ほとんどオプティマスの中にいるので気付かなかったが、所々に岩山が迫り出している荒野には乾いた風が吹いていた。火花を散らす二つの機体から立ち上る黒煙が真っ青な空に細くたなびいている。
 彼らは⋯⋯敵は、もう死んでしまっているようだ。
 ケーブルに巻き込まれてひどい圧迫感を感じたところまでは覚えているが、そこから先は何があったのか。自分を抱えているオプティマスのこの手が二体をただの鉄屑に変えたとはちょっと信じ難かった。スクラップと化したロボットが本当に動いていたのかどうかも怪しく思える。
 ──けれども、
「ごめん、なさい⋯⋯。わたし⋯⋯」
 護られるということがどういうことか、実写はそのとき初めてちゃんと理解した。
 項垂れ、自分の体を抱きしめる。震えが止まらない。そこかしこに残る激しい戦いの名残よりも、彼に護られることが、いま、とても恐ろしい。
 それは、オプティマスに命を背負わせるということだと気付いたから。
 実写を護るために彼が戦い、傷付き、あるいは誰かを傷付け、その命を奪うというのなら。それは、護られる側の実写も等しく同じものを背負うということだ。そして、たとえ彼にそのつもりがなくとも、実写はオプティマスの命をも背負わねばならなくなる。
「実写⋯⋯心配しなくていい。怖がらなくていい。彼らは、もう、動かない」
 その声に、実写はのろのろと振り向いた。目が合えば、大丈夫だと一つ頷かれる。
 実写はもう一度、二体に視線を戻した。
 あまりに重すぎるそれを背負わせてでも、護られる価値が自分にあるのだろうか。名前以外は空っぽの自分に、そこまでの価値が。
 ──背負ってでも、先へ進む価値が?
 陽光を照り返してさらに深みを増す赤茶けた大地。そこに走る一本道から外れたオプティマスを、実写は彼の手の中からそっと見上げた。
 彼は、守護は自分の意思だと言った。けれど、それより前に、全ては自分の責任だとも。
 その、責任⋯⋯とは、何なのか。彼は、わたしの一体何を負ったというのだろう。
 聞き逃していたわけでも、気にならなかったわけでもない。ただ、なんとなく、そのうち分かるのではないかと楽観視していただけで。
 けれど、やはり⋯⋯昨夜の不安もあいまって、もうこれ以上後回しにすることは無理だ。



「すまない。ある程度回復するまでしばらく休む」
 亀裂に身を潜ませて、オプティマスはゆっくりと岩肌に背を預けた。道から死角になることも確認済みなので、警戒はしつつも少し気を緩める。
「だいじょうぶ⋯⋯?」
「休めば問題ない」
 おずおずと訊いてくる実写に、オプティマスは微かに笑んでみせる。
 じっと見つめてくる彼女に怯えの色はない。それからしばらく黙り込んだ彼女は、唐突に言った。
「責任て、なに?」
 その脈絡のない言葉に、オプティマスは、無意識に目を細めた。手の中の実写を見つめる。偽ることは許さないと、纏う雰囲気が言っていた。
 損傷部分からくる熱を逃がすために大きく排気を繰り返しながら、オプティマスは覚悟を決めた。彼女には知る権利がある。
「⋯⋯⋯⋯オールスパークの放逐。その決断は、私が下した」
 オプティマスは視線を逸らさず、はっきりと言った。
 彼女なら、それがどういうことか解るはずだ。彼女に降りかかった災厄が、誰の手によって齎されたものか。
 訊いてほしくないと、そう思わなかったといえば嘘になる。誰しも負の感情を向けられるのは嫌なものだ。それは如何なオプティマスとて同じだった。
 もちろん、身勝手な話だとは分かっている。訊いてこなかったことを理由に、自ら語らなかったことも。だから、問われた今、返されるものが怨嗟であろうとも、オプティマスは全てを受け入れるつもりだった。
「⋯⋯その決断さえしなければ、君がキューブの力を宿すこともなかった。過ちだ⋯⋯私の⋯⋯。
 ⋯⋯だから、君を護る。過ちは正されねばならぬ」
 告げられた真実に、実写は少なからずショックを受けた。内容よりも、オプティマスの言葉に。
 オールスパークの放逐を決断した。ただそれだけ。
 ただそれだけのことで、彼はこうまで自責の念に苛まれている。それにも驚いたが、それよりも。
「わたしがキューブの力持ってなかったら、」
 ──見捨てたのか。
 そう言いかけて、口を噤んだ。
 キューブの力を持っていなければそもそも狙われたりはしない。出会ってからまだ丸三日も経っていないのに、彼の優しさにずいぶんと毒されていることに実写は気付く。
