早朝。
 曙光を浴びただけではまだ明けきらぬ森の中、オプティマスは自身の機内から実写を降ろした。ひとしきり泣くことで昨夜の出来事にどうにか折り合いをつけたらしい彼女は、ひどく疲れて難しい顔をしてはいるが、オプティマスを困らせる言動はしなかった。
 賢く、強い少女だと彼は思う。否応なく争いに巻き込まれ、理不尽に辛い思いを味わわせられているにも関わらず、感情を爆発させたのは一度きり。その一度も、自身の不幸を嘆くのものではなかった。
 だからこそ、やらねばならぬ、という使命感がより強く湧いてくる。
 オプティマスは、立ち尽くす彼女の隣でトランスフォームした。ゆっくり立ち上がると、草木がざわめき、驚いた鳥獣たちが彼の周りから一斉に逃げてゆく。倣うようにほかの三人もトランスフォームし、全員の視線が、実写に預けられた眼鏡に集まった。
「実写、眼鏡を」
 胸ポケットに入れていたそれをオプティマスに差し出し、実写は肩の力を抜いた。鋼鉄の太い指は彼女の小さな手から慎重に摘み上げた眼鏡を、目の高さまで持ち上げる。
「⋯⋯どうか、うまくいってくれ⋯⋯」
 オプティマスはひび割れて欠けたレンズを少しの間、不安げに見つめた。
「やれよ、オプティマス」
 促すジャズに行動で応える。カメラアイから、波長を整えた光を照射し、眼鏡のレンズに特定の角度で当てた。少し先に、三次元の球体が浮かび上がる。
「コードだ⋯⋯。オールスパークはここから三百七十キロの地点にある」
 座標の読み取りにも成功し、オプティマスはひとまず安堵して腕を下ろした。なんとなくそのまま実写に眼鏡を返す。渡された彼女はどうするか少し迷ったあと、無造作にまた上着の胸ポケットに突っ込んだ。役目を終えた古い眼鏡など、彼女にとってはもうただの骨董品だ。
「⋯⋯ディセプティコンが動き始めたようだ」
 不意にラチェットが深刻に呟き、
「奴らも勘付いたか」
 アイアンハイドがそれに忌々しそうに頷いた。
「バンブルビーは! 見殺しにするのか」
 それまで誰もが抑えていた感情に、とうとうジャズが声を荒げた。一瞬の甲高い電子音に、実写は首を傾げて彼を見る。
「人間の実験台にされる!」
 続けたジャズに、オプティマスも同じように短い電子音で重々しく返した。
「この任務を果たせなければ、彼も無駄死にになる。バンブルビーは勇敢な兵士だ。任務の優先を望むだろう」
 総司令官の揺るぎない言葉に、ジャズは思いきり顔をしかめた。
 そんなことは彼とて言われるまでもなく、嫌というほど分かっているのだ。バンブルビーがどれだけ勇敢で、どれだけこの任務の達成を望んでいるかなど。オプティマスがどれほどの思いで決断を下しているかも分かっていて、それでもなおジャズが言ってしまったのは、感情を理屈で割り切ることなどできはしないからだった。ただでさえ減った仲間を──それも、特別可愛がってきた弟分を──失いたくなどない。けれど仲間を失いたくない気持ちは皆同じだ。仲間たちの悲痛な表情にそれ以上言葉を続けることが出来なくなったジャズは、やり場のない憤りにさらに顔を歪めた。
 そんな彼らの雰囲気から、何かしらのやり取りがあったのだろうと実写は気付いた。
「⋯⋯どうしたの⋯⋯?」
 もしかしたらこれが彼ら本来の会話なのかもしれないと思いながらも、内容が分からないので出来れば音声をこちらに戻してほしくて、恐る恐る声をかける。
「大丈夫だ、何もない」
 そんな彼女を安心させるように、オプティマスは屈みこみ、音声を戻してそっと囁いた。
「⋯⋯なぜ人間を救うために戦う?」
 オプティマスのその態度に、アイアンハイドがちらと実写を見下ろしながら言った。
 仲間を見捨ててまで頑なに人類を傷付けまいとするオプティマスに納得がいかなかった。誰よりバンブルビーを案じているのは、おそらく彼自身でもあるはずなのに。
 傷つけるな、という命さえなければバンブルビーを助けることは可能だった。なぜそこまで拘るのか。
「──原始的で、暴力的な種族なのに」
「アイアンハイド」
 オプティマスは首を横に振った。窘める声色にアイアンハイドは唸る。
「だが、」 
「アイアンハイドの言うとおりだよ」
 事実だろう、と反論しかけた彼を遮ったのは実写だった。オプティマスは、困惑と疑問の入り混じった視線を向けた。
