移動を開始すると、実写にはやることがなくなってしまう。気遣ってくれたのか、暇つぶしにオプティマスはいろんなことを話してくれた。
 自分たちの起源や、故郷であるセイバートロン星のこと。平和だった頃のそこでどんな生活をしていたか。自分のこと、仲間のこと、そして──今は宿敵となったメガトロンのことも。
 地球に墜落したメガトロンは、一八九七年、北極圏を航海した最初の人物であるアーチボルド・ウィトウィッキー船長に発見されたのだという。偶然にもメガトロンのナビゲーションシステムを目覚めさせてしまった彼は、その結果として起きた光反応によって視力を失ったらしい。そして、携帯型レンズ装具──つまり眼鏡に、暗号化された物理痕跡が残された。
「⋯⋯暗号化された物理痕跡って、なに?」
 やたら難しい言い回しをするのでいちいち訊いては戻り、戻っては訊き、を繰り返しているのだが、オプティマスはうんざりした様子もなく静かに教える口調で答えてくれた。
「キューブの在り処を示す地図だ。キューブはこの星に墜落したときに信号を出した。だが、今はその信号を探知できなくなっている。キューブに辿り着くにはどうしてもその眼鏡を手に入れる必要がある」
 納得して実写が頷く。
 視覚情報も加えて説明したほうが早かったかもしれないと今さら思いつつ、オプティマスはフロントガラスをスクリーンに、イーベイのページを映してやった。
「わ、こんなこともできるの? 器用だねー」
 見入る実写に、関連記事も合わせて幾つか映し出す。
「彼が眼鏡の所有者だ。名前はサム・ウィトウィッキー」
「ふーん⋯⋯」
 気難しそうな船長の顔写真、眼鏡のレンズのアップ、それの所有者の顔写真と、不思議なシンボル──オプティマスにとっては見慣れた、セイバートロンの文字。
 それを映した瞬間、実写は反応した。
「これ、」
「うん?」
「見たことある⋯⋯気がする」
 指差した実写は首を傾げた。
 なんとなく懐かしい感じがする。けれど、同時に悪寒が背を走り抜けた。靄がかかったように不確かな感覚だが、はっきりと分かる。まるで淀んだ水底に沈殿し揺らぐような──恐怖、だった。
「⋯⋯ごめん、消して⋯⋯こわい」
「⋯⋯分かった」
 顔を背ける実写に、スクリーンをもとのフロントガラスへ戻すも、オプティマスは逡巡する。
 力を身に宿している以上、実写は確実に、過去にキューブと接触している。関連したものを見せてさらに刺激を与えてやれば、記憶を取り戻す可能性がある。彼女の記憶が取り戻せれば、有益な情報が手に入る可能性も。⋯⋯しかし、彼女はなにかを垣間見た。おそらく、忌まわしいものを。
 自身のメモリーにあるキューブの姿を見せるべきか、見せないべきか。
 しばし悩んで、オプティマスは実写本人の意思に委ねることにした。
「⋯⋯⋯⋯キューブを、見たいか?」
 問われ、実写は視線をさ迷わせる。
 自分はなぜこの力を持っているのか。なぜ名前以外に何一つ覚えていないのか。時の流れも、自意識すら曖昧に過ごしてきた自分は、一体⋯⋯誰、なのか。
 そのすべての疑問の始まりであり、終わりが、キューブのもとにはきっとある。
 知りたいと願うのなら⋯⋯やはり見るべきなのだろう。
「⋯⋯見たい。記憶の手がかりになるなら⋯⋯見て、みたい」
 長い沈黙のあと、恐る恐る頷いた実写に、オプティマスはメモリーの奥深くへアクセスした。
 ふたたびフロントガラスをスクリーンにして、その姿を映し出す。オプティマスにとっても錆び付いたように古い記憶だが、どれだけの時が経とうと鮮明なそれ。
「⋯⋯っ」
 実写が苦しげに息を詰めた。念のためにスキャンしていたが、バイタルサインも瞬く間に乱れたのを確認する。
 しかし、オプティマスにも、どうしてやることもできない。とりあえず一旦映像を消してケーブルを展開し、宥めるように背を撫でてやる。だが、彼女のバイタルは一向に落ち着かなかった。危険を感じて呼びかけるが、己の内側に向き合ったまま、戻ってこない。しまいには過呼吸を起こして、実写は意識を失ってしまった。
 ──早すぎた、か⋯⋯。
 傾いた実写の体を素早く支え、オプティマスは思う。
 こうなることを全く予想しなかったわけではない。しかし、遅かれ早かれキューブと接触することになるだろう。そして、彼女の意思でもある。実写がメモリーの復元を望むなら、それに協力するだけだ。その責任が自身にはある。
 彼女の疲弊した横顔に、焼け付くような自責の念に追い立てられる。
 茨というのでは生温い。紅蓮に身を焦がされるように過酷な道へ、彼女を引きずり込んだ己は──⋯⋯。




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