 勘違いしてはならない。おそらく、相手が誰であろうと彼は同じ態度で、同じ言葉を吐き、同じように命を懸けて護るだろう。愚かにも、自分は特別だとでも思ったのか。馬鹿げている。そうではない。
「⋯⋯実写?」
 不自然に黙り込んだのを不審に思ったのか声をかけられ、実写はびくりと肩を揺らした。何でもない、と首を横に振るが、彼はそれを違う意味に取ってしまったらしく、深々と顔を伏せた。
「⋯⋯すまない⋯⋯本当に⋯⋯。許してくれなどとは言わない。言う権利もない。君が私に憎悪を抱くのは、当然のことだ。⋯⋯だが、どうか⋯⋯この過ちを正し、償うチャンスを私にくれないか」
 オプティマスの予想外の謝罪に狼狽え、実写はまた、今度は否定の意味を込めて首を横に振る。
 オプティマスが何を考えていようと、どう思っていようと、もう護られたくない。一刻も早く、彼から離れたい。重すぎる。彼の意思も、言葉も、命も、何もかもが。
「やだ⋯⋯いやだ。怖い。むりだよ。わたしには、」
「落ち着け、実写」
 ぶんぶん首を振って、あろうことか手の平から飛び降りようとした実写を咄嗟に掴み、オプティマスは幼子を宥め賺すように指先で頭を撫でた。だが、途端に涙を浮かべた彼女に、慌てて指を引っ込める。細心の注意を払ったのだが、力の加減が出来ていなかったのかもしれない。
「す、すまない。痛かったか」
「ち、ちが⋯⋯ぅ⋯⋯」
 指にしがみついて本格的に泣き出した実写に、オプティマスは助けを求めるように視線を彷徨わせた。二人以外は誰もいないので当然、意味もなく終わったが。
「⋯⋯すまない⋯⋯」
 己を責め苛みながら、オプティマスはただ謝罪の言葉を重ねるしかできなかった。
 否応なく戦いに引き込まれた少女が、いずれはこうして恐慌状態に陥るであろうというのはある程度、予測出来たことだ。けれど、実際に泣かれると、ただ立ち尽くしてしまうばかりだった。
 スパークを刺し貫くような泣き声に、オプティマスは立ち竦む。
 自分に何ができるのか。何をしてやれるのか。それが許されるのか。謝罪の言葉を重ねることすら、はたして許されていいのか。
 ──分からない。与えた傷はあまりに大きく、深すぎた。彼女のこれから先の生を考えると、すべてが傲慢に思えてくる。
「ねえ⋯⋯っ。⋯⋯わ、わたしが⋯⋯こうなること、わかって、たの?」
 しばらくして、呻くように言った彼女の視線を、オプティマスは真っ直ぐに受け止める。
 質問の意味を慎重に見定め、彼はゆっくりと首を横に振った。
「いや⋯⋯。まったく予期せぬ事態だった。有機生命体に──いや、そもそも、有機物に対してキューブの力が働くなど、想像すらしていなかった。出来なかった。だが、それは君に対して、都合の良い言い訳だ」 
 重々しく紡がれた言葉に、実写はなんだかとても腹が立った。
 激昂してさらに涙が出てきた実写は、しゃくりあげながらもなんとか言葉を返す。
「わたしは、あなたみたいに、賢くないけど⋯⋯っ! でも、わたしがこうなった責任を押し付けるのは間違ってることくらい分かるよ!!」
 その小さな身体から発せられたとは信じられないほどの声量で叫ばれ、オプティマスがビクリと震えた。
「決断を下した、それだけで、そんなことで!」
 実写は構わず続ける。それどころか、巨大なメカノイドが一瞬でも気圧されたことに気付いてすらいない。
「それも、想像だって出来なかったんでしょう!? なのに、護るって、あなたの我が儘じゃない! そんなことであなたの命を背負わされるこっちの身にもなってよ!!」
 息を荒くして言い切り、実写は顔を伏せた。涙が止まらない。
 分かって、いる。いまだ実感は湧かないが、護られ、感謝すべき立場なのだということは。けれど、ぶちまけた言葉も間違いなく本心だった。オプティマスの言葉がひどく身勝手に感じられてならなかった。
 彼は責任感が強すぎて、そして優しすぎて、背負わなくていいものまで抱え込んでいる。そんな責任感から護られていることがショックだった。キューブの力がなければ彼に会うことはなかったことも理解しているのに。矛盾している感情にごちゃごちゃと絡め取られて、もうなんだかよく分からない。
「あなたは⋯⋯っ、残されるほうの気持ち、考えたことが?」
 少女の問いに、オプティマスは言葉を失った。
 考えるどころか、知っている。なぜなら、自分はここまで長らえた。数多の危険に晒されながら、奇跡的にもスパークはなんとか保ったまま、生き延びてきた。
 犠牲と、そこにある辛苦。それは彼にとって──戦い続けると決めた全てのオートボットにとって当然のことだ。けれど、彼女はそうではない。