「あなたたちが命を賭ける価値なんて、人間にはないよ。あなたたちは、わたしたちなんかよりずっと賢くて、きれいで、尊いのに」
 諦観した表情の彼女を、オプティマスは両手で掬い上げ、顔の高さまで持ち上げる。彼女から、そんな悲しい言葉を聞きたくなかった。
「我らもかつてはそうだった。人間は原始的で暴力的で、幼い種族だ。まだ学ぶべきことは多い。それは私も認めざるを得ないところではある。だが、人間の良い面も、我々は見たのだ」
 オプティマスは一旦、視線を仲間たちに投げた。自らを犠牲にした人間が確かに存在したからこそ、彼らはいまここに在る。それは皆、承知のことだ。
 アイアンハイドが決まりが悪そうに顔を逸らした。最初に出会った人間たちが気高く勇敢だったからこそ、失望してしまったのだろう。その気持ちはオプティマスにも分かる。彼は視線を手の中の小さな有機生命体に戻した。
「自由はすべての生き物が持つ権利だ。我々の過ちを、君たち人間にこれ以上与えることだけは避けねばならぬ。それは我々のやり方ではない」
 どこまでも真摯に告げられ、実写はひどく心苦しくなって顔を伏せた。
 彼はそう言うが、自分たちはやはり庇護されるべき存在ではないと思う。学ぶべきことを学べたとしても、それには長い長い時間がかかるだろう。それでも人間はまた過ちを繰り返すのではないだろうか。彼らのように美しく、高潔になれる日など来ない気がする。それもまた自分が“人間”だからなのか。
 悲しげに俯いた彼女に、オプティマスは少し沈黙した。
「生命を守るために戦う。たとえ、我々とどれほど異なっていても」
 彼はそう言って、朝焼けの空を見た。
「──実写。それは、命を賭けるに値する信念だ」
 実写はそっと視線を上げた。やさしく燃える青の燐光は、暁光と溶け合い、それでも凛と輝いている。
「⋯⋯。
 ⋯⋯じゃあ、わたしだけでも、がんばる。オプティマスたちをがっかりさせないように」
 オプティマスはその言葉に感動を覚えて小さく笑むと、実写を地面に降ろした。
 少しの間、誰も何も言わなかった。しかし、その沈黙はオプティマスがふたたび口を開いたことで長くは続かなかった。彼には、仲間に伝えておかなければならない思いがあった。
「我が古き友たちよ。我々は長く戦ってきたが⋯⋯だが、狂気はここで終わるのだ。そのためにはオールスパークを破壊するしかないが、もしもそれが出来ないときは」
 ぐいと胸部装甲を開いたオプティマスのスパークが、地面に降ろされた実写にも見えた。青白く力強い、稲妻を集めたようなその光は、自分が力を使ったときのものに似ていた。
「──私が胸にキューブを受け止め、融合する」
 言い切ったオプティマスに、ラチェットが驚愕する。
「自殺行為だ! キューブの力は大きい。双方とも破滅する!」
「っそんな⋯⋯だめ、そんなの絶対だめ!!」
 声を荒げたラチェットに続いて、実写もすぐさま叫んだ。オプティマスは必死に訴えてくる彼女を手で制し、仲間たちの一人一人と目を合わせていった。その視線のあまりの強さに、ラチェットも黙り込む。
「この星を救い、戦いを終わらせるに必要な犠牲だ。覚悟は出来ている。諸君と共に戦えて、私はとても誇りに思う」
 一瞬の電子音で告げ、オプティマスは実写に顔を向けた。彼女の分かる音声に戻して宥めるように言う。
「実写、そんなに心配しなくていい。キューブを破壊できなかったときは、の話なのだから」
「でも!」
 尚も言い募ろうとする実写に、オプティマスは満ち足りた気持ちで心からの笑みを浮かべた。
「大丈夫だ」
 揺らがない笑みと口調に、実写の唇が泣き出しそうに震えた。しかし、オプティマスは嬉しく思う。ここまで姿形の違う自分たちを心底案じてくれている彼女を見ると、やはり、これは正しい決断なのだと強く感じる。彼女たちは必ず、いつの日か進化してくれるだろう。自分たちと同等か、もしかしたら、あるいはそれ以上のものに。
「私たちは最大限の努力をする。だから⋯⋯大丈夫だ」
 仲間たちも実写を安心させるように、頷いてくれた。
 それを有難く思いながら、オプティマスも一つ頷く。そして、僅かな罪悪感を振り切るように、とどろく声で命じた。
「⋯⋯オートボット、出動!」




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