覚醒は唐突だった。
 張り詰めた空気で目を覚ました実写は起き上がりかけ、無意識に動きを止めた。
「起きたか」
「ど、した⋯⋯の⋯⋯?」
「敵だ」
 オプティマスのその一言に、実写はショルダーバッグを胸に抱き寄せ、息を潜める。倒されていたシートが言葉もなく元に戻ったが、黙って従った。身体を低くし、まだ陽が昇っていない薄暗い荒野に視線を走らせる。
 眼前に広がるのは、夜明け前の静かな青鈍の世界。
「⋯⋯どうやら、戦闘は免れまい」
 オプティマスは苦々しく呟いた。
 ──来る。
 センサー群にまだ反応はないが、彼は確信していた。あらゆる角度からの攻撃に備え、スピードは緩めないままに武器ユニットへも動力を振り分ける。
 問題は実写だ。この子をどうするか⋯⋯。
 少し考えるが、選択肢はそう多くない。敵の数も分からないし、開けた荒野では隠れる場所もないので、離れないほうがいいだろうとオプティマスは結論した。
「君を抱えたまま戦う。何があっても、可能な限り動かないでくれ」
「わ、分かった⋯⋯」
 頷き、実写はこくりと喉を鳴らす。耳が痛くなるほどの緊張感に身体を縮ませる彼女の周辺にフォースシールドを展開し、オプティマスは実写から意識を完全に切り離した。
 暫くは、無言と、触れれば切れそうな緊張が続くだけだった。暑くもないのに、実写の額にはじわりと汗が滲む。
 そうして、陽光が遠く、山際を縁取り始めたころだった。
「来るぞ!!」
 鋭く宣言されたが、実写にはどうにも出来ない。言われたとおりに動かぬよう、ぎゅうとバッグを抱きしめて身を強張らせる。
「え、きゃっ、わあ、ぁ──⋯⋯!」
 実写が身構えていられたのは一瞬だった。ケーブルが身体に巻きつき、ものすごい力で後ろに引っ張られたのだ。
 金属の擦れる音に紛れ、実写の悲鳴が途絶える。
 少女が意識を失ってしまったことに気付くが、オプティマスは上空からの奇襲に実写を気遣っている余裕がなかった。正直、彼女を傷付けず腹の中に巻き込みながらトランスフォームを終えることが出来ただけでも褒めてもらいたい。まあこれで暴れることはないのでこちらとしては都合がいい。彼女も恐ろしい思いをせずに済む。
 地面を抉って滑走しながら、オプティマスは敵に向き直った。小さなクレーターを作って降り立った二体のディセプティコンのうち、一体は真っ直ぐに突進してくる。もう一体は僅かな時間差で側面から。
 正面の敵をいなしながら主砲を起動する。正確さより速さを重視して視界の隅に迫ったディセプティコンに続けざまに撃ち込んだ。そうそう食らってくれるはずもなく、相手は悠々とそれを避ける。
 ほぼ同時に体勢を立て直した三体は、お互い慎重に距離を取った。
「これはこれは! 雑魚のスクラップ野郎かと思えば、オプティマス・プライムか!」
「ツいてるな。貴様の首はトロフィーにしてやる!!」
 歓喜に挑発的な電子の叫びを上げた二体に応えることなく、オプティマスは彼らを観察していた。
 幸いにも、このディセプティコンたちは実写の存在には気付いていないようだ。それどころか、顔を見て初めて、相対した敵がオートボット総司令官であることに気付いたらしい。相手をよく確認もせず強襲してくるあたり、恐らくただただ好戦的な、戦うために生きているような連中なのだろう。ディセプティコンにはそういう輩も多いので特に驚きはしない。
 オプティマスはむしろ、実写の存在を気取られていないことに安堵した。だが油断は出来ない。これからの戦闘において彼女を護りきるのはもちろんのこと、極力気付かれぬように動かねばならないのだ。それだけの余裕がこちらにあればいいのだが⋯⋯。
「──っ!!」
 二体が期待に満ち満ちた咆哮を上げた。地を蹴った彼らは左右に展開する。
 オプティマスは、副砲は起動させなかった。接近戦に持ち込むのを悟られぬように、エナジーブレードも展開させない。
 まずは左の一体に照準を定めた。威嚇射撃にしかならないがどうしようもない。完全に背を向けることになるので、素早く、確実に仕留めなくては。
 一体に向かって連射し、右のもう一体にやおら向き直ると、全体重を乗せて真っ向から突っ込んだ。
 敵は、まさか銃口に向かって無防備に特攻してくるとは思わなかったらしく、一瞬動きを止めた。あまりにも致命的な隙だった。
 相手が迎撃態勢を取る間さえ与えずに、オプティマスは胸部パーツに腕をめり込ませていた。そのまま手で内部を探り、スパークを鷲掴む。確実に倒すには、こうして機体からスパークを引き離してしまうのが一番早い。
 引きずり出そうと上体を引いたその時、腹の中の少女が僅かに動いたのを感じた。
 収容機構を持たないオプティマスは、今まで他者の存在を抱えて戦ったことがない。理解はしていても思わずギクリと体が強張る。その隙に引き剥がされた。もう一体からも砲撃を食らって握り込んだ指が緩み、せっかく探し当てた温かいスパークが逃げてゆく。
 しかし、緊急モードに移行する程度には重大な損傷を負わせたはずだ。
「殺す! 殺してやる!!」
 苦痛と激怒の叫びは無視して、オプティマスは次の攻撃に備える。
 だが、完全に振り向く前に、真横からの強烈な衝撃に打ち倒された。バトルマスクが歪む感覚があったが、今度こそ右腕をエナジーブレードに変形させながら体勢を立て直す。
「兄弟になんてことしやがる、この野郎!!」
 同じように近接用の武器を展開した相手と対峙したオプティマスは、実写を守るフォースシールドを強化した。直接的な攻撃は銃撃よりも威力がある。
「死ね!!」
 吼え、飛び掛ってきたディセプティコンに、オプティマスも憤怒の咆哮を返す。
 刃で刃を叩き落し、手首を掴んで腕の関節にブレードを叩き込む。くれぐれも腹には攻撃を食らわぬよう、相手の動きを慎重に窺いながら、的確にダメージを与えてゆく。