 死を目の当たりにするのは恐ろしい。それが自身のものでなくても、自分たちとはまったく異なる存在のものだとしても、生命の本能として拭えない恐怖がある。多くの死を見てきた自分ですらそうなのだ。彼女が感じる恐怖はどれほどのものか。
 あまりに長い年月を戦いに費やしてきたせいで、そんなことすら失念していた。背負わせることになると気付かなかった。麻痺した感覚を思い知らされ、オプティマスはまた深く項垂れる。
「すまない⋯⋯。私は⋯⋯本当に愚かだ。⋯⋯私は⋯⋯」
 何故、もっと上手く護ってやれないのだろう。恐らく、自分はまた知らず彼女を傷付けるだろう。実写はそれでも離れることは出来ないというのに。
「君を護る。⋯⋯確かに⋯⋯私の我が儘だ。きっと、君が嫌だと言っても私はそうするだろうから」
 あれだけの暴言を吐いてもそう言われ、実写は長く息を吐いた。
 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら目元を拭い、ちらりとオプティマスを窺う。涙と大声を出したら膿を吐き出すようにすっきりしてしまって、ひどく居心地が悪かった。激情も恐怖も波が引くように静まって、訪れたのは後悔だけだ。
 オプティマスを傷付けたいわけではない。自分の苦しみが、結果的にオプティマスの決断によって齎されたのだとしても、責めようとも思わない。他に術はなかったのだろうし、オールスパークがメガトロンの手に渡っていたら、あらゆるものに死と破滅が訪れたのだろう。もしかしたら、自分もここにいなかったかもしれない。それどころか、地球そのものがなくなっていたかもしれない。
 彼はきっと、そのとき最良の選択をした。たぶん、この件だけでなく、ずっとそうだったはずだ。
 項垂れた彼を、自分はどうしたいのだろう。この巨大で聡明なロボットを。
「⋯⋯いい。もう、いい」
 その言葉にハッと顔を上げたオプティマスの、明らかに傷付いたその目を見て、実写は思う。
 ──護りたい、のかもしれない。
 たった三日も共に過ごしていないが、彼が多くのものを抱えていることはおぼろげながら分かっていた。
 傷付いてほしくない。これ以上、苦しんでほしくない。こんな苦悩に満ちた顔をしてほしくない。こんなにも優しいひとが傷付くなんて、理不尽だと思う。
「⋯⋯わたし、言い過ぎた⋯⋯ごめんなさい」
「いや⋯⋯当然の反応だ。謝る必要はない」
「いいから。それより、肩、治るの?」
 ころりと話題を変えた少女に、オプティマスはちょっとついていけなかった。数瞬置いて、ぎこちなく頷く。
「問題ない。自己修復機能が働いている」
「治せるかも。触らせてもらってもいい?」
 実写は乞うように腕を伸ばしてくる。ごくごく普通のテンションに、呆気に取られてしまった。
「⋯⋯いや、君の体に負担が掛かる。使えばエネルギー波も、」
「ジャミングしてるんでしょう。大丈夫だから。ほら、早く」
「だが」
「ギブ・アンド・テイクだよ。わたしたちは一つの目的を共有してる。理由は違うけど。お互い協力すべきだと思わない?」
「君の言いたいことは分かるが、しかし、」
「⋯⋯わたしが、そうしたい。お願い」
 今度こそ乞われ、オプティマスは唸った。見上げてくる実写はまた涙目になっている。じっと見つめてくる彼女の無言の訴えに、彼はとうとう陥落した。
「無理はするな。決して」
「ありがとう!」
 肩の近くに導いてやれば、熱を放つ損傷部分の近くに、小さくやわらかな手の平の感触。そして、稲妻が落ちるようにエネルギーが走ったのを感じた。 自己修復機能が一時的に強化され、失われたパーツまでもが新たに無から構築される。ひどく懐かしい感覚だった。歓喜がスパークを競り上がり、オプティマスはぼんやりと余韻に浸る。
「ど、う?」
「嗚呼⋯⋯。⋯⋯ああ、素晴らしいよ⋯⋯ありがとう。助かった」
 まだ小さな傷はあるが、これならトランスフォームは可能だ。セルフチャージを施すだけで事足りるだろう。
 オプティマスの手の平にへなへなと座り込んだ実写のほうは、少し顔を赤くして俯いた。狼狽たえるオプティマスに、大丈夫だと笑う。すっかり忘れていたが、朝食もまだだ。そんな状態で力を使えば腹も減る。
「⋯⋯おなか、すいた⋯⋯」
 呟きに、彼はようやく小さく笑ってくれた。




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