「ぅ⋯⋯、ん⋯⋯」
 穏やかな振動をぼんやりと知覚して実写は覚醒した。広い車内を視線だけで見渡し、昨夜の出来事を一気に思い出す。
「おはよう、実写」
 声も出せずに弾かれたように起き上がると、穏やかな声が降った。それになぜだか心の底から安堵して、実写は長く息を吐く。いつの間にか眠っていたらしい。
「おはよ⋯⋯」
 陽はすでに真上近くまで昇っていた。鋭くはないが眩い陽光に目をこすり、申し訳ないと思いつつ欠伸を一つ。ずっと走っていたのだろう。周りの景色はずいぶんと変わっている。
「ちょっと⋯⋯寝すぎたみたいだね、ごめん」
「構わない。休めるときに休んでおいたほうがいい。敵の気配はないが、いつ戦闘になるかは私にも分からないからな」
 そう言われても、実際何があったわけでもないのでどうにも実感は湧かない。緊張感のなさを雄弁に物語るように、腹が鳴った。まあ仕方ないことだと思いたい。昨日は夕飯を食べそびれたのだから。
「近くにスタンドがある。そこで食物を摂取するといい」
 赤くなって俯いた少女に、オプティマスは苦笑を滲ませた声で告げた。



「店内で召し上がりますか?」
 店員の問いに、実写はちょっと迷った。外に停車しているオプティマスに目をやる。距離があるわけではないし、姿は見えているし、大丈夫だろう。寂れた店内にはとくに変な客も見当たらない。
「かしこまりました」
 頷いた実写に店員が笑顔で返したところで、“携帯”が鳴った。
「す、すみません」
 静かな店内に大音量で流れた着信音に、わずかにいたほかの客が目を向けてくる。誰からの着信かなど分かりきっているので慌てて電話に出た。反射的にオプティマスをチラと見る。何かあったのだろうか。
「実写。移動しながらでも摂取は出来る。戻っておいで」
 慌てて取ったというのに、第一声がそれだった。脱力して、実写は項垂れる。彼の傍は嫌ではないが、食事までオプティマスの“中”だと正直ちょっと落ち着かないということを酌んでほしい。
「⋯⋯あの、」
「戻っておいで」
 遮った声は優しいが、断固として譲らない響きがある。
 二人の沈黙は、長くは続かなかった。
「すいません⋯⋯。やっぱりテイクアウトで⋯⋯」



 昼食を抱えてのたのたとパーキングエリアに戻った実写はオプティマスと押し問答になった。今すぐ移動を再開する、しない、とお互いに主張し合い、結局折れたのは昨夜と同じくオプティマスだった。ちなみに、決め手となった言葉は「食べカスこぼしまくっても怒らない?」である。
 本当に渋々といった様子で折れたオプティマスに、実写は彼への印象を改める。昨夜、町に戻りたいと言ったときもちょっと思ったのだが、優しく大らかっぽいわりに、けっこう頑固だし短気だ。
「⋯⋯オプティマスは、オイル?」
 日陰側のステップに腰掛けさせてもらいハンバーガーをパクつきながら、ちょっと気まずい空気を打破しようと実写は恐る恐る訊いてみる。
 手持ちはあるので、多少値が張るものを所望されてもたぶん大丈夫だ。が、彼はそもそも何を原動力にしているのか。訊いてから首を傾げてしまった。
「いや、必要ない。太陽光をエネルギーに変換する機構がある」
 時折小さく電子音を立てているばかりのオプティマスは、簡潔に答えてくれた。素っ気なさは感じられないので、怒ってはいないようだ。
「んー⋯⋯太陽光発電みたいな?」
 ほっと胸を撫で下ろしつつ、実写は日光に輝く車体を見上げてみる。もしかしたら彼も“食事中”なのかもしれない。
「単純化しすぎている表現だが、太陽光をエネルギーに変換するという点では同じだな」
「なにか食べたりとかしないの?」
「外部からの直接的なエネルギー摂取はもちろん不可欠だが、我々トランスフォーマーにはセルフチャージシステムが備わっている。正しく休息を取ればある程度は補える」
「どういうもの食べるの?」
 セルフチャージ云々はよく分からなかったのですっ飛ばした。オプティマスも元より理解するとは思っていないらしく、説明を続ける。
「エネルゴンと呼ばれる、精製、凝縮された液体状のエネルギーだ」
「何から出来るの? それ」
「この星にあるもので言えば、オイルや電気、熱エネルギーなどだな」
「うーん⋯⋯。面白いねえ」
「私から見れば、君たち人間のほうが興味深いが」
「そうかなあ?」
 実写にとって、誰かと一緒に食事をとるのは──食べているのは彼女だけだが──楽しくて、新鮮だった。会話に飢えていた自覚はなかったのだが、気付けば食事がそっちのけになっていて、オプティマスに指摘されたほどだ。運転席にはホログラムが映されているので、はたから見たら親子みたいかな、という嬉しさもあった。
 家族も、帰る場所もないという事実。普段意識しないそれは、ふとした時に重く圧し掛かってくる。
 自分はなぜ独りなのだろうという疑問の答えはすぐに出た。得体の知れない力を恐れて捨てられたのだろう。キューブの力のおかげでそれなりの生活ができたから、親を怨まずにはいられた。恨んだところで現状が変わるわけでもないのだし。けれど、ただ、寂しかった。
 オプティマスにあっさり心を開いたのは──まだすっかり気を許しているわけではないが──そのせいもあるかもしれない。
「ごちそうさま!」
 オプティマスに何度かせっつかれながらようやく食べ終わって、実写は立ち上がる。ゴミを片付けるために一旦オプティマスの傍を離れ、諸々の用事を済ませて戻ってきたら、彼はすでにエンジンを低く唸らせていた。
「お待たせ」
「では行こう」
「はぁい」
 乗り込むと、静かに動き出す。車道に出て、オプティマスは滑らかに速度を上げていった。
 自分と言う存在に疑問がないわけではない。進む先に過去があるなら、たとえ危険に飛び込むことになるとしても、それに賭けてみたかった。




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