 ──不意に、ガツンと足を掴まれた感覚があった。

 倒したはずの片割れが驚くほどの執念深さで自身の足を掴み、動きを制限してきたのだと瞬時に理解する。
 緊急モードへ入り急速に弱々しくなっていく呪詛の言葉に、オプティマスはもはやそちらへ注意を払っていなかった。まったく予想外の攻撃に、バランスを崩して派手に膝を着く。瞬間、狂気を映した刃が肉迫した。倒れ込む勢いを利用され、装甲の中でもかなりの厚さを誇る胸部鎧へ切っ先が突き立ち、ギリギリと嫌な音をさせる。
 このまま押し込まれれば鎧が割れるかもしれない。
 危険を感じて敵の刃を掴むが、すでに僅か食い込んでいた。逃げようともがくうち、あろうことか切っ先が腹の方へと逸れてしまう。
「ぐ、⋯⋯っ、離せ!!」
 オプティマスはブレードを振り翳し反撃するが、もちろん相手もそう簡単には退かなかった。
 防戦を強いられたオプティマスは一旦、ブレードを収納した。とにかくこの刃から逃げねばならない。
 両手で刃を掴めば不自然な体勢でもさすがに力負けはしなかった。逃れた瞬間、ふたたびブレードを展開する間ももどかしく、執拗に胸部を狙ってくるディセプティコンの顔面に拳を叩き込む。よろけた相手はそれでも尚、攻撃に転じてきた。
 オプティマスもすぐさま立ち上がってブレードを展開するが、完全に緊急モードへ陥ったにも関わらず、恐ろしいほどの力で足に絡む呪縛を振り払う暇がなかった。
 至近距離で刃を薙ぎ合い、弾き合う。
 何度か攻防が繰り返されるうちに密着した状態からは抜け出したが、またも腹部へと攻撃が向かう。
 オプティマスは腰を落として、多少の損傷には構わずに肩で攻撃を受けた。装甲を引き裂いてガッチリと食い込んだ刃を掴み、さらに関節を使って押さえ付ける。押すことも引くことも出来なくなった相手の胸部を、一切の容赦なくエナジーブレードで刺し貫いた。正確無比にスパークを破壊する。
 スパークに取り返しのつかない損傷を負って少しの間ノイズを発していた相手は、やがて全機能を停止させた。それを感じ取り、ダラリと弛緩した機体をブレードに突き刺したままスキャンをかける。相手が疑いの余地もなく死んでいることを確認して、オプティマスはようやく腕を引いた。
 ブレードを収納し、いまだ足を掴む手を振りほどく。止めを刺すときに半ばほどで折れた敵の刃を肩から引き抜きながら、オプティマスは己の腹部を見た。
「実写、無事か?」
 胸部装甲を開き、ケーブルで少女を外へ出してやる。陽の光に顔をしかめた彼女はすぐに意識を取り戻した。呻きながら起き上がる。
「う⋯⋯、ぁ、れ⋯⋯?」
「もう大丈夫だ⋯⋯終わった」
 オプティマスの感覚器官は、とりあえず目前の危険は去ったと告げていた。しかし、警戒は怠らずに広域センサーと目視で確認する。
 周囲には外れた弾があちこちに着弾し、炎と土埃を巻き上げている。オイルと硝煙の匂い。
「ど、どうしようっ⋯⋯オプティマス、か、肩!」
 おろおろと弱り果てた声に、彼は実写に視線を戻した。少女は周りの状況よりも自身の姿に怯えている。
「死にはしない。大丈夫だ」
「⋯⋯ほんとに? ほんとに⋯⋯大丈夫?」
「ああ。だが、少し休息をとらねば⋯⋯」
 彼は頷きながらもボディの状態をチェックし、思ったよりも損傷がひどいことに気付く。これではビークルモードへトランスフォームすることすら危うい。
 首を巡らせて身を隠せる場所を探し、近くの一枚岩に大きな亀裂を見つけた。そこに自身の機体が入り込めることを確認する。それから、まだ完全な死には至っていないディセプティコンを見下ろした。主砲を起動し、ボロボロの胸部へ弾を撃ち込む。スパークを完全に破壊して、オプティマスは大きく排気した。さすがに少し疲れた。
 実写はそのあいだ、ただぼんやりとその光景を眺めているだけで何も言わなかった。




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