一旦町へ戻りたいと言った実写にオプティマスは渋ったが、結局彼女の意思を尊重した。彼女の全財産が宿に置き去りになっているのだという。それどころではないと言いたいのだが。
「五分で戻るから」
 パッと助手席から飛び出た彼女は手で示しながら宿へ駆け込んでいった。
 人目があるので仕方なくそのまま待機している間、通行人から“携帯電話”をスキャンしておいた。万が一はぐれた場合のための通信機だ。彼女に馴染みのあるもののほうが良いだろうと判断し、使い方も機能もそっくりそのままコピーする。
 それが済むと、オプティマスはクラクションを鳴らした。
 その音は宵闇に長く尾を引いて消えていった。



「お待たせ!」
 宣言通りに五分以内でショルダーバッグを引っつかんでばたばた戻ってきた実写は、宿の入り口ギリギリに迫ったトラックを見てギョッとした。クラクションはまだいいが、歩道に鼻を突っ込むとは何事だ。人の少ない時間帯でよかった。
 実写は勝手に開いた助手席のドアに、慌てて飛び込んでため息を吐く。
「実写、手を出してくれ」
 そんな彼女には無頓着に、オプティマスは走り出しながらケーブルを展開させた。
 実写はとたんに固まってしまう。
 そういえば、助けてもらったときも同じものを見た。ジャンキーに追い掛けられたことより、オプティマスとの出会いのほうが衝撃的だったのですっかり忘れていたが。思い出してしまって今さら体が震えそうになる。
「大丈夫、怖がらなくていい。繊細なものを扱うときに使用する作業用のケーブルだ」
 彼女が身を固くしたのに気付き、オプティマスはやわらかく言う。
 ⋯⋯いや、怖いのはそういうわけではないんだけど。いや、まあ、それを先に言ってくれとも確かに思わないでもないけど。
 実写がそんなことを考えていたら、ケーブルに優しく手首を引っ張られた。手の平を上にされ、そこに、もう一本現れたケーブルの先端が触れる。先端部分はそのまま無機質な音を立てて姿を変えていき、トカゲが尻尾を切るようにぷつりと切れた。
 本体から切り離されたそれは実写もよく知っているもの。
「これ⋯⋯携帯?」
「ああ。それを肌身離さず持っていてくれ。それは通信機であり、発信機でもある。もし私が君を見失うことがあっても、それを持っていてさえくれれば、君のエネルギー反応を探し出すよりは発見が早くなる」
「ん⋯⋯わかった」
 ご丁寧にオプティマスと同じファイアーパターンが入った携帯電話を眺めながら、実写はぎこちなく頷いた。
「通信機の使い方としては君たちの“携帯電話”と同じだ」
 折り畳み式のそれを開いてアドレスを検索してみると、No.00にOptimus・Primeと表示されていたので実写は試しに発信してみた。二度目のコールで繋がり、「こちらオプティマス・プライム。どうした」と、たったいま会話していた彼の声でクソ真面目に返ってきたので思わず笑う。
 少女の控えめな笑い声を聞きながら、オプティマスのほうも、特に問題なく機能している通信機に満足した。自身のメイン機能から切り離して独立させているのでかなり単純な作りにせざるを得なかったが、これなら大丈夫そうだ。
「それより、これからどうするの?」
 通信機をポケットに突っ込みながら、実写が訊ねる。
「トランキリティという町に向かう。そこにオールスパークに続く鍵を持つ人物がいる。私の部下が彼の元に向かった。仲間との合流地点もそこだ。速度、距離、君に必要な休息時間などを考慮して、順調に行けば四日で着ける」
「⋯⋯順調?」
「敵が襲ってこなければ。君のエネルギー波を感知されぬよう特定の妨害電波を展開しているが、滅多なことがない限り、使用は控えてくれ」
「わかった」
 頷き、実写はとりあえず人心地ついた気がして窓に凭れた。やることもないので流れてゆく景色をぼんやりと眺めてみる。
 あまり治安が良くないゆえに、この町は日が沈むと表通りのほうはすっかり息を潜めてしまって静かだ。町並みを見慣れるほど過ごしてもいないのでとくに感慨もないが。
 ──そう、見慣れた町並みなど一つとしてない。自分の不可思議な“力”の発覚を恐れ、一つの場所に留まらず流れ流れてここまで来た。追い立てられるように何かから逃げながら、誰とも繋がりあわず、独りきりで。⋯⋯けれど。
「実写、君はもう休め。キューブの力は君の肉体に負担をかけるようだ。疲労が見られる」
 ゆったりと倒された座席で、実写は言われるまま無防備に瞼を閉じた。少なくとも今は独りではない、と安堵して。
 世間にバレたらモルモットか、良くて見世物という点での運命共同体がいる。それだけで全ての不安が薄らいだ。
 彼は、護る、と言った。命を懸けて。実際どこまでしてくれるかは分からないが、“此処”は、この星のどこよりも安全な場所なのだろう。それだけの意志を感じた。
 出会ったばかりのオプティマスを──それも人間ですらない地球外生命体を──自分でも驚くほど素直に信用できるのは、彼の真摯な態度がそう思わせるのか⋯⋯。よく分からないが、不思議なひとだ。
 実写はそっと、確かめるようにシートを撫でてみた。くすぐったがるように小さく車体が揺れ、戸惑うような雰囲気。
「⋯⋯おやすみなさい」
 ふと、誰にも言ったことがない言葉を言ってみる。
「ああ⋯⋯おやすみ」
 その声が色付くように優しく、なんだか泣いてしまいそうで、ぎゅうと丸くなった。
 曖昧に淀んだ自分の周りの時間が急速に動き始めている。正直、やっぱり怖い気持ちもある。逃げ出したいとも。けれど、逃げられはしないのだ。
 誰かが追ってくる日はいつか来る。そう、確信めいた予感があったから。さすがに、その追っ手が人間以外のものだとは思いもしなかったが。
 
 ──“いつか”が今日だった。これは、訪れるべくして訪れた日というだけのこと。




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