ヴゥゥゥン⋯⋯と、低い音が空気を震わせている。
 実写は首を巡らせるが、夜闇の中に音の発信源は見当たらない。しかし確実に近付いてくる。
 頭上から迫ってくる姿なき追跡者よりも、地上から迫ってくるものの方が早かった。数台の黒いバンがタイヤを鳴らしてこちらへ向かってくる。
 オプティマスが身振りだけで迎撃の指示を出した。アイアンハイドはほぼ同時に拳を地面へ叩き付けている。彼の拳から放たれたパルスは、バンのタイヤを破裂させた。車はよろよろとふらついて互いにぶつかったりしながら急停車している。
「出動!」
 バンが路上にへたりこんで動けなくなっているうちに、オプティマスは次の指示を出す。地球産の乗り物へ擬態したオートボットは、敵を撹乱するためバラバラに逃走を始めた。
 オプティマスだけは二足歩行の形態を保ったまま、サムとミカエラを掬い上げた。実写を乗せている肩とは反対の肩へ導く。二人がオプティマスの肩によじ登っている間に、近くの山の稜線を越えてきたヘリコプターが姿を現していた。強力なスポットライトが照射され、実写は身を竦める。
 もしも、彼らに捕まったら──。
「実写、大丈夫だ」
 少女の不安を察したようにオプティマスが力強く言った。彼は一瞬だけ実写に視線をやる。だが、返事を待ってやる暇はない。
 オプティマスはアスファルトを踏み抜きながら市内へ走り出した。足元を走り回る車を跨ぎ、信号や標識を避けながら、ビルを使ってヘリの追跡をかわした。
 対象の位置をロストしたヘリは、低空で飛び、木立を覗き込んでいる。それを尻目に、オプティマスは高架橋の下へと潜り込んでいった。
「じっとしていろ」
 追跡者はハイエナのようにしつこい。高架橋をくぐるつもりか、有り得ない高度でこちらへ向かってくる。やがて下を通過したヘリのローターが、高架橋の裏にしがみつくものを地面へ引きずり込もうとした。オプティマスにとっては些細な気流の力だが、彼の肩にしがみつく人間には強烈な力だ。ミカエラが悲鳴を上げて滑り落ちた。
「ミカエラ!」
 叫び、サムが咄嗟に彼女の手を捕まえる。
「待ってて、いま──」
 身を竦めていて無事だった実写は、オプティマスの背中を伝って彼らを助けようとした。
「手を離すな!」
「え? わっ、あ!」
 二機目のヘリが通ったとき、堪えきれずに落下した二人を助けようとオプティマスが動いた。地面と平行だった背中が急に真っ直ぐに戻っていく。慌ててしがみついた実写は、偶然にも背中のパーツに足裏が着いたおかげで落下を免れた。サムとミカエラも、バンブルビーの助けが間に合ったらしい。
 しかし、ヘリは姿を現した対象を見逃しはしなかった。旋回しすぐに戻ってくると、無抵抗のバンブルビーに向かって網を発射する。
「バンブルビーが!」
 実写はふたたび素早く身を隠したオプティマスの背中で、バンブルビーが捕獲されるのを見ているしか出来ない。
「⋯⋯分かっている」
 返されたのは、低く、諦めの響きが強い声だった。
 反撃も、救出もしないつもりだ。
「なんで! 助けなきゃ──」
「この状況では、彼を助けようとすれば人間を傷付けてしまう」
「でも!」
「実写。我々は、人間を傷付けない」
 断固たる響きをもって繰り返したオプティマスに、実写は言葉を詰まらせた。
 助けよう。そう言うのは簡単だ。それをするのは自分ではないのだから。無力さを痛感し、実写は唇を噛み締めた。
 二人が言い合っているうちに次々と橋桁に再集結したオートボットの見ている前で、バンブルビーは北へと路上を引きずられはじめた。拘束されたサムとミカエラに気付いた彼は激しく抵抗をはじめたが、新たに到着したヘリに囲まれ、容赦なく吹きつけられる液体で自由を奪われていった。黄色い装甲が痛々しく凍りつき、徐々に抵抗が弱まっていく。
 見ていられず、実写は顔を伏せた。どうにも出来ない悔しさと怒りから、ぼろぼろと涙が溢れる。
 震える少女に掛ける言葉を持たないオプティマスは、バンブルビーを捕らえたヘリが去り、特殊部隊が撤収しても、無言だった。黒いバンも消え、橋の下に静寂が戻る。どこかでコオロギが鳴きかわしはじめた。動くものはなにもない。
 オプティマスは背中の実写をジャズに任せると橋から降りた。サムとミカエラが橋から落ちたときにバラ撒いた荷物のなかで、人間のエージェントが唯一見逃したものを拾い上げる。しゃがんだまま、その眼鏡ケースを眺めた。彼が器用にそれを開けると、カメラアイの燐光にみすぼらしい古びた眼鏡が光った。
 オプティマスは立ち上がり、まず南を、続いて北を見た。
 眼鏡は手に入った。しかし探し物はもうひとつある。




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