世界の命運を賭けた戦い──。

 あの激戦から、すでに二年以上の月日が経っていた。
 小さな小競り合いはあるものの、世界は概ね平和を保っている。それは各ワールドの実力者が一堂に会したことも大きかった。共に危機を乗り越え、ほとんど接点を持たなかったワールド間でも、それなりの交流と結束が生まれている。劉備の故郷であるキングダムワールドの三つのエリアも──とくに曹操と孫堅の仲に折り合いがついたことにより──交通網や情報のやり取り、トリニティ管理など、一つに纏まり始めている。
 戦いが終わり、しばらくして趙雲も戻ってきた。師匠であるアルセーヌに一人前と認められたのだという。それで独り立ちしろと言われ、とりあえず帰ってきたのだと。しかしよくよく聞けば、アルセーヌが恋人と同棲を始めたタイミングだったらしい。それってただ厄介払いされたんじゃあ⋯⋯と思わないでもなかったが、まあ趙雲は何も気付いていないようだし大変嬉しそうにもしていたので、口を挟むのは可哀想だと皆何も言わないでいる。
 しかしアルセーヌに認められ、晴れて一人前のトレジャーハンターになったものの、趙雲は何処へ行くでもなくショクに留まっている。やはり故郷は居心地が良いのだろう。
 黄忠はブルーウイングからサンプルとして譲り受けたバイクを元に改良を施してみたり、諸葛亮は相変わらず研究とガンプラにどっぷりだったり、ドラゴンズ・ウォッチの面々はほとんどがそんな感じで以前と変わりなく平穏な日々を過ごしている。ただ一人を除いては。

 その一人である玉兎は、いま、ショクにいない。というか、どこにいるのかも分からない。
 趙雲が戻る少し前に、旅立ってしまったのだ。
 各地を転々としているらしく、たまに他のワールドの仲間たちから報告が入ったりもするが、本人が直接連絡を寄越してくるということはない。劉備が彼女に最後に会ったのはもう一年ほど前になる。

 引き留めたいと思わなかったわけではない。そうしようとしたこともある。
 彼女が旅立つ前日の夜に、二人で他愛もない話をした。引き留める言葉のきっかけを掴もうと糸口を探して、しかし、劉備はけっきょく何も言えなかった。月を見上げる彼女の横顔が、子を喪った母のそれによく似ていたからだ。似ているというより、きっとそのものだった。
 劉備にとって悟空は大事な仲間で、かけがえのない友で、手の掛かる可愛い弟分だった。おそらく諸葛亮にしても似たようなものだっただろう。だが、玉兎が悟空に向ける眼差しはそこに留まっていないように思えた。悟空自身も感じ取っていたのか、彼は最後に、玉兎を母と呼んだ。歳の差を考えれば母子というより姉弟のほうが近かったが、それでも二人は確かに、血の繋がりを超えた母と子だった。

 だから、劉備は、何も言えなかった。言えるわけがない。慰めの言葉などあるはずもなく、時だけが悲しみを癒すのだと、身を持って知っていたから。

 彼女は、辛いと言った。皆が良くしてくれるのに、それに応えられないことが辛いと。だから独りになりたいと、気持ちの整理をつける時間がほしいと言った。
 皆したいようにしているだけでお前が気にすることじゃないとかそんなことを思ったが、声が喉に詰まって、何も言葉が出なかった。それで会話が途切れて、お開きになった。就寝の挨拶をしたあとに、最後に、ごめんとぽつりと言われた。お前が悪いわけじゃないと、そのときにようやく言えた。もっと他に何か言いたかったはずなのに。

 そうして旅立った玉兎は、最初、三ヶ月で一度戻ってきた。次は五ヶ月後だった。それから半年。そして、いま、最後に会ってから一年経とうとしている。
 彼女は一応、拠点をショク、自分の居るこのドラゴンズ・ウォッチ本拠地と定めているようで、戻ってきたときには必ず「ただいま」と言ってくれた。それでも、彼女の心が此処から離れつつあるような気がして、劉備はそれが恐ろしい。
 次に戻って、そして旅立ったとき。彼女は、もう二度と帰って来ないのではないか。そもそも彼女は、一所に留まる人ではなかった。流れ流れて、流離いながら生きているような、そんな人だった。

 彼女が次に戻ったら。次に会った時は。
 今度こそ引き留めようと、劉備は満ちることのない月を見上げて思っていた。

 ──その機会は、彼が思っているより早く訪れた。なんと翌日のことだ。

 いつも通りに防護壁の上で双眼鏡を覗いていた劉備は、遠くから飛来するものを捉えた。広げた翼で風に乗り、のんびりと、しかし真っ直ぐにこちらを目指してくる。

「──玉兎!!!!」

 叫び、劉備は急いでバイクに跨ると飛び出していった。あまりの早業に趙雲と馬超は呆気に取られたが、劉備の放り出した双眼鏡を覗いて自分の目でも確認すると、顔を輝かせた。

 本当に、玉兎だった。戻ってきたのだ。

「玉兎〜! お〜い!!」
「久しぶりだなー! 元気かー!?」

 二人が先に行った劉備を追って飛び出していくと、彼女はすでに劉備の出迎えを受けて地面に降りてきていた。劉備の熱い抱擁を喰らって、しかし彼の背中を優しく撫でながら、笑顔を向けてくる。

「趙雲。馬超も。久しぶり、二人も元気そうで良かった」

 二人はがばと抱き着いた。劉備ごと抱え込む。痛ぇとかなんとか聞こえた気もしたが知ったことじゃない。そうして彼女をもみくちゃにして、ひとしきり再会を喜び合ってから、四人は村へ戻ってきた。
 ひとまず黄忠の元へ向かうさなか、皆の出迎えにより、劉備はあれよあれよという間に玉兎と引き離されてしまった。後ろ頭を掻きながら、しかし慕われているのはいいことだと自分を納得させる。彼女を独り占めしたら皆怒るだろうしと、その場を一度離れた。宴会を開く旨を調理場に伝え、諸葛亮にも連絡を入れておく。彼なら星詠みで玉兎が戻ってくるのをすでに知っているかもしれないが、まあ一応だ。自分の世界に没頭しがちな諸葛亮だが、ハブられるとけっこう拗ねるのである。
 関羽と張飛もラクヨウからすっ飛んで来て、その夜は皆大いに食べ、飲み、笑いの絶えない宴になった。
 玉兎の心を憂う劉備も、この時ばかりは皆に囲われて笑顔を浮かべている彼女を見て、羽目を外してはしゃぎ回った──そうしていないと、翳る不安に囚われて、何を言うか分からなかったから。







「玉兎よ」
「なんですか? 黄忠さま」

 たけなわな宴の熱もようやく冷めた夜更け、潰れて雑魚寝している者たちに毛布をかけて回っている玉兎を手伝いながら、黄忠がぽつりと呟いた。

「そろそろ、ここに腰を据えちゃあどうだ? 皆、お前のことを心配してんだぜ。もちろん俺もだが、とくに劉備のやつがな⋯⋯」

 彼女は大の字で転がっている張飛に毛布をかけてやりながら、ただ黙り込んだ。居心地悪そうに、綺麗な直線を描く毛布の裾を整えている。

「こうして生きてる以上は、どんなに辛くてもやっていかなきゃならねえんだ。忘れろとまでは言わんが、独りになろうとするのはもうやめにしてもいいんじゃねえのか」

 年の功というのか、さすがに鋭く切り込んでくる。玉兎はやはり何も応えられなかった。

 ──放浪しても、癒えたものなど何もなかった。月を見上げるごとに泣いた。すべてを悟空一人に背負わせてしまったことを悔やみ、彼の護ってくれたこの世界をより良い方向へ導かねばならないと決意し、また泣いた。自分に力がなかったばかりに彼一人さえ護れなかったくせに。

「玉兎──」

 うう"ーん、という低い唸り声に、黄忠は言葉を切ってそちらに視線をやった。赤ら顔の劉備が眉根を寄せて寝返りしている。傍の趙雲の太腿にばたりと腕が乗り、寝苦しいのか、収まりの良い場所を探してもぞもぞしているうちに丸出しになった腹に、玉兎は毛布を引っ張ってかけ直した。

「⋯⋯玉兎⋯⋯」

 もにゃむにゃと不明瞭な寝言の合間に呼ばれる。その声がひどく心細そうな、不安げな色だったものだから、玉兎は無意識のうちに劉備の頭を撫でていた。彼の潤んだ眦は、酒のせいか、それとも──。

「⋯⋯傍にいてやってくれねえか。劉備は⋯⋯恐ろしく強いが、脆いとこもある」
「⋯⋯でも、わたしでなければならないわけではないでしょう⋯⋯」

 彼の周りには支えてくれる仲間が多くいる。ドラゴンズ・ウォッチの面々だけではない、ショク・エリアの民も、レッドタイガーも、ブルーウイングも。彼が声を上げれば何を置いても駆けつけてくれるだろう。籍を置いているだけで、もはや臨時メンバーとすら言えない自分など、いてもいなくても変わらない。

「誰にも誰かの代わりはできないことを、お前さんだってよく分かってるんじゃねえのか」

 その言葉に、ふたたび黙り込んだ彼女は視線を迷わせながら、それでも、心を決めたようだった。






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