彼は機嫌が良いと、時たま外へ連れ出してくれることがあった。そのかりそめの自由は嬉しくもあり、苦しくもある。
 忘れかけた空の色を、外界の気配を、ブレインサーキットに鮮明に焼き付けるだけのひと時。毒されて曖昧になった感覚がスパークの奥底から蘇る。それは苦痛を呼び戻し、わたしの心は捻れ、悶えた。まだ、わたしは生きている。わたしは、わたしという自我は。
 わたしは枷の嵌った翼を少しだけ動かしてみた。途端に、首の枷に繋がる鎖を強く引かれてよろける。

「どうしたのだ?」

 深い色に輝く目が、探るようにわたしを見つめた。獲物に刃を突き立てる瞬間を窺うような目が。
 何でもないと首を振り、わたしは大人しくオプティマスの隣に並んだ。逃げる気力などとうの昔に尽き果てていた。
 オプティマスのもとで命を繋ぎ続けることはそれ自体が奇跡に近く、生きている以上の幸運などないように思えた。逃げるなど夢のまた夢の話だ。
 わたしはただ、まだ自分の意思で体が動くか知りたかっただけだった。

「逃げるかと思ったよ。乱暴してすまない」

 労り慰めるような声に、わたしは震える。肩を抱いた手は大きく力強く、あるいは優しいようにも思えた。それが一番恐ろしい。
 愛している、と彼は言う。
 何度も、何度でも。発声回路が潰れるまで、潰れて尚、繰り返す。
 壊れかけたわたしの心に、そのひび割れから吹き込むすきま風に乗せて。まるで埋めるように、わたしの中身を少しずつ入れ替えるように。
 暴力的な愛で満たされて、盲目になってゆく。
 四肢と翼に馴染んだ枷と鎖の重みは、わたしのすべてを麻痺させた。鈍い音と共に手折られるものがある。逃げなければという危機感、生への執着、自我、そんな何か。

「そろそろ戻ろうか」

 鎖を引かれ、重い足取りで彼に従う。
 日毎夜毎に、あらゆる感覚がぼやけていく。輪郭すら分からなくなっていく。
 彼に愛されているひと時だけ、矜持を踏みにじられる苦痛によって、わたしはわたしを取り戻した。
 昏い檻の中へ戻る瞬間、心のどこかで安堵しているそんな自分が何より怖い。絶望というヤスリで心を削ってくる男のその手に希望を与えられている、そんな心地になるなどブレインがおかしくなっているとしか思えない。
 だから、わたしは薄々悟っていた。
 この翼が風に乗って翔る日は、二度と来ないだろうことを。




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