覗き見のような真似をするつもりはなかった。許してくれ」

 相手が狂犬と称される侠でも、仲間内でやり合うのは不味い。それに、正直なところ勝てるかどうか分からない。それほど武に秀でた者の圧がある。

「⋯⋯あなたでしたか」

 だが、彼は公孫瓚の杞憂を余所にふっと肩の力を抜いた。次には物憂げな瞳が伏せられて、長い睫毛が月光に影を落とす。

「あの、その⋯⋯すまない⋯⋯」
「いえ⋯⋯。⋯⋯申し訳ありませんが、少し一人にしていただけませんか」

 その横顔は憔悴していた。力の抜けた肩は、女のような──いや、そのものの線の細さだった。

「玉兎、お前⋯⋯まさか⋯⋯」

 驚きと、確証のない予想から、公孫瓚は言い淀んだ。もしも間違っていたら逆鱗に触れかねない。

「⋯⋯劉備さまから何もお聞きしていないのですね」
「あ、ああ⋯⋯気になることがあるのなら、お前に直接聞けと言われて⋯⋯」
「⋯⋯あのお方らしいです」

 苦笑とも言えぬ虚ろな笑みを見せて、玉兎は視線を逸らした。どこを見ているとも分からない、ひどく遠い目になっている。

「⋯⋯やはり、あなたは、劉備さまからお聞きした通りのお方のようですね」
「ええ? ⋯⋯あいつ、私をなんと?」
「強く優しく、そして誠実な侠だと申されておりました」
「そ、そうか⋯⋯尻の座りの悪いものだな⋯⋯なんとも⋯⋯」

 知らぬ間にそのように評されていたことに、どうも照れくさくなる。ううん、と目を細めて、公孫瓚は頬を掻いた。

「⋯⋯あなたがいまお察しした通り──わたしは女です。虎の牙として、孫権さまをお護りするためこの戦に参じました」
「そうか⋯⋯劉備の言っていたのはこのことだったのだな。俺は、お前があんまり天幕から出てこないから、臥せっているのかと⋯⋯」

 そろそろと近付きながら言えば、彼女は少し驚いた様子を見せたものの、ふたたび瞼を伏せただけだった。

「お優しい方⋯⋯さあ、もう遅いのでお休みになられてください」

 一人になりたいのだろう。それを看過できない自分がいることに公孫瓚は内心戸惑ったものの、頷きかけた──

 "後悔だけは、したくないだろ?"

 が、先ほどの劉備の言葉がふと頭によぎり、動きをとめた。視線をうろつかせ、意を決して口を開く。

「⋯⋯私は孫の者ではないし、このことを他言する気もない。それに⋯⋯その⋯⋯胸を貸すくらいなら私にも出来る」

 きょとりとした目が見上げてきて、公孫瓚は息を詰めた。──失敗した、幾らなんでも、いきなりこのようなことを言われたら警戒させるだけだろう。

「⋯⋯ありがとうございます。そのお気遣いだけで⋯⋯」

 だが、唇の端で彼女は微笑った。公孫瓚は曖昧に頷いて隣に収まり、それ以上言葉を交わすこともなく、ただ静かに散った者たちへの祈りを共に捧げた。



  ◆◇◇



 虎牢関への先陣を切ることになった孫一族は、虎錠刀の一撃で、見事に華雄を打ち破った。しかし連合軍の喜びはここまでだった。「人中に呂布あり」と言われた、あの侠が現れたのだ。曹操との一騎打ちは壮絶を極め、地形を変えるほどだったが、二人の戦いは貂蝉の乱入もあり、痛み分けといったところだった。

 今日の戦いは終わった──見切りをつけ、曹操は速やかに退いた。顔や態度には出さないものの、腹心であり右腕の夏侯惇の具合が気になる。急いで野営地へ戻ると、どうも騒がしい。何かあったかと騒ぎの中心へ向かうと、孫軍の侠が声を張り上げている。

「もっと布と水を、早く!」

 低く呻いている夏侯惇の傍で、素早く指示を出している彼に、曹操の後ろに続いていた夏侯淵の得物が突きつけられた。

「なんのつもりだ、貴様! 我らに取り入ろうとでもいうのか?」

 連合を組んでいるとはいえ、腹の内ではそれぞれに思惑を持っている。他軍の武将相手に無闇に手を差し伸べれば、そう思われても仕方のないことだ。しかし侠はわずかにも怯まなかった。夏侯惇の傍らに膝を着いたまま、静かな瞳で見上げてくる。その目の深さに夏侯淵はわずかにたじろいだものの、頭に血の上った彼は得物を下げることはしなかった。

「目の前に傷付き苦しんでいる者がいる、それ以上に理由が必要なのですか」

 底意のない瞳と、なんの他意もない声だった。夏侯淵は反論の言葉を探し、

「──やめろ、夏侯淵」

 それまで静観していた曹操の一声で、夏侯淵はようやく穂先を下げた。

「っしかし、曹操!」

 下げる理由を探していた彼にとってはまさに救世主だったが、それでも侠の言い分に心底納得しているわけではない。食い下がってみたが、鋭い眼光一つで黙らされた。

「玉兎といったか、気を悪くさせたな。だが許してやってくれぬか。こいつはいま気が立っている」
「いえ⋯⋯わたしこそ出すぎた真似を致しました。⋯⋯夏侯惇さまの回復を祈っております」
「礼を言う。⋯⋯夏侯淵」

 目顔で示された夏侯淵は、これ以上異を唱えるのは賢明ではないと大人しく兄の身体を侠の腕から引き取った。傷の具合は⋯⋯良くないようだ。遠慮なく体重を預けてくることでそれを察してしまう。

「あの、」

 兄を支えながら急いで陣幕のほうへ去っていく夏侯淵に続こうとした曹操は、か細い声に足をとめて振り向いた。

「あの⋯⋯あなたの馬も⋯⋯絶影も大丈夫でしょうか?」

 この期に及んで馬の心配までするか、と曹操は少し呆れてしまった。だが、それがこの者の美点であり、そして弱点なのだろう。

「⋯⋯ああ。大事ない」

 その言葉に、侠は少し肩の力を抜いた様子だった。一つ頭を下げ、血に濡れたまま孫軍の中へ戻っていく姿を見やり、曹操はなんとなく一つの疑惑を覚えた。

 あいつ──もしや女なのでは。

 そう考えると、あまり天幕から出てこないことや、厳めしい面を常に着けていること、武将として甘すぎること、孫の兵卒すらあまり近寄らない割には慕われているらしいこと、そのどれもに得心がいく。

「⋯⋯悪くないな」

 あれは人を惹き付ける。兵を纏め上げるのに最も重要なものを持っている。是が非でも欲しいところだ。後で司馬懿に相談してみるかと思案しながら、曹操も自軍の中へ戻っていった。



  ◆◆◇



 劉備たちの奮戦もあり呂布を退けた連合軍は、虎牢関の先へ本陣を移し終えていた。群雄は袁紹の天幕で軍議を終え、先鋒となった曹操軍は夜半のうちに野営地から続く間道を上り始めた。公孫瓚と劉備たちも、虎牢関攻めで兵を失った曹操に加勢して、軍に加わっていた。

「どうかしたのかい、公孫瓚の兄貴」

 隣を歩く劉備に声をかけられ、彼は考え込むように俯かせていた顔を上げた。

「ああ、いや⋯⋯大丈夫だ、何もない」

 答えながらも、公孫瓚はつい視線を落としてしまう。野営地を出る前、玉兎の様子がおかしかったのを目にしていたからだ。彼女は以前と同じく負傷兵の手当てのために野営地に残ったのだが、何故か天幕から出てきていて、まるで虎が弧を描く足取りでひどく落ち着かない様子だった。

「劉備兄貴、見ろよ、空が真っ赤だ!」

 物思いに沈んでいたそのとき、張飛が叫んだ。

「ああ。いったいどうしたことだろう」
「あれは雒陽の方向だ。都になにかあったのでは?」

 先頭を進んでいた幽州義勇軍の面々は、行く手の空が夕方でもないのに赤く染まっているのを見て、顔を見合わせた。
 こんな夜中になにがあったのだ? 崖までのぼりきれば、雒陽が見えるはずだが⋯⋯。

「行ってみよう!」

 声をかけるなり走り出した劉備に、公孫瓚も続いた。一度だけ、後ろに視線をやる。兵たちが浮き足立っているのを見て、将軍としての自身の立場を今一度思い出す。前に向き直ると、彼は迷いを振り切るように速度を上げた。


 雒陽から焼け出された民を救うため、公孫瓚は大急ぎで火の手の届かない場所に避難所を構えさせた。兵の半数は避難所の設営と逃げ延びてくる民たちの世話を、公孫瓚自身は残りの半数、そして劉備たちと共に雒陽外周で救助を行っていた。焼け落ちる瓦礫に足を挟まれた者を引っ張り出し、子どもを庇って火傷を負いながら逃げ惑う者に避難所へ向かうよう指示し、足が悪く逃げ遅れた老人を救出し、全員が煤にまみれながら一つでも多くの命を救おうとしていた。

「誰か手を貸して! 早く!」

 そんな混乱の中、公孫瓚は女の声にはっと顔を上げた。──玉兎だった。

「お前、何故ここに⋯⋯!?」
「どうしても胸騒ぎが治まらなくて⋯⋯」

 抱えていた子どもを兵の腕に渡した彼女は、ひどく怯えた様子だった。

「だが、何故一人で⋯⋯孫堅殿は?」

 彼は董卓追撃のために家臣を待って崖の上に残っていた。本来ならそちらと合流するはずだろうに。

「わたし、居ても立ってもいられなくて⋯⋯」

 彼女は辺りを見回し、呼吸を乱して胸を押さえた。もはや素性を繕う余裕もないのか、その仕草は女そのものだ。
 公孫瓚は崖上に目をやった後、強く頷いた。孫一族のことも気がかりだが、今はこちらも一人でも多くの手を借りたいところなのだ。

「よし、では──」

 手伝ってくれ、と言おうとした公孫瓚は、彼女の顔色が急に変わったことに思わず言葉を切った。玉兎は燃え盛る雒陽を見つめ、じっと耳を澄ましているようだった。

「どうした?」
「──おとうさま、」

 呟いた彼女は、もう公孫瓚のことを見ていなかった。放り出していた戟を手に、炎の中へ消えていく。

「おい、玉兎!!?」

 あまりの速さにとめる間もなかった。公孫瓚は反射的に追いかけようとしたが、ちょうどそのとき、劉備が声を上げた。手を貸してくれと叫んでいる。迷う間はない。だが、公孫瓚はほんの一瞬、消えた背中を業火の中に探して、動けずにいた。



    ◆◆◆



 孫堅将軍が亡くなった──。

 その報せを聞いたとき、公孫瓚の脳裏には彼女の姿がよぎっていた。名も知らぬ兵を喪い項垂れる背中、傷を負った夏侯惇を助け起こした背中、そして炎の中に消えた背中。
 彼女はあまりに優しすぎる。戦場へ来るべきではないほどに。孫堅将軍を喪った心中を思うと途方もなく胸が痛い。彼女はいま泣いているのだろうか。──いや⋯⋯きっと、泣いてはいない。立場を弁え、涙を流さず、兵たちを、孫軍全体を支えているに違いない。心の中で泣きながら、凛と立つあの細い背中のままで。

「董卓が雒陽から西へ向かったとすれば、その向かう先は長安の北に位置する郿宇城に違いない」

 どうしても気にかかる。ほとんどまともに言葉を交わしたこともなく、それでも戦場の華と散らしたくない、その心を手折らせたくない。

「郿宇城に向けて出発!!」

 趙雲を仲間に加えた公孫瓚は、逸る気持ちを抑え、ふたたび進軍を始めた。